第020話 望む〈セカイ〉

 赤鎧の左蹴足がカズキの脇腹に放たれた。


 熾烈な一撃はカズキの骨を鈍く軋ませ、くの字に腰を折る。下半身が失われたかのような感覚に見舞われ、カズキは力なく膝から崩れ落ちた。


「ぐあああっ!!」


カズキは苦痛を絶叫に変えた。だが全身を迸る痛みは微塵も紛れない。

 「激痛」などという言葉では足りない。蹴られた箇所が自分の体でないかのよう。


「うっ……!! がはっ……げほっ!!」


カズキは赤黒い血反吐が撒き散らした。吐血など、生まれて初めての経験だった。


「ハァ……ハァ……ハァッ……!!」


吹き出す汗が止まらない。荒ぶる呼吸が加速する。熱を帯びた体が細かく震えて、立ち上がることすら叶わない。


 蹴られた腹を押さえうずくまるカズキの頭を目掛けて、赤鎧がその大きな足を上げた。


『グル』


その時、スカイライナーが赤鎧の足に噛み付いた。

 もたげた足に纏わりつかれ、赤鎧は脚を前後に動かして振り払おうとする。

 だが一度喰らい付いたスカイライナーは牙を離さない。

 痺れを切らした赤鎧は、蒼い機械獣の頭部を殴りつけた。


 ガンッ、ガンッ! と鈍い打音が響く。痛々しく装甲を欠きながら、それでもスカイライナーは牙を解かない。


「や、やめろ……」


情けない、今にも泣き出しそうな面でカズキは赤鎧に手を伸ばした。

 けれど震えるカズキの声など赤鎧には届かない。

 拳を大きく振りかぶれば、渾身の勢いでスカイライナーを殴りつけた。


「やめろおおぉお!」


覚束ない足取りでもって、カズキは不格好なショルダータックルを見舞った。けれど赤鎧は倒れるどころか、いとも簡単にカズキを跳ね返してみせる。


「がぁっ!」


弾かれ倒れたカズキの傍にスカイライナーも投げ飛ばされた。蒼く美しかった装甲は歪に凹み、歯牙も無惨に折れている。


「ラ……ライナ……」


横たわるスカイライナーに、カズキは生身の左手を伸ばした。

 傷だらけの装甲に触れた瞬間、金属の装甲が厭に冷たく感じられた。


 ガシャ……カチャ……と、騒音に混ざって響く足音。滲む視界に赤い背中が映る。


「こんな……こんな世界……」


拳を握り、苦虫を噛み潰したようにカズキは奥歯を軋ませた。

 腹の奥底から煮え滾るような感情と凍り付くような恐怖。思考が混濁して、現実から逃げるようにカズキは瞼を降ろした。



 ◇◇◇



 「――ようクソガキ、とんだ災難だな」


気が付けばカズキは白い空間に佇んでいた。

 意識だけが実存する世界。肉体と異なる時空の狭間で、褐色肌の女が嫌味な笑みを浮かべている。 


「俺は、どうすればいいんだ」

「そいつはオレが教えてやることじゃねェ」


頬杖をつき、女は神経を逆撫でするするかのような微笑で答えた。わざとらしいその台詞に、カズキは顔をしかめた。


「そこはテメェのだ。テメェのことはテメェで決めろ。寝るも醒めるもテメェ次第だ」


全てを見透かしながら、それでいてカズキの苦悶を嘲笑するかのような女の言動。

 迸る怒りが、俯くカズキに拳を握らせた。

 力無く項垂れ押し黙るカズキを女は「フン」と鼻で嗤い、口端に浮かぶ笑みを消す。


「おいクソガキ。これがテメェの望むか?」


怪訝な様相でカズキは視線を上げた。

 女が右手を上に向けると、小さな火の玉がそこに生まれ出でる。


「願いってのは、つまるとこちからだ」


掌中にある炎は女の細く美しい指先で弄ばれ、自在にその形を変えた。


「この世界にはテメェら人間じゃ図り知れねェほどの真実がある。それと同じだけ膨大なエネルギーが在る。テメェらがメシ食って得られる熱量なんざ、とんと小せぇもんよ」 


手の中の火玉かぎょくが勢いを増して、瞬く間に火焔へと昇華した。指の隙間から零れるほどに。


「テメェら人間のいっとう強ぇ力は想像と創造だ。肉体っつー小せぇ器に収まらねェ」

「想像力が……?」

「ああそうさ。意識や精神ってヤツは宇宙の外側と繋がってる。つまりお前ら人間は無限のエネルギーに繋がってるのさ。なら、お前はどうやってソイツを引き出す」


女は炎を握り潰した。赤い火の粉が花弁のように舞い散り、そして新たな炎を生み出す。

 元の炎ほども肥大化した火の粉は、女の周囲をふわふわと浮かんで漂う。


「想像の根っこにあるのは欲望や衝動っつー、根源的な願いだ。そして、それは祈りで増幅される」


カズキは自分の胸に拳を当てた。褐色の女は不敵に笑い、漂う炎を一つだけ掴み取る。


「もう一度聞いてやるクソガキ。今お前の眼に映ってる現実は、お前が望んだなのか?」


問われ、カズキは胸に当てた拳を見た。やかましく拍動する心臓の音も、この空間では聞こえない。

 カズキは、静かに顔を上げた。


「違う……俺はこんな世界、望んでいない」


「それならやるこたァ一つだ。セカイを変えたいなら祈れ。テメェの欲望を曝け出せ。その腹ン中でくすぶる火種は、お前の願いひとつで際限なく膨れ上がるんだよ」


そう言った女の手に握られる炎が2回りほど大きくなった。


「痛いなら叫べ。苦しいなら足掻け。本物の願いには、恥じも外聞も無ェんだよ」


掌では余りあるほど大きな炎を果実のように齧ると、女はゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。


 そして静かに、周囲を取り巻く炎が姿を消していった。白く明るい空間からは徐々に光が失われ黒い闇へと変わりゆく。


「いいかクソガキ。〈セカイ〉はお前が創るんだ」


暗澹の奥から木霊する声に、取り残されたカズキの意識は現実の世界へと引き戻された。

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