第019話 それでも彼は立ち上がる

 その行く手を阻むかのように、気付けばカズキは赤い鎧の前に立っていた。

 無機質な鋭い眼がカズキを見下ろす。


BRAIDブレイドを嵌めた右手が小刻みに震え、抑え込むようカズキは左手を添えて構えた。


 赤い拳が静かに振りかざされる。


「……っ!!」


その一撃が放たれる刹那、カズキは後ろへ跳んだ。

 空を切った拳は轟音を伴いアスファルトに巨大な穴を穿つ。

 大砲のようなその威力に、ゾクリと背筋に寒気が走った。

 カズキの意識が僅かに削がれた。

 その間隙を赤鎧は見逃さない。すかさずカズキの横顔を目掛け左フックを繰り出す。


「くそっ!!」


紙一重BRAIDブレイドで防ぐも、その衝撃は手甲と強化スーツを突き抜け体の真芯を震わせる。


「がはっ……!!」


敢え無くカズキは膝をついた。

 攻撃を受けた右腕が痺れる。脈打つ心臓の音が耳の奥で響く。


 赤い拳が、再びカズキの頭上高くかざされた。けれど痛みが邪魔して足を動かせない。


――ガガンッ!


と、その時。金属の打ち合わされる音が響いた。


『グル』


スカイライナーが赤鎧めがけ体当たりを喰らわせたのだ。

 バランスを崩した赤鎧は片膝をついた。その隙にカズキは立ち上がって距離をとり、蒼い右腕の外装をスライドさせる。


 右手のBRAIDブレイドに青白い機粒菌きりゅうきんが灯る。薄暗い高架の下で、その冷光は鮮やかに輝いた。

 その光に誘われるよう、赤鎧の冷たい視線が再びカズキを見据える。


 交錯する視線。

 響く鼓動。

 荒ぶる呼吸。

 震える足に鞭打ってカズキは一歩踏み出した。

 

 だがそれを迎え撃つように、赤鎧は左ストレートを繰り出した。

 

 苛烈な拳を皮一枚で躱すとカズキはまた一歩踏み込み、赤い腹部に右掌の機粒菌きりゅうきんを撃ち込んだ。


 青白い光子は赤い装甲へと融け消え、カズキはすぐさま距離をとって右手に拳を構えた。


 赤鎧は、動かない。拳を突き出したままの恰好で微動だにしない。

 錆びの匂い混じる潮風が、カズキの髪を撫でた。


「……治ったか?」


構えた右手を恐る恐る下げた、その瞬間。赤く鋭い蹴りが、カズキの鳩尾みぞおちに突き刺さった。


「がはっ!!」


弾き飛ばされたカズキはアスファルトの上を不格好に転がった。

 プロテクターと化した強化制服をも貫く熾烈な一蹴いっしゅう

 呼吸さえままならない痛み。苦悶に歪む表情。脂汗を滲ませながら、カズキは薄汚れた地面をのた打ち回った。


 赤鎧の切れた眼が、苦痛と恐怖を加速させる。頭に白いもやが立ち込めて、絡みつく思考は恐怖を言葉に変える暇も与えない。肉体は凍り付いたように動かない。


 赤鎧が足を踏み出した。倒れるカズキの元へ分厚い足音を響かせながらにじり寄る。


 蟀谷こめかみに浮かぶ脂汗が流れ落ちて、コンクリートの地面に歪な円を描いた。


『グル』


スカイライナーが赤鎧に飛び掛かるも、回し蹴りのひとつで呆気なく転がされてしまう。


「ラ、ライナ……!!」


ギリリと歯を噛み締め、カズキは再び拳を握った。

 這い蹲ったままカズキは赤鎧を睨み上げる。

 だが赤鎧は倒れるカズキの横を通って表の通りへ出た。まるで興味を削がれたように。


 そして赤い視線は、女の跳び去った方角へと向けられる。


 けれど赤鎧は視線の先に進もうとしない。否、進むことができない。見れば、倒れるカズキが赤鎧の足首を足を掴んでいた。

 

 脚を前後に動かし振りほどこうとするも、カズキは決して右手を離さない。どころか赤鎧の体を伝うように立ち上がれば、ふらつく身体でもって赤鎧の前に立った。

 

 全身を駆け巡る鈍痛。ようやくと肺が酸素を取り込み呼吸と血流が速度を上げる。


無機質な視線が血を凍らせる。

頬に流れる汗で砂がこびり付く。

足が震えて止まらない。


 痛い。怖い。恐ろしい。あらゆる負の感情が混ざり合って、カズキの肉体と意識を阻害する。

 それでもカズキは、右手を突き出して構えた。


 感謝が欲しいわけではない。

 恩を着せたいわけでもない。

 ただ「そうしなければ」という想いだけが、カズキの背中を押していた。


 見て見ぬ振りが出来るほど、小器用な生き方はしてこなかった。気付いた時には、いつも体が先に動いていた。


 蒼い手甲の外装をスライドさせて、冷たい輝きを掌に宿らせる。カズキは腰の位置で右拳を引いた。


 同じくして放たれた赤鎧の右ストレートがカズキの左肩をかすめる。


 赤鎧の懐に踏み込み、もう一度。カズキは光る右手を突き出した。


 けれど、刹那。


 赤鎧の左蹴りが横腹に突き刺さる。


 右手に輝く機粒菌きりゅうを当てることも出来ず、カズキは膝から崩れ落ちた。

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