第6話 火魔法とハチの想い
「本当に凍ってる」
あの美しいエメラルドグリーンの湖面が硬い氷に覆われていた。
暗い顔で佇んでいるケット・シーたちが、王様に気づき、頭を下げた。
まわりの木や草も霜をかぶっている。
冷気が辺り一面に漂い、まるで真冬のようだ。コートを着ているのに震えが止まらない。
王様は皆の前に立ち、大声で宣言した。
「皆の者、よく聞け! こちらにおられる救世主様は、先々代の王キーアン様に大魔法を授かっている。その魔法でこの湖を溶かしてくれるだろう!」
オオーッ!!! 皆が一斉にどよめいた。
キャー、やめてぇ! 出来なかったらどうすんのよ。魔法なんか使ったことないんだから!
ああ、みんなが期待の目で見てる……しょうがない。わたしは開き直ることにした。
「えー、せいいっぱい頑張ります。だけど、魔法を使うのは初めてなので、どうか皆さんがお手本を見せてください」
「よし! では皆の者、用意はいいな?」
ケット・シーたちがうなずき、杖を構えた。
「湖に向かっていっせいに魔法を放つぞ。いけーっ!!!」
「ワー!!!」
王様の掛け声に合わせて、皆の持っている杖から湖に向かって光が放たれる。
ガンガンと氷にぶつけて破壊しようとする者、炎で溶かそうとする者、大量のお湯をかける者――様々な色の光が湖の上を飛び交う様子は圧巻だ。
だが感心してる場合じゃない。
わたしも見よう見まねで、腕輪を嵌めている左手を突き出して叫んだ。
「全部、溶けろぉおおお!!!!」
その瞬間、腕輪から赤い光が放たれ、湖の真ん中を直撃した!
ドゴゴオーン! バリッ、バリバリバリ!
凍り付いた湖の真ん中が割れ、そこから放射状にひびが広がる。
小さなひびはやがて大きなひび割れとなり、氷が次々と割れていく。
割れた氷は少しずつ湖の底へ沈んでいき――やがてすべての氷が跡形もなく消えていった。
「やった……やったぞ! 氷が溶けた!」
誰かが大声をあげ、それを皮切りに皆が歓声を上げた。
「救世主様、ありがとうございます!」
「救世主様、バンザーイ!」
なぜか沸き起こるバンザイの大合唱。
誰が教えたんだ?
わたしは「いや、どうもどうも」とヘラヘラ笑いながらも、心臓がばっくばくだった。
(ああ、成功して良かったぁあああ。これで失敗したらハチの権威も丸つぶれだったよ)
「ありがとう、リサ」
王様にモフモフの手を差し出され、握手を交わす。
見ると、コルムが泣きながらバンザイを繰り返していた。
やったよ、ハチ!
わたしは左腕を空に向かって突き上げた。
だが、安心したのも束の間、赤い石が色を失い透明に変わっていることに気づいた。壊れちゃったと慌てるわたしにコルムが言う。
「いえ、壊れたわけではありません。この魔法石には火魔法が込められていたので、魔力を使い切り、透明に戻ったのです」
「そっか……」
気温が高くなり、周辺の草花を覆っていた霜も溶けていった。どうやら枯れてはいないようなのでホッとした。
「はあ、なんか疲れたなあ」
安心したせいか、急に力が抜けてその場にへたり込む。
見ると、皆も同じように地面に座り、キラキラと輝く湖面を静かに見つめていた。
その後、どこからともなくお酒や食べ物が運び込まれ、いつのまにか宴会が始まった。まだ日は高いのに、今日は特別だとばかりにどんどんケット・シーたちが集まってくる。
王様や宰相さんも混ざってるけど、大丈夫なの? 不敬罪とかないよね?
わたしは未成年なので、葡萄ジュースで我慢、と思ったらすごく濃くて美味しかった。
前に市場で会った子どもが、食べ物を持ってトコトコと歩いてきた。白い綺麗な毛並みの女の子だ。
「きゅうせいしゅしゃま、氷をとかしてくれてありあと。これたべてくだしゃい!」
と、串に刺したお肉をくれた。可愛い喋り方にきゅんきゅんする。
「わあ、ありがとう!」
わたしはその場で肉にかじり付いた。
「このお肉美味しいね」
「おとしゃまがやいてくれたの」
「あなた、お名前は?」
「エリン」
「エリン、良かったらここに座る?」
わたしが膝の上をポンポンと叩くと、エリンはぴょんと飛び乗った。
くーっ、たまらん! モフモフした子猫ちゃんが(といっても成猫くらいの大きさだけど)わたしのお膝に!
わたしが悶えていると、コルムがエリンに言った。
「エリン、そこには昔、キーアン様もお乗りになったんだよ」
「ふわぁ、しゅごい! にゃんで?」
エリンがキラキラとしたオレンジ色の瞳でわたしを見上げる。
「ふふ、それはねえ……」
わたしがハチとの思い出を語り始めると、ケット・シーたちが周りに集まってきた。伝説の王様のことに興味津々のようだ。
ハチがこっちの世界に来たいきさつから、わたしのもとを去っていくまで、一緒に過ごした日々を思い出しながら話すのを、彼らは静かに聞いていた。
首輪が腕輪に変わったくだりでは、みんな興奮してワーワー、ニャーニャー大騒ぎ。
「キーアン様は、本当に救世主様のことが大事だったんだね」と誰かが言う。
「その救世主様って呼び方はやめて。リサって呼んでください。ハチはひと言も話さなかったので、みなさんに名前で呼んでいただけると嬉しいです」
皆が戸惑うなか、エリンが言った。
「りしゃ?」
「そうよ、エリン」
すると他の子どもが注意した。
「ちがうよ。りしゃじゃなくてリサだよ」
「り……しゃ」
「ちがうってばぁ」
ふたりの会話を聞いて皆が笑いだす。
「どっちでもいいだろ。なあ、リサ」
おじさんのケット・シーが照れたように言うと、皆も口々に「リサ」「リサさん」と名前を呼んでくれた。
そうして宴会が終わる頃には、皆が自然とわたしの名前を口にし、気軽に話しかけてくれるようになった。
◇
城に戻ったときには、もう日が暮れていた。
疲れたしお腹もいっぱいだったので、そのまま寝ようとすると、またしても王妃様と侍女たちに連行され、例のお風呂に入れられた。
「嬉しいけど、これ以上綺麗になったら整形疑惑が出ちゃう……」と呟くと、王妃様が笑った。
「心配しなくても最初ほどの効果は出ませんから」
「あ、そうですか」
それはそれで残念なような……。
「リサに助けられたのは二度目ですね。本当にありがとう」
王妃様が深く頭を下げ、そばにいる侍女たちもそれに倣った。
「いえ、そんな……頭を上げてください」
湯船に浸かってるとはいえ、裸の状態でこんなこと言われても困る。
でも、ケット・シーは誰も洋服なんて着ないから、あっちも裸みたいなものか?
「リサ様のお召し物は汚れていたので洗濯をしてます。代わりにこちらをどうぞ」
風呂上がりに差し出されたのは、シンプルな白いワンピースだった。
「あれ? 人間用? ここにはよく人が来るんですか?」
「いえ、そういうわけでは」と侍女さんが答える。
「実は、他にも何着か似たような服がサイズ違いであるの。どれも保存魔法がかけられてるから綺麗よ」と王妃様が言う。
「もしかして、ハチが?」
「そう。キーアン様が用意されていたの。あなたのためでしょうね」
「はは……どんだけわたしのこと好きなのよ」
ハチの気持ちを思うと切なくなり、わたしは白いワンピースを抱きしめた。
その夜、前に来たときに泊まった“サクラの間”に泊まりたいと王妃様に頼んだ。
キーアン様がハチなら、この部屋はわたしのための部屋だ。
そして、この絵の桜は――
「アパートの窓から見えてた桜だったんだね」
時々この部屋に来て、わたしのことを考えたりしてたのかな。
三百年の時を越えて、わたしもまたハチのことを考えていた。
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