第4話
家に着くと父様は眠っていた。
汗が大量に流れたのか、3畳の狭い家中に酸っぱくて香ばしい匂いが充満していた。
父様は僕が熱を出した時、僕を軽々と持ち上げて体を拭き、寝床の1式を変えてくれる。
僕も洗濯した布で父様の体を拭き、敷き布も取り替えようとした。
さすがに体格差や病弱の非力な細腕では、大人の、しかも筋肉量の多い父様のことを持ち上げたり、押したところで移動させられるはずもなく。
徐々に徐々に体勢を変えながら、敷き布をずらしていき、体を拭き、またずらすを繰り返して、ようやく新しい敷き布へ変え、体を拭き終えることが出来た。
体勢を変える度、父様が軽く呻き声を上げたが、父様の目が覚めてしまうことはなかった。
取り替えた敷き布は、また洗濯をしに行かなければならない。
飲水を汲みに行く必要もあったし、薬草や栄養になるものをもっと取ってきて父様に食べさせる必要もあった。
だが、その時の僕は前日から不眠不休だったので、薪をくべて、洗濯物を干した時点で急激な睡魔に襲われ、父様の横でいつの間にか眠ってしまっていた。
僕が目を覚ましたのはその日の夕方だった。
赤々と燃える夕日が家の戸口の隙間から射し込んできていた。
家の中は静まり返っていた。
呼吸や鼓動の音は一つだけ。
全身から嫌な汗が吹き出てきた。
心臓の鼓動が急激にうるさく騒ぎ立てた。
顔面からサーッと血の気が引いた。
目が眩んだ。
父 様 が い な い
すぐそこに横たわって眠っていたはずの
父様がいなかった。
父様は朝日が昇る少し前から夕日が沈むまで森を駆け抜けて狩りをするほどの体力の多い人だ。
しかし、あの見たこともないほどの大怪我で一時は憔悴して見る影もなかったのだ。
自力でどこかに行くはずは、さすがになかった。
だとすると、誰かに運び出された?
僕はじっとりと濡れる汗を握りしめて、荒い呼吸のまま家から這い出て、長老の家に向かった。
ほかの家々に運ばれるのはあまり考えられない。
僕の家と似たような3〜6畳の狭い家に怪我人を運ぶはずがない。
だとすると、長老の家以外には考えられない。
そうでなければ、
そうでなければ、森に死んだ父様を捨て・・・
そんなことはないと信じて、うまく言うことを聞いてくれない手足をばたつかせながら、縋る思いで長老の家に走った。
長老の家の前には、数人の大人たちが集まっていた。
父様と狩りに出ている人達が集められたのかもしれなかったが、残念ながら僕はそこに居た大人たちとあまり面識が無かった。
ほとんどの時間を僕は村で過ごすので、村にいつもいる人ならすぐに分かるのだ。
あまり村の中で見かけない面々だからきっと外に出かけている人か村の外の人、確かに全体的に屈強そうなイメージの人達だった。
なにより、ちょうど本日の狩りから帰ってきたのだろう。
彼らの手には弓や槍が携えられていた。
父様の狩猟仲間?
「みな本日の狩の成果はどうじゃった?」
長老の声だ。
その声に応じて集まった男たちの一人がおずおずと口を開く。
「きょ、今日の成果は…鳥が2羽と、ねずみ3匹、鹿が1頭です…」
「鹿は鹿でも、プーズーとはな。
そいつは小さくて身がほとんどないじゃろうて…」
長老は捕らえられた獲物をざっと見て。
「他のを合わせても大人5,6人分といったところか…
お前たちはその少ない獲物で村の者たちが飢えずにおれると思っておるのか!?」
「い、いえ、今日はその、大きな獲物は見当たらなかったので」
「わしも若い頃、狩猟をしておったのは知っておるな?」
「は、はい。長老の腕は凄かったと、アルバからよく、聞かされておりました」
「そうじゃ、アルバに狩りを教えたのはわしじゃ。
お主らは、アルバから獲物がどこにおるのか教わらなかったのか?」
「いえ、いや、はい」
「わしはアルバに、獲物とはそこらじゅうに潜んでおると教えた。
お主らもそう教わったことじゃろう」
「ええ、しかし、見当たらないのです」
「たわけ!」
長老が突然大声を上げた。
「ひぃ!」
「獲物は潜んでおる!
お主らが見てけられないだけじゃ!
潜んでいる獲物をおびき寄せるか、潜んでいるところを目ざとく、耳ざとく見つけ出すのが、狩人の基本じゃ!」
「へ、へい!」
「お主らさては、これまでの獲物はアルバに任せっきりでおったな?」
「そ、そんなことは・・・」
「ではもっと大きな獲物を捕らえてこい!
でないと村からは追放じゃ!」
「ひいぃ!それだけはご勘弁を!」
「実践はもう教えられぬが、獲物を狩る基本くらいは今のわしでも教えられる。
何か知りたいことがあればわしに聞きに来い。
わかったな!?」
「へ、へい!」
狩人達がそそくさと去っていき、長老も踵を返そうとしている。
「あの!長老さま!」
「おお、○○よ。
アルバなら今、大叔母の所で看病させているでな」
「ありがとうございます!
長老さま!」
長老は背を向けて家に入っていってしまった。
いつも通り、僕と話すことは最小限にしたいのだろう。
しかし、大叔母さまのところなら、父様は安心だ。
大叔母さまの家は村で唯一の医療施設でもある。
といっても、医療が可能な医師が常駐している訳ではない。
部屋に寝かせて、大叔母さまの経験や知識、蔵書の本を大叔母さまに読んでもらい、可能な限りのことをするだけだ。
それでも、この村でできる精一杯の事をしてもらえる。
それでダメな時は、1番近い医者の所へ駆け込むまでの体力も残っていないだろうから、実質的にここが最後の砦だ。
長老の家と大叔母さまの家は繋がっており、先代の長老は大叔母さまの旦那だった。
先代の長老が亡くなる前から、大叔母さまは村の医療を一手に担っていた。
今の長老が無茶をして足に怪我を負った時も、大叔母さまが看病をして、今のように杖を突きつつも歩けるようになったのだった。
だから、長老は大叔母さまには頭が上がらないらしい。
僕が長老の家で小間使いをさせて貰えているのも、大叔母さまに気に入られたお陰だったりする。
父様の様子を確かめるため、長老の家から大叔母さまの家へと向かった。
ほかの家には無い廊下を抜けると、病症人の看護のための部屋があったはずだ。
「父様!」
敷き詰められた干し草の寝床の上で、父様が横たわっていた。
「○○...」
駆け寄り手を握った僕に、父様は弱弱しいながらも名前を呼んでくれた。
意識が戻ったのだ。
僕はその声のハリのなさに涙が溢れ出てきて喉を詰まらせた。
「父様...」
僕は胸が痛い。
生まれてこの片、誰よりも力強く、猛々しく、そして思いやりのある、優しくも偉大な父様の姿しか知らなかった。
風邪をひいても狩りに行き、気合いと体力でそのまま完治してしまっていた。
本当に強く逞しい姿しか知らず、常に僕は看病をされる側だった。
父様の看病をしてみて初めて、看病するのがどれほど心を消耗させるのか。
不安に押しつぶされそうになるのを必死で堪え、できることを可能な限りこなして行かねばならない過酷さを知った。
父様の弱りきった姿は、まだ意識がなく、うなされていた時よりも確実に良くなっていた。
だが、これまで見てきた父様の姿と、あまりにかけ離れすぎていて、僕の胸を締め付けた。
目の周りが熱く、今にも涙が溢れ出しそうな僕の肩に、ぽんぽんと優しく手がのせられた。
振り返ると、叔母さまがいた。
動けない大叔母さまの代わりに、病症人の看護をしているのが大叔母さまの実の娘である叔母さまだ。
「そんな顔をするものじゃないよ。
あんたのお父さんもまだしばらく安静が必要なんだ。
あんたも疲れてるようだから、そこに寝床を用意してあげる。
今夜はここでお父さんと一緒に寝ていきなさい」
その声音は厳しくも優しく、僕の胸の締めつけを緩めてくれた。
僕は自分でも分からないうちに、叔母さまに抱きついていた。
「あら、○○。
あんたが誰かに甘えるなんてねぇ。
可愛げがないと思っていたけれど、やっぱり年相応の子供だったのね」
生まれてから、こんな風に誰かに甘えることはなかった。
今になって思うと、本能的なものだったのだろう。
僕の心が耐えきれずに、自然と助けを求めていたのだ。
叔母さまは僕を拒絶することなく、優しく頭を撫でてくれた。
ルーツ オブ アルターステラ アルターステラ @altera-sterra
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