罪人

うゆに

罪人

 先日、成人になりました。都会の大学に通っていますが、成人式の日は、田園が広がるほど田舎でもないけど、都会というほどでもないこの街に帰ってきて、友達と女子トークに花を咲かせました。

 「当時小学生の子供達数人が川で溺死していた所を発見された事件から10年、生きていれば今日、子供達は成人式に...。」

成人式が終わったあと、ニュースを見ていた私は、育ててくれた老夫婦から祝儀袋をもらいました。たいして分厚くもなかったけど、赤の他人だったのに、ひきとってもらって、大学まで行かせてもらっていたので、文句はありません。それよりも、二人が浮かない顔をしていることの方が気になりました。義母に座るように言われて、私は大人しく座りました。祝儀袋を開けるようにうながされたので、言われた通り、中身を取り出しました。

 中からは一万円札が一枚出てきました。貧乏学生の私にとってはありがたすぎるものです。

「それは、私たちから。」

二人に礼を言って、私は財布に一万円札をしまいました。

「で、どうしたの?そんな顔して。」

義母は黙って義父を見ました。義父は立ち上がると、部屋の奥の引き出しから通帳を取り出し、ちゃぶ台の上に置きました。

「それはお前の父親からだ。」

通帳には2999万3000円が入っていました。

 私の実の父親は、10年前に死にました。もう物心はついていたので、声も顔もありありと覚えています。

 私を1人残して死んだ父は悪人です。その罪はどんな地獄へ行っても償いきれないと思っています。


 都心から少し離れた川沿いに古びたビルが建っていた。時間はすでに11時をまわっていた。ビルの階段を、汚らしいジャージを着た男がのぼっていた。点滅する蛍光灯に照らされたその顔はやつれて、疲れきっていた。

 男は3階の自分の部屋の前まで来ると、鍵を開け、静かに中に入った。電気をつけずに椅子に座り、いつものようにため息をつき、己の身の上を嘆いた。

 数年前までは、豊かとは言えないまでも、人並みの生活をしていたはずだった。妻も娘もいて、大企業ではないが、会社に勤め、安定した収入も得ていた。

 ところが、その生活に終止符がうたれるのは突然だった。妻の死、不景気によるリストラ、様々な不幸が重なり、今ではアルバイトを転々としながら、安いマンションの一室を借りて生活していた。

 男は机に向かうとノートを開いた。日記のように、日々の出来事を綴ったノートだ。

6月19日

 今日も1日、コンビニでアルバイトをする。賞味期限の切れた弁当をもらった。帰りは11時を過ぎて、いつも通り娘は寝ていた。明日も朝5時からバイトで、娘とはもう数日ろくに話せていない。あの子はこの生活で幸せなのかなぁ。

 その日、数日ぶりに男はまだ明るいうちに、マンションの階段をのぼっていた。

「おーい、弁当、買ってきたぞ。」

「あ、お父さん!今日は仕事早かったね。」

「あぁ。お前も今日は友達と遊ばないのか?」

「うん。昨日遊んだし、一昨日も遊んだんだよ。今日はいいや。」

「そうか。宿題やったか?」

「うん。おなかすいた。早くごはん食べよ。疲れた?」

疲れたけど大丈夫だよ。今日は早く寝て、明日からもがんばらなきゃ。」

「私ね、今日学校でね、...。」

6月20日

 今日、バイトをクビになった。最後にもらったコンビニ弁当を、娘には買ったとうそをついた。明日からはまた職探しの日々。娘にはいつも疲れていないと言うが、本当はもう疲れた。

 夜遅く、男は階段をのぼっていた。家の電気は消えていた。男は娘を起こさないように静かに中に入るといつものように、椅子に座ってため息をついた。

6月21日

 このご時世で、なかなか仕事は見つからない。食費や家賃も考えると、あと1週間もつかも怪しい。あの子は俺といっしょで幸せなのだろうか。俺なんかいない方が、なんて最近はよく考える。

 空が赤く染まる頃に、男は階段をのぼっていた。

「あ、お父さん、お帰りなさい。」

「ただいま。今日も仕事早めに終わったんだよ。ほら、サンドイッチ買ってきたから。好きだったろ。」

「やったー。お父さん、どっち食べる?」

「お父さんはいいんだ。今おなかいっぱいだから。」

「そっか。...でも私、卵のサンドイッチ嫌いだから、これ食べて。」

「え?いや、でも...」

「今日私、給食いっぱい食べたからあまりおなかすいてないし。」

6月22日

 いい加減、嘘をつくのもしんどい。娘にも余計な気を使わせている。早く新しい仕事を見つけないといけないけど、なかなかうまくいかない。

 10時過ぎ、男は1人、階段をのぼっていた。部屋はまだ電気がついていた。

「なんだ。まだ起きていたのか。」

「うん...あのね、私欲しいものがあるの。」

「...何が欲しいんだ?」

「かわいい靴。友達が履いてて...。」

そう言って娘はしわくちゃのチラシを差し出した。男はチラシを受けとると、ざっと目を通した。最近人気のその靴は、高いものではなかったが、今の男には、とても手が出るものではなかった。

「...まぁ、考えておくから今日は早く寝なさい。」

「うん。」

6月23日

 今日も1日、仕事を探した。腹がへったら、公園の水飲み場で水を飲み、腹を満たす。帰ると娘はまだ起きていて、俺に頼み事をしてきた。かわいい靴が欲しいらしい。普通の家庭では買ってあげるものなんだろうか。買ってあげたいのは山々だが、とてもそんな余裕はない。父親失格なんだろうな。

 男が階段をのぼっているとき、時間はすでに12時を過ぎていた。部屋の電気は消えていた。いつも通り椅子に座ってため息をついた。

6月24日

 今日はわざと遅く帰った。卑怯だと自分でも思う。娘と顔を合わせたくなかった。本当に父親失格だな。

 その日も夜遅く、男は階段をのぼっていた。ようやく梅雨入りしたらしく、手すりをつたった雨が男の足にはねた。その顔はいつにもまして暗かった。

6月25日

 仕事が見つからない。貯金ももうすぐ底をつく。町を歩けば、皆迷惑そうにこちらを見てくるし、夜になると、つっかかってくる若者達もいる。社会全体に存在自体を否定される。こんな生活はもう嫌だ。

 その日、男は少し早めに家に帰った。

「あ、お父さん、お帰りなさい。」

「うん。ただいま。」

「顔色悪いよ。大丈夫?」

「あぁ、...大丈夫だよ。それより宿題やったか?」

「...お父さん、私にはもうお父さんしかいないんだから。病気になんかならないでよ。いなくなったりしないで!」

涙の浮かんだ目を見て、男は弱音を吐いた過去の自分を恥じた。

 その夜、寝室で寝ている娘の様子を見る男の顔には、穏やかな表情が浮かんでいた。

6月26日

 俺にはもう娘しかいない。そして娘にももう俺しかいない。寝顔を見ていてそう思った。あの子がいる限り、もう弱音は吐かない。何もしてやれなくても、父親失格でも、あの子のそばから離れないようにする。あの子を幸せにしてやりたい。苦しい時はこのノートを見返して、気持ちを切り替える。とは言っても、仕事がないのが現状で、経済的にはかなり苦しい。明日は少し遠くの町で仕事を探す。仕事が見つかれば、あの子に靴を買ってあげよう。


 6月29日、川で溺死している男が見つかった。手には濡れているが新品の靴が入った箱、近くに濡れてぐしゃぐしゃに破れたノートが落ちていた。


 「被害者の遺族のお一人である、緒方歌恋さんにお話しを...。」

ニュースの音が私を父との思い出から引き剥がしました。父は夜道を歩いていたところを、大学生2人にからまれ、突き飛ばされて川に落ち、そのまま溺死したそうです。この話は、私が高校生になった時に、義父が教えてくれました。

「...このお金は?」

「加害者側からの慰謝料だ。」

「そう...。このお金は2人に...」

「このお金はあなたのもの。あなたの好きなように使いなさい。」

「そうだ。俺達は年金で何とかなるから心配しなくていい。」

優しく笑う2人の顔を見て、胸に何か、熱く、濃いものが込み上げてくるのを感じました。

「それともう1つ預かっているものがあるの。」

そう言うと、義母は奥の部屋へ行きました。

 戻ってきた義母は手にしわしわの箱を持っていました。

「何?それ。」

義母が開いた箱の中には、黄色の子供用の靴が入っていました。見た瞬間に、私の頭に、ある記憶が鮮明に蘇りました。忘れたくて、覚えているのが怖くて、無意識に消していた記憶。

 悪人は私だった。罪を犯したのは私だった。


 空が赤く染まる頃、少女は家までの道のりを泣きながら帰っていた。裸足の少女の手には、泥で汚れた靴が入ったビニール袋が握られていた。

 その日の朝、誰もいない家の扉の前に立つと、大きなため息をついた。盗られる物など何もないが、父に言われた通り、一応鍵をかけると、重い足取りで学校に向かった。傷だらけのランドセルを背負い、汚らしい身なりの少女を、通行人は遠巻きに見ていた。

 最後の授業は体育だった。クラスのほとんど全員がサッカーを楽しんでいた。

「おい!こっち来いよ。みんなで楽しむんだろ?」

グラウンドの端で土をいじっていた少女に声をかけたのは運動神経が良く、クラスで人気者の男子だった。ついに自分も仲間の輪に加えてもらえるのかと、少女は一瞬だけ期待した。

「お前んち、びんぼーなんだって?」

「え?」

「食べる物なくてゴミ食べてんだろ?」

「...誰がそんなこと...。」

「くせーよ。近づくんじゃねぇ。」

少女は肩を突き飛ばされて地面に転がった。地面に顔を押し付けられても、体に砂をかけられても、少女は泣かなかった。今までと同じ生活。新しい学年になって、何か変わるかもと期待したが、それも裏切られた。

 何回目かに地面に転がされた時、少女の靴が片方脱げて、落ちた。

「うわっ。汚ねえ靴。」

いじめっ子が靴を拾った。

「...返して。」

靴は少女が身につけている物で、最も大事なものだった。母親が死ぬ前に買ってくれた靴。買ってもらった時は、まだ大きかった靴は、今では窮屈だった。それでも少女は、その靴を毎日履いていた。

「お前、土いじり好きなんだろ?」

靴を持ったいじめっ子がニヤリと笑った。

 目の前で土がつめられていく靴を守る術は、少女にはなかった。久々に涙が少女の目からこぼれた。

 靴を汚されたと先生に言ったが、先生はビニール袋を1枚くれただけだった。いじめを目の当たりにしても、注意すらしない先生だ。少女ももはや何も思わなかった。

 次の日、少女が登校すると、背の高い女子が話しかけてきた。クラスの中心人物だが、少女をいじめることもなく、少女にとっては憧れの存在でもあった。

「昨日は大変だったらしいね。靴を汚されたって?」

少女は小さくうなづいた。

「大丈夫よ。靴くらいまた買えばいいわ。」

「また買うって...どんなのを?」

「私ね、もうすぐ誕生日だから、この靴買ってもらうの。かわいいでしょ。」

そう言って見せてきたのはチラシの切り抜きだった。

「...あの靴は、私の大事な靴だから。」

「ふーん、そう。」

少女は、女子の、自分に対する興味が急激に薄れていくのを感じた。

「花織ちゃん、おはよー!」

別の女子がやってきて、少女の希望は去ってしまった。

 帰り道、少女は道に落ちていた雑誌に、朝見たものと同じチラシを見つけた。

 数日後、少女は学校の玄関で、女子達が群がっているのを見た。

「花織ちゃん、靴、買ってもらったんだ!」

「うん。かわいいでしょ。」

「黄色にしたんだね。」

「ピンクとかダサいじゃん。」

「だよねー。誰に買ってもらったの?お母さん?」

「うん。お父さんは何も買ってくれないから嫌い。休みの日だって家にいない時もあるし、いても寝てばっかだもん。お父さんなんていらない。」

騒ぐ女子達の横を、少女は黙って通りすぎた。たとえ休みの日に家にいなくても、欲しい物を買ってくれなくても、自分には父親しかいない。少女は急に、自分の願いが恥ずかしくなった。

 また数日後、朝、少女が登校すると、すでに自分の席に座っている女子がいた。

「花織ちゃん、そこ、私の...」

「あ、おはよー!ねぇ、今日放課後いっしょに遊ばない?他にも何人かいるけど。」

「え...。いいの?」

「友達でしょ。」

少女は困惑し、そして迷っていた。なぜ嫌われ者の自分を誘ったのか。遊びに行くべきか。しかし、少女の心はほとんど決まっていた。

「嫌ならいいんだけど...。」

「行く!私も。」

チャンスを逃す訳にはいかなかった。

 放課後、少女は、ほとんど話したことのない女子達と制服のまま、公園で遊んだ。女子達は皆、少女に対して優しかった。少女にとって、理想の、そして最高の時間だった。

 次の日、6月29日、少女が教室に入ると、女子達が集まってきた。

「昨日楽しかったね!」

「うん、またみんなで遊びたいね。」

「ねえねえ、今度のお休みもみんなで遊ばない?今度はかわいい服着てさ。」

「いいね、花織ちゃん。」

「みんな、来るよね。お菓子も持ってきてね。」

皆がうなづいた。少女も小さくうなづいた。

 家に帰って、少女は服の入った棚を漁っていた。と言っても、漁るほどの服は持っておらず、数枚の服と、スカートを2、3本、並べて比べるだけだった。

「これは、ピンクだからだめ。これも...ここがピンクだ。」

数日前の女子達の会話を、少女は覚えていた。

「よし、これにしよう。」

選んだ服を畳んで部屋の端に置くと、少女は玄関に向かった。

「くつ...どうしよう。」

少女の唯一の靴は穴が開いていて、汚れ、黄ばんでいた。

「これしかないか。...ピンクじゃないし。」

少女はリビングに戻ると、引き出しを開けて、貯金箱を取り出した。

「あとは...お菓子。」

中には、硬貨が数枚と、何かあった時のために父親がくれた千円札が入っていた。その千円札を使うのに、少女が迷うことはなかった。それほど、少女にとっては大きな希望だった。

 6時ごろ、少女の父親が珍しく早く帰ってきた。

「どうしたんだ?こんなに散らかして。」

リビングに入ってきた父親が手に持つ箱に、少女の目は釘付けになった。

「お父さん、それ...。」

「あぁ、今の靴、もう小さいだろ。だから、前言ってたあの靴...」

父親が言い終わる前に、少女は父親の手から箱を奪い取った。

「おいおい、そんな慌てるなよ。」

笑う父親に見向きもせず、箱を開けた少女の目に飛び込んできたのは、鮮やかなピンクだった。

「...これじゃない。」

「え?」

「ピンクじゃない。これじゃダメ。ピンクじゃダメ。」

「いいじゃないか。ピンクだってかわいいぞ。」

「かわいくない!なんでピンクにしたの?お父さん、全然私のこと分かってない!大嫌い!」

「...そうか。ごめんな。黄色の方がよかったのか。分かった。今から行ってくるよ。」

玄関の扉が閉まった瞬間、少女は我に帰った。扉を開けたが、そこにはもう父親の姿はなかった。

「お父さん...ごめんなさい。」

少女はその場に泣き崩れた。父親が帰ってきたら心から謝るつもりだった。

 次の日になっても、父親は帰って来なかった。少女はどうすればいいか分からず、いつものように学校に向かった。教室に入ると、少女に気づいた女子達が近づいてきた。

「おはよー。遊び、楽しみだねー。」

「...あの、私お金なくて、お菓子買えないの。」

「ふーん...じゃ、びんぼーは来なくていいよ。」

「え...でも前、友達って...」

「友達?言ったっけ?」

女子達が笑った。その笑いが、少女には、とても不気味に見えた。

 その夜、警察が少女の家に来た。

 次の日も、眠いまぶたを擦りながら、少女は学校に向かった。教室に入ると、話し声が一気に小さくなった。

「ねぇ、聞いた?あいつのお父さん...」

「うん、死んだって...。」

そんな中で一際大きな声で話す女子達がいた。

「あいつのお父さん、死んだらしいよ。罰が当たったのかな。」

人気者の男子もその輪に入った。

「ゴミがなくなって、町がきれいになるじゃん。」

不気味な笑い声から目を逸らすように、少女は窓の外を見た。窓から見える川は、連日の大雨で、今にも溢れそうなほど水かさが増していた。


 「歌恋さんの一人娘、花織ちゃんは明るく、友人からも好かれて...。」

静かな部屋に、ニュースの声が響いていました。

「大丈夫?」

俯いた私に、義母が声をかけてくれました。

「あぁ、うん。ちょっと。」

 部屋に戻ると、私は、黄色い新品の靴を、黄ばんだ、汚い靴の隣に並べました。

「お母さん、あなたは私の心の支えだった。お父さん、」

床についた手のひらの上に、何か温かいものが落ちました。

「大好きだよ。」

 リビングで、私は改めて、義父母の前に座り直しました。

「このお金、半分は2人に使ってほしい。もう半分は、使ってもいい?」

「それは構わないんだが、今すぐにか?」

立ち上がった私を見上げて義父が言いました。

「うん。少し出かけてくる。」


 成人の日に、労働問題の解決を目指す組織に、多額の寄付が寄せられた。

 「10年前の、小学生児童数人が溺死した事件で、昨日、加害者と見られる女性が...。」

かすかにニュースの音が聞こえていた。優しい光が寄り添う2足の靴を照らしていた。


 お父さん、お母さん、私は私の罪を償って、恩を返してからそっちに行きます。待っててくれますか?今度は家族3人で...

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罪人 うゆに @iz21033ab

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