1-25 皇女と甘い菓子(3)

 馬車の中にはルイス一人。人目は無いので渋面だろうが何だろうが問題はない。

 むしろ問題は窓の外、そこにいるのはクリスティナの暫定的な婚約者であるレイモンド・エンディ。

 そういえば、奴の屋敷はこの近くである。


「お忍びだ。失せろ」


「そのようですね。サイラス殿が見えましたので。殿下がお出かけとは珍しい。どなたかのお付き合いでしょうか?」


「お前には関係ない」


「まあ、そう仰らず。ひとつ、お耳に入れておきたいお話がございまして」


 いやに食い下がる。空気が読めないわけではないだろうに。


「なんだ」


「ブラウン伯爵家のエイリア嬢と、御関係を?」


 聞かされた名前に、ルイスは眉を跳ね上げた。

 一瞬の沈黙に、馬車の外に立つレイモンド・エンディがほくそ笑んだのが見えたような気がする。


 その名前は、見合い未満の何かのために一度顔を合わせた相手のものだ。幾度となく寄こされた浮かれた手紙で覚えてしまった。

 しかし数日前、今後一切の誤解を生まないようきっちり断ったはずの相手でもある。


 しかしここで御関係とやらを問われるということは、失策があった、ということだろう。


「家も含め、過去に問題は一切なかったかと。社交界でも目立たぬ方ですよ。ただ、ここ数日であまり良くない方々と接触されているようです」


 破談にしたのは正解だったようだが、そもそも縁談をチラつかせていい相手ではなかった、ということか。

 あるいは第二王子妃という餌が魅力的に過ぎたのかもしれない。


「赤の、旅芸人を装った方々です。お気を付けください」


 続くレイモンドの言葉に、ルイスの中に警鐘が鳴り響いた。


「臥せて!」


 悲鳴にも似たその言葉に従ったのは、半ば本能のようなものだ。


 咄嗟に身体を低くして頭を守る。直後に馬車が揺れた。

 甲高い、笛の音のようなものを聴いた気がする。


 馬の嘶きと、剣戟。


 ルイスはそのままの姿勢で、目線だけを上げる。

 先程までルイスの頭があった位置、馬車の壁に深々と矢が突き刺さっている。ルイス自身は無傷だ。


 争う音は、少し離れた位置のように聞こえる。とりあえず間近に危険は無いと判断して、ルイスは伏せた姿勢のまま馬車の外に声をかけた。


「おい」


「無事です」


 応えたのはレイモンドだ。

 ルイスと同じくしゃがみ込んでいるようだが、特に負傷した様子などは感じられない。


「状況は分かるか」


「視界が遮られておりますが見える範囲で射手も含め三人。サイラス殿と、あれは赤の護衛の方ですかね、お二方が応戦中です。言ったそばからじゃないですか」


 最後のぼやきはルイスとしても同感である。


「狙いは殿下でしょうか。とりあえずサイラス殿が手綱は切ってましたので、そのまま出て来ない方がよろしいかと」


 狙いは本当にルイスだろうか。それにしては手際がよくない。

 ルイスが備え付けられた座席の下を探ると、目当ての物が隠されていた。指先に触れたそれを引き寄せる。


「本当に私が狙いだと思うか?」


「さて。心当たりはおありでしょうが、手際が悪いですね。私なら火矢にします」


 まあそうだろう。

 先程のあの矢は当たれば即死だったろうが、結果外れており、ルイスは無傷である。

 ルイスの脚が不自由であることは広く知られているし、火を使うのは有効だろう。

 直接当たらずとも、馬車に火が付けば外へ出ざるを得ない。誰かが手を貸す必要もあるため戦力も減らせる。外に出たところを射貫くことも出来るだろう。


「そうだな。今後火矢で狙われたらまずお前を疑うことにする」


「私がやるなら初手で確実に仕留めますのでご安心ください」


 適当な軽口を叩き合い、平常心を損なわないようにする。


 まれに剣を打ち合う音が聞こえるが、戦闘が行われているにしては静か過ぎるように思えた。騎士同士の戦闘、というより、後ろ暗い者同士による攻防のような。

 もう少し派手な音を立ててくれると、確実にアシュリー達への知らせとなるのだが。


「戦況は」


「あまり良くないように見受けられます」


 狙いについての心当たりは、ルイス以外にもある。むしろそちらが本命だ。


「赤の方は、お身体に不都合でも?」


「ああ」


 戦況のあまり良くない部分については、主にハリルだろう。

 やはりルイスの側にいたのはハリルだったようだ。


 アシュリーはこの襲撃に、早い段階で気付いたのだと思う。店を出る前の詫びの言葉は、恐らく「巻き込んですまんな」だ。

 気付いた時点で城に戻るという選択肢もあったとは思うが、そうしなかったのは何か事情があってのことだろう。

 考えられるのは、襲撃者を捕らえ、首謀者を知りたい、といった辺りか。


 ハリルを置いていったのは、万一を考えてのルイスの護衛というよりは、足手纏いとならぬよう、いや、ハリル自身を守るためだ。


 レイモンドの目から見ても精彩を欠くハリルの動き。サイラスが適当にフォローするだろうが、襲撃者の数も不明。


 サイラスが第一に優先させるのはルイスの安全である。

 いざとなったらハリルを切り捨てることは十分考えられる。そして、ハリルが甘んじて切り捨てられることも。


 ルイスは、座席の下に隠してあった弓と矢筒を窓から馬車の外へと放った。


「えー」


 それを確認したらしいレイモンドが、実に嫌そうな声を上げる。


「あちらの皆さん、本業の方々ですよ。私程度の腕では邪魔になりそうなんですが」


「すぐに加勢が来る。それまでどうにかしろ。ちなみに、赤の護衛は私の婚約者だ」


 ただし暫定だが、と心の中で付け加える。


「ああ、なるほどそういう……って、この襲撃、予定にございました?」


「私が狙われる予定は無かったがな」


 レイモンドが重すぎる溜息を吐いた。


 矢を番える気配。そして、荷が重い、そう呟く声。

 ルイスは壁の向こうで、弓を引き絞る音を聴いた。

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