1-10 赤の皇族(4)
こういう時、配慮をしないフィニアスが、真っ先に口を開いた。
ルイスも気になった点ではあるが、もう少し言葉を選んで欲しい。
場と相手を選んではいるのだろうが、とりあえずここはまず赤の姫君について掘り下げるべきだろうと思う。
ルイスの杞憂を他所に、不躾な問いにアシュリーが気を悪くした様子はなかった。
「まあ、懸念はもっともでしょう。現皇帝の御代における現状の後宮は、そうだな、和気藹々とはとはしていない。立ち回り次第です。手放しで安全とは言い難いが、そこまで物騒でもない。この先の後宮については私次第でもあります。多少の苦労はかけることにはなるでしょうが、私は私の妻を可能な限り守りたいと思っています。それについてはお約束する。信じて欲しい」
正しくこちらの懸念を理解したアシュリーの言葉、最後のそれはクリスティナに向けたものだろう。拒絶も肯定もせず、クリスティナはただ「理解はした」と言うように目を伏せた。
赤の皇太子の言葉は、どうも不必要なほど真摯に思える。
あまりにも、包み隠していない。
「ハリルについても、単純に女児が生まれただけなら、無論母親の身分がどれだけ低くとも王の娘として育てられたでしょう。母親の望むと望まざるとに関わらず。蝶よ花よというわけにはいかなかったでしょうが、そう無下にされることもなかったはずです」
赤の皇国は、皇帝のための後宮が存在している。
やたらと種をばら撒く好色な皇帝がいると、皇家の血を管理する必要があるのだろう。
一度手の付いた娘が、その後の生活を、安寧を得るための鳥籠。飢えることは無い代わりに、自由を差し出す必要のある檻。
望んで入る者も、そうでない者もいるだろう。
どちらにせよ、宮廷を更に縮めた後宮という花園では、つつがなく生きるのに教養と愛嬌、そして運と忍耐が必要となる。苦労は多いはずだ。
「しかし、母親は結果として、赤子を連れて後宮を出た。もちろん、手引きした者がいる。理由は単純で、根深いものです。生まれた赤子が双子だったが故に。双子は、赤の皇国では歓迎されない。凶兆として一方を他所にやるか、場合によっては、もう少し思い切った手段を取ることもあります。流石に皇帝の血を流すことは憚られ、かといって皇帝の血を引く子をその辺に放りだすことも憚られる。市井で生まれた双子にするように、簡単にはいかなかった。そして、タイミングも悪かったのです。その時期、私の兄にあたる時の皇太子が身罷り、後宮はごたついていました。母親が我が子を手放すことを良しとしなかった、というのはあまりにも細やかな理由ではありますが、後宮と母親とで利害の一致があったことは間違いありません。後宮にとっての面倒事を押し付けて、母親は放逐されました。後宮としては、母子共に死産だったで方がつく」
双子を厭う、という文化については知識として知っている。
ルイスにその感覚は無いし、この宮廷でもそういった話は聞かないが、そもそも双子が産まれること事態稀である。
その母親にも、出産に立ち会った者達にとっても、不幸な話だったのだろう。
血生臭い話は絶えない宮廷とはいえ、乳児の生存率は市井と比べるべくもないだろう。
例え命が無事でも身分の無い娘一人、一人でも手のかかる赤子を二人抱えての暮らしは容易ではない。
詳しい経緯など知る由もないが、誰かの、何らかの思惑の結果、とにかく赤子は生き延びた。
しかし、一度死んだ者を生き返らせることはそう簡単ではないだろう。
そうまでして、王女にする理由がわからない。
そして、やはり随分と赤裸々に語っているように思える。
「双子のもう一方も、ハリルと共に私の元にいる。あれには以降も私の元に残ってもらおうと思っています」
言いながら、おもむろにアシュリーが席を立った。
廊下に繋がる入口の扉を軽く叩く。
「不躾であることはお詫びしましょう。ですが、とりあえず会っていただきたい」
そう言って、アシュリーが見たのはルイスだ。
叩いた音を合図に、扉が僅かに開かれた。
音もなく室内に滑り込んできたのは赤の皇太子の従者である二人だ。相変わらず黒い布に覆われた、影のような出で立ちである。
二つの影は並んで両膝をつき、深く首を垂れた。
「従者兼護衛として、私の傍に仕える双子です。ハリル、ナディラも顔を見せなさい」
呼ばれた二人が、頭から被っていた布を下ろし、口元の覆いも外し、顔を上げた。
現れた顔は年若い。クリスティナと同年代に見える。
二人共が皇太子と同じく、褐色の肌に、黒い髪と黒い瞳。共に目の周りを縁取る黒に、眦にさした紅が鮮やかである。
一人は女で、真っすぐな長い髪を後ろで束ねている。
もう一人は男。髪は短く刈り込み、いくらか精悍な顔つきをしている。
性差はあれ、化粧のせいか二人とも醸す雰囲気は似通っている。造作は整っているが、表情は乏しい。
女の方が件の姫、ハリルだろう。
「女が姉でハリル。男が弟でナディラです」
「ハリルと申します」
「ナディラと申します」
抑揚なく名乗った二人は、決してこちらとは目を合わすことなく、そのまま目を伏せた。
完全に臣下のそれである。
「私を守りハリルは傷を負いました。背中から腕にかけて、深い傷が残っています。日常生活に支障はありませんが、武器を持つには支障がある。護衛としてはもう使えず、そんな女をそのまま傍に置いておけば在らぬ憶測を呼ぶ。そんな不名誉は、私にとっても妹にとっても汚点にしかなりません」
跪いたまま、双子は微動だにせず、何の感情も見せず、ただそこにいる。
アシュリーが歩み寄り、労わる様に、ハリルの肩にそっと手を置いた。
掌から伝わるだろう皇太子の熱を、噛み締めているように、僅かに震えた睫毛が見えた。
「私を慕い、忠誠を誓ってくれた妹です。兄としてその献身に報いたい。相応しい男に託したいのです」
赤の皇太子の言葉に、偽りはないように思えた。
真実、そこには兄として、妹に向ける気持ちがあるのだと。そう思えた。
もちろん、情だけではないだろう。
本当にただ幸せを願うなら、国元で相応しい男を用立て与えてやる方がいい。
だが、そうしないのは、最初に語った、青の王国との繋がりを持ちたいというそれもまた、真実だからだろう。
赤の皇太子として、赤の皇国として、その駒として、考えうる中で、与えてやれる最良を。
全てを曝け出すのは、後から、こんなはずでは、と厭われる危険性の全てを排除するためなのかもしれない。
それは、決して青の王国側へ向けての誠意ではない。血を分けた妹に向ける真摯な思い。
それでも求めてくれるかと、求めて欲しい、と。
結局のところ、赤と青の国交と、ハリルに最善の未来を与えたいという、赤の皇太子の表向きの理由に兄としての私情を混ぜ込んだ縁談である。
随分と、赤の皇太子にとって都合の良い話だとは思う。
「良き返答を、期待します」
アシュリーはそう話を締め括った。
皇太子に、妹として愛された娘。
ルイスに嫁ぐことが最善になり得るのか。甚だ疑問である。
この場合の良き返答とは、何だろうか。
ルイスは、そろそろ自分は結婚すべきだと思っている。
今年で二十二歳。王族としての婚姻であれば、既に早いとは言えない。
血脈を次世代に繋ぐことも王族としての大切な役割である。
だからこそ、王の一族は早めに婚姻に至ることが多い。
例えそれが実の無い行為だったとしても、王家のイメージを形作る一部となる。
赤の皇太子は言っていた。「相応しい男に託したい」と。
「相応しい男」とは、何だろうか。
赤の皇太子の眼に叶ったのは、ルイスではない。フィニアスを通して知ったルイスだ。
それは、本当にルイスのことだろうか。
フィニアスは、身内に甘い。その甘さで、赤の皇太子に人となりを語ったのなら、それは嘘や偽りとなりはしないだろうか。
ルイスは、恋愛的な意味で誰かを愛したことは無い。
そんな気持ちを必要だと思ったことも無い。
別に過去に不幸な恋愛をしたとかそういったことも一切なく、ただそういう感性が元々欠けていたのだろうと思う。
向けられる好色的な感情は、不愉快なものとしか感じることができない。
結婚の相手など誰でもいいと思っている。王家にとって不利益をもたらすことない者であれば。
ルイスの邪魔はせず、できれば慎ましく在ってくれればと思う。
そうすれば、ルイスも夫としての役割を過不足なく果たしてやろうと、そう、思っている。
王と王太子が、あの姫を迎え入れるというのなら、ルイスは受け入れる。受け入れるしかない。
国同士の話だ。
第二王子の意向など、関係ない。
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