1-09 赤の皇族(3)

 もしクリスティナが赤の皇国に嫁がせる場合、レイモンドとの婚約は破談とせざるを得ない。

 王からの褒賞、侯爵の望み。経緯を考えれば無下にできるものではないが、青の王国内における結婚に限定すれば、クリスティナの代わりを立てることは可能である。


 グラスフィールド侯爵が孫の相手にと望んだのはあくまで「王女」だ。


 当時は該当する王女がクリスティナしかいなかったが、今は王太子であるフィニアスに娘がいる。

 その一人娘であるエステル王女に、という話にすることは不可能ではないだろう。

 若干五歳で、現在二十一歳のレイモンドとは歳が離れてはいるが、政略結婚であることを思えば特におかしくもない。十分許容範囲だろう。


 強引であることは承知の上だが、侯爵家にとっても悪い話ではない。

 エステルは順当にいけばフィニアスの次に王となる。エステルの相手はただの婿ではく、女王の夫。


 フィニアスやエステル、ルイスの存在がある以上、クリスティナが王になることは考え難い。

 降嫁した元王女を嫁に迎えるか、女王の婿となるか。


 先代女王の王配、ルイスらの祖父は、現グラスフィールド侯爵の弟に当たる。

 再び女王の王配がグラスフィールド侯爵の血筋の者から選ばれるとなれば、否が応にも思い起こされるのは先代女王と王配のことだ。


 民からの信望熱い女王と、その御代を仲睦まじく支えた王配。

 思い起こすことは容易で、そうなればレイモンドが王家に迎えられることを歓迎する者は多いだろう。

 多少の強引さに目を瞑る益はある。


 クリスティナには赤の皇太子の件と、そうなった場合、レイモンドにエステルを宛がうことは、赤の皇太子が来る直前ではあったが既に伝えられている。

 一見無感動に「そうですか」と返答したクリスティナに過ったのは、隠しきれない不安だ。


 きっと、レイモンドはクリスティナよりもエステルを歓迎するかも、とか。

 レイモンドは王配になることを望むかも、とか。

 そんなことをうじうじと考え続けているのだろう。


 赤の皇国へ赴き皇太子妃となり、ゆくゆくは皇后となるか、国内に留まりいずれ降嫁して臣下の妻となるか。

 それらよりも先に、そんな思いを前面に持ってくるあたりどうかしている。

 レイモンドの気持ちより何より、王族として本来気にすべきはそちらだ。


 クリスティナはずっと無駄に思い悩んでいる。

 レイモンドに関わる事については呆れるほど、延々と思い悩み続け、知能が下がり馬鹿になる。

 正直、なんであいつなんだと思わなくもないが、そう簡単にコントロールできるような気持ではないのだろう。恋心というやつは。


 もっと単純に考えれば、クリスティナは想う相手と許嫁になれており、そいつと結婚できるはずなのだ。

 クリスティナが明らかに持て余している恋心は、本当はもっと幸福にだってなれるものなのだと思う。

 ただ、とにかく相手が悪い気がしている。九割ぐらいはレイモンド・エンディが悪い。

 あんなやつだがグラスフィールド侯爵の孫である。

 消すと面倒事になるので控えるが、クリスティナの兄としては腕の一、二本へし折ってもいいのではないかとは常々思っている。


 食事を終え、王妃と王太子妃は眠そうにしているエステルを連れ場を辞した。

 リラも部屋に戻ったため、残されたのは国王とその三人の子、そして赤の皇太子である。


 部屋を移り、それぞれのワインを用意した使用人が下がり、部屋の扉が閉じられた。

 使用人も従者もいない。影の様に付き従っていた赤の皇太子の従者も部屋の外にいる。


「心尽くしの歓迎に、改めて感謝を」


 それぞれ椅子に深く腰掛けた面々が、向かい合ったままそれとなく互いを探る。まだ吞む気らしいアシュリーが、杯を片手に最初に口を開いた。


「満足いただけたようで何よりです。皆も楽しめた。普段宮廷の奥に籠っていると刺激は少ないのでね。貴方の話は好い刺激になったろう」


 アルバートも、それに鷹揚に応える。


「それは、何よりです。青の王家は家族仲が良好なようで、羨ましい限りです。私には兄弟姉妹、親類縁者は多くいるが、心を許せる者はそう多くない」


「うちは昔みんな死んだからな。親類縁者と呼べる王族がいくらかいれば、違ったろうさ」


 身も蓋もない言い方をしたフィニアスを、アルバートが視線で黙らせた。

 本当に身も蓋もないから止めて欲しい。


「それでも、今はこうして穏やかに食事ができる仲だろう。失礼な言い方かもしれないが、王家に嫁ぎ加わった妃達もまた、わだかまりなく席を共にしているように見えました」


 そこまで言ったアシュリーは、杯を置いた。姿勢を正し、王を見据える。


「その中に私の妹、ハリルも加えていただきたいと考えています」


 ようやく本題に入るらしい。

 アルバートに促され、アシュリーが先を続ける。


「我らはお互い不可侵でやってきました。だからこそ、よき隣人でいられた部分はあるでしょう。それでもたった二つしかない人の国です。場合によっては手を携えることもできるかと。何も親密にやっていきたいとか、そういうことではありません。険しい山と砂漠とに隔てられた国同士、そうそう密な関係も築けはしないし、ある程度の距離感も有用ではある。ただ、いざという時に切れるカードを増やしてもいいだろうという話です。お互いにね。手始めに、一人ずつ姫君を交換し姻戚関係を結んでみるのもそう悪くは無いかと思うのです」


 いざという時、とは青の王国においては真っ先に六十年前の変事が上がるだろう。確かに、その時赤の皇国の介入があれば、事態は変わっていたかもしれない。

 良い方にとは限らないが。


「こちらからの、あくまで提案は、書状でお伝えした通りです。私の妹をそちらに嫁がせ、そちらの姫君を私の正妃として我が国へ迎え入れたい。しかし、私にとって優先されるのは、ハリルを嫁がせることです。これは皇帝もご存じのこと。赤の皇国としての総意と取って貰って構わない」


 空気に徹していたクリスティナが、そっと息を呑むのがわかった。


 一呼吸置いたアシュリーは、意を決したように、続きを語りだした。


「私はこの国を、貴方がたをよく知りません。しかし、王太子であるフィニアス殿とは灰白かいはくの大図書館で、長くは無いが昼夜を共に過ごしその人となりをわかっているつもりです。貴方がたご家族のこともある程度聞き及んでおります。加えて、本日ルイス殿とは幾らか時間を共にさせていただき、信用してもいいと、そう判断しました。ですから、腹を割って話をさせていただく」


 アシュリーがその場の面々を値踏みするように、視線を移動させる。妹をルイスの妻にと望む皇太子の視線が、ルイスを捉えた。静かだが、全てを見透かすように。

 ずっと湛えていた笑みを消した皇太子は、真剣な様子で言葉を紡いだ。


「ハリルは、公には皇帝の娘ではありません。現時点では宰相の娘とされています。しかし正真正銘皇帝の種。私の妹です。母親は身分の無い、皇国内の少数民族の出の旅芸人です。宮廷で芸を披露したこと切っ掛けに皇帝の手が付き、そのまま後宮に留め置かれ出産に至りました。ただの一度、戯れに手を出された程度です。出自から疎まれることを恐れ、死産ということにして宮廷を出されました。その後母親が死に、それを宰相が引き取り今に至ります。数年前からは私に仕えている。今はまだ皇帝の娘と呼ぶことはできません。しかし、もし承諾していただけるなら、正式に赤の皇国の娘として貴国へ送り出すことをお約束する」


 訳ありの内容に、ルイスは内心で溜息を吐いた。

 本来死んでいるはずの皇帝の娘など、どう考えても面倒の種でしかない。

 死者は死者のまま、宰相の娘は宰相の娘のまま、そのままにしておいた方が良さそうなものである。


 ここまでの話で、どうでもいい、もといどちらでも構わないと思っていた縁談に対する気持ちが遥か彼方に遠のいた。


 むしろクリスティナの縁談についてが気にかかる。

 優先順位が下であれ、未だ検討すべき事柄には変わりない。

 当人であるクリスティナと、後の二人も似たようなことを考えたようだ。


「赤の皇国は、後宮で姫として育てられるより、野に下る方がマシだと思えるほど、出自で疎まれる危険があるのか?」

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