1-04 王子の婚約(3)

 意図してかせずか姫君の名は書かれていない。

 ただ、書簡にある赤の皇国の姫君に対する微妙な言い回しが引っかかった。


「皇王の娘でなく、皇太子の妹」


 一応検めた書簡を、ルイスは執務机に腰かけるフィニアスに戻した。

 フィニアスがそれを雑に机に放り、何かを言いたそうにしながらもぐっと堪えた風の兄の秘書官が、丁重な手つきで丁寧に封筒に戻した。


「種違いだとすれば辻褄は合うけどな」


 皇太子の妹、とは微妙な言い回しである。

 実権を握り、書簡の差出人である皇太子を主体とした話だとしても、普通は「皇王の娘」の方が通りが良い。

 その辺りはフィニアスの言う通り、種違いであれば辻褄は合う。だが。


「辻褄は合いますが、揉め事の種の様にしか思えません」


 皇王の娘ではないが、皇太子の妹、ということもありえなくはないだろうが、赤の皇家にとっては醜聞となるだろう。

 こちらで把握しているだけでも、両手の指の数で収まらない数の皇子と皇女がいる赤の皇国の話である。


 青の王国として、現状で特に必要としていない婚姻である。敢えて曰く付きの姫君を迎える旨味はあるのだろうか。

 と、そのように考えてしまうのは、別にルイスがこの件を面倒事と思っていることだけが理由ではないだろう。


 何にせよ、他意はない可能性も含め、想像はいくらでも膨らむが想像の域は出ない。


「まあ、赤の皇太子の書くものだ。裏を読もうとするより話を直接聞いた方がいい」 


「それはそうでしょうが」


「なんか苛立ってる」


「こちらを試すような書き方が不愉快です」


 他国の宮廷内の詳細な実情など、正確なものは掴みにくい。

 だが、それを理解したうえで敢えてこちらの困惑を誘うような書き方をしている気がする。

 あまり面白いものではない。しかし、それとて今ここで言ったところで詮の無いことではある。


 なんにせよ、もし今赤の皇国との婚姻の話を正式なものとして受理すれば、つい先ほどの見合い未満の何かを始めとした諸々の話が全て白紙に戻る。

 どうりでいつもなら長く続く追及が控えめだったわけだ。


「父上はなんと?」


 厄介事を持ち込まれるのは困るが、ただ赤の姫君を迎え入れる分には特に問題はないだろう。

 いや、ないことは無いが、なんと言っても青の王国は平和ぼけしていると言っても差し支えないほどには平穏である。


 王太子であるフィニアスの王位継承については盤石であるし、国外から姫君一人を第二王子が王子妃として迎えたところで宮廷内のパワーバランスにさして影響はないだろう。

 むしろ国内で相手を見繕うよりしがらみは少ないかもしれない。


「第二王子妃を赤から迎える事については、一考の余地あり、ってとこだな。だがこちらから王女をやるかどうかは後ろ向きに保留」


 青の王国の王子王女は、国王の三人の子、長子で王太子でもあるフィニアスとその一人娘、第二王子にルイス、王女のクリスティナで全てある。

 フィニアスの一人娘はまだ幼いうえに、いずれ青の王国を治める女王となる身である。


 赤の皇国の言う姫君に該当するのはクリスティナ一人、代わりはいない。

 もし仮にクリスティナを赤の皇国に嫁がせるとなると、色々と面倒な話になる。

 主に婚約者の存在について。


「まあ、そんなわけでな、ルイスには今のところ想う相手はいないってことでよさそうだな? 今日会ったご令嬢も、別に好いてないでいいか?」


「はあ? ……いえ、失礼。特にそういった相手はおりません」


 いないし、つくる予定もない。


 ルイスに話が来ているという事実が、青の王国が持ち込まれたこの縁談を無下にはしないと物語っている。

 王と王太子が是としているのであれば、第二王子の意思など関係はない。


 ルイスはそのように思うが、フィニアスには必要なのだろう。

 ルイスに現在想い人はいない、という無駄にしか思えない確認が。


「ルイス、お前が考えていることはわかる。結婚に夢を見ていないことも、お前の描く理想の己に愛とか恋とかそういうものが無縁であることもわかっている。俺はお前の意思を尊重するし、好きにしていい」


 フィニアスがルイスの顔を覗き込んだ。


 フィニアスの鮮やかな青い瞳は、青の王国が紋章に掲げる青い薔薇、奇蹟を願い希望を謳う色だ。

 全てを慈しみ、自分も、自分以外の誰かも、全てを愛する色だ。ルイスも含めた全てを。なんて、愚かしい。


「だが、自分自身をもっと大切にして欲しい。自分をもっと慈しめ。王族であることに忠実過ぎるな」


 フィニアスは勘違いをしている。

 ルイスが王族であることに忠実だったことなどない。義務感ではないのだ。

 王族らしく、王子であることに忠実に見えるのは、ルイスがそれを必要と思っているからに過ぎない。

 全て我欲から。ルイスはいつだって己の欲に忠実だ。

 誰よりも大切に思うたった一人のために。これまでも、これからも。

 ルイスにとっての王はただ一人。その王のために生きている。


「誰かを愛して、愛されてくれ」


 フィニアスの言葉はどこまでも真摯だ。

 しかしその真摯な言葉もルイスのごく表面を撫でるに過ぎない。


 ルイスはいつものように、第二王子としての自分ができる範囲で、弟思いの兄の言葉をしおらしく受け入れるふりをした。


「善処します。それで、この雑費の件ですが?」


 溜息をついたフィニアスは、それでもそれ以上の言葉は仕舞い込んで、ルイスの提示した書類を手に取った。


「人手がいるだろ。赤の皇族を迎えるんだ。非公式、内密ではあるが」


「は? ……え、はあ?」


「大々的に迎えるわけじゃないが、それでも無防備ってわけにはいかんしな。秘密裏とはいえ一応国賓ではある。うちの国内で何かあれば色々と面倒でもあるしな。いっそこちらに知らせずに来てくれれば何かあっても知らぬ存ぜぬで済ませたんだが」


「……すぐそこまで赤の皇国の方がおいでのような物言いですが」


「昨日、赤の皇太子が国境を越えた。十日後には王都に迎え入れる。準備、頼むな」






 赤の皇国とは、特段国交は無い。

 別に断絶しているわけではないが、おおよその情勢をお互い把握している程度で、基本は不干渉である。

 過去に姻戚関係を結んだことはなく、またその必要もなかった。


 もちろん個人的に行き来する者はいるし、中には姻戚関係を結ぶ者もいるが、あくまで臣民に限った話である。


 それが何故、今王家同士の婚姻の話が浮上するのか。

 そして「皇太子の妹」が持つ意味。


 気にかかるものではあるし面倒事はご免ではあるが、話を受けるにしろ断るにしろ、とにかく赤の皇国側と話をする必要がある。


 件の予算を示し、フィニアスは当然だろうと言わんばかりにそう結んだ。


 理解はできるが、手順も何もかもをすっ飛ばし過ぎている。


 つまるところ、全てが赤の皇国との縁談話に帰結するらしい。

 赤の皇国側と話す必要があり、その話をするために赤の王族を迎える必要があり、そのために一部とはいえ騎士団を動かす必要があり、実は既に第四騎士団の一部が昨日国境を越えた赤の皇太子を王都へ護送するために迎えに向かっており、一行が王都に到着次第、王都及び宮廷内の警護に就く、と。


 騎士団を動かしたことにより急遽予算が必要となったという、それは理解できる。

 人や馬を動かせば金がかかる。


 しかし、それらを雑費でまとめて終わらせようとする辺りが理解できない。

 既に話以上の事態が進んでいることも理解できない。

 ついでに書類の字が必要以上に汚いのも理解できない。

 手っ取り早くこれらの決定事項をルイスに伝えるために、然るべきタイミングでルイスの手に書類が渡ったということも改めて理解したが、理解できない。

 したくない。


 だが、今更不満を口にしたところで無駄だということも、今までの経験から理解できてしまう。


 結局いつも通りに色々な面倒事とそれに対する不満に口をつぐみ、諸々の感情に蓋をして、ルイスは第二王子として成すべきことを粛々と成した。


 かくして、ルイスが知らされてから十五日後の夜。

 赤の皇国の皇太子は、青の王国の王都、その王城へ密やかに迎えられたのである。

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