1-28 別れの挨拶(1)
【side prince】
夜半を過ぎた王太子の執務室、フィニアスが重い溜息を吐いた。
「とりあえず、お前たちが無事で良かった」
最低ラインの戦果だが、その通りだろう。ルイスは聞きながら紅茶を一口飲んだ。
アシュリーは、応接用の椅子に腰かけ、憮然とした様子で腕を組んでいる。
背後に控えているナディラとハリルはフードは下ろした状態で顔を晒しており、一見するといつも通り無表情だが、ハリルの方はどこか憔悴しているようにも見えた。
「それで?」
執務机で組んだ手の上に顎を乗せたフィニアスは、厳しい表情でアシュリーを見、アシュリーは組んでいた腕を解いた。頭こそ下げなかったが態度で謝罪の意を示している。
「悪かった。十分に対処できるものと踏んでいたが、危険に晒した」
「まったくだ。俺の弟妹に何かあれば、決して許さなかった」
「分かっている。軽率だった。このような真似は二度としないと誓う」
「首に誓え。そしてその言葉を絶対に忘れるな。同じような真似をすれば、どのような危険を冒してでもその首を必ず貰い受ける」
フィニアスの物騒な言葉に、背後の護衛二人が僅かに反応を示すが、アシュリーは片手を上げてそれを制した。
「分かった。この首と、祖国に誓う」
フィニアスは、アシュリーの一応殊勝な言葉を受け溜息を吐いた。背凭れに身体を預け天井を仰ぐ。
「あー、もう」
呻いたフィニアスは、疲れたような顔をして正面に向き直った。それを合図にして、フィニアスの秘書官がそれぞれにワインを持ってくる。
フィニアスの手元にはパンとスープ、更に冷製肉が運ばれてきた。どうやら食事を摂る間も無かったらしい。この一時が、休憩を兼ねてもいるのだろう。
午後いっぱいは、現場での事後処理に追われていた。
遺体の処理に、周辺の始末、事実確認、襲撃者の尋問。赤の皇太子が関わっている以上、大っぴらにはしたくない。
対応に当たったのは近衛である第一騎士団。事が事だけに、統括するフィニアスが直接指揮を執り現場にも出向いた。
可能な限りの通常業務を後に回し、出来うる限り迅速に片付けたかったのだ。
噂に尾びれが付きまくり、余人の介入を許さない状況下を作り出すためには、日を跨いで明朝には「全て事後」である必要があった。
この後は書類仕事も含めた残務処理、後に回した通常業務も残っているはずだ。ついでに、リラはまだしも、レイモンド・エンディの件がある。エンディ伯爵家、グラスフィールド侯爵家、双方への知らせを王家から送った。
ルイスと、流石に父も幾らか手分けしているが、一晩程度の無理は致し方ない。
「それで。自分を囮にしてまで誘い出したんだ。収穫はあったんだろうな」
パンをちぎりながら問うフィニアスを前に、アシュリーは既にいつもの尊大な様子を取り戻していた。
「当然だ。生かして捕らえることが事ができたおかげで、ようやく尻尾が掴めた。尋問への協力も感謝する」
言葉通り、アシュリーの要請を受け、捕縛した襲撃者の尋問は第一騎士団の立ち合いの元、ナディラが行った。もちろん秘密裏に、であはあるが。
立ち会った者達が心なしか顔色を悪くしていたようだが、聞きたかった情報は一通り聞き出せたらしい。
「今までは心当たりがあり過ぎて絞れなかったが、これでどうにでもできる。黒幕は、亡き妻の従兄だ」
アシュリーの語り口は穏やかだが、その目は剣呑な光を帯びている。
亡き妻、とは結婚した直後に病床に臥し、半年程前に身罷ったというアシュリーの妃の事だろう。
「立ち入ったこと聞くようだが、なんでまた。横恋慕か」
フィニアスの疑問に、アシュリーは一時、考えるような素振りを見せた。口に出すことを躊躇うような内容なのかもしれない。
関係ないと突っぱねることもできたろうが、アシュリーは結局口を開いた。
「……従兄殿は、妻とは親しかったらしい。妻の側は兄の様に慕っていたのだと聞いている」
アシュリーは、珍しく疲れたような溜息を吐いた。
「結婚について俺は義務だと思っていたし、義務ではあれ夫として勤めは果たそうとしていた。結果、殆ど放っていたようなものだが。相手も同じだと思っていた。望まぬ結婚であり、放っておいて欲しいのだとな。実は望んだ結婚だったとか、俺を慕っていたとか、亡くしてから聞かされた」
フィニアスが呆れたような声を出した。
「お前それ」
「分かっている。妻にとって、結果として不幸な結婚だった。そうしてしまったのは俺だ。妻は、ハリルと俺との関係を疑い、それを従兄殿に相談していたらしい。妻が死んだ後、実際食って掛かられたことがある。あの時は馬鹿なことを、と相手にしなかったが、今思えば、あれが決め手だろうな。肯定と、受け取られたんだろう。……馬鹿なことをしたものだ」
最後のそれは、相手に向けたものとも、自嘲とも取れるものだった。
アシュリーの背後でハリルが目を伏せた。居た堪れないと、そう言いたげに。
「従兄殿が裏で糸を引いていると判った以上、必ず終わらせる。あちらの言い分を聞く気はない」
「証拠はあるか?」
「必要ない。この俺が黒と決めた。それで十分だ」
アシュリーは、傲然とそう言い切った。
ワインを一気に飲み干したその顔は、どこか不貞腐れているようにも見える。
「護衛と称した女を侍らせ、妃である自分を顧みない、そう言っていたらしい。前半は誤解だが、後半は事実だ。美しい女だった。常に微笑みを絶やさず、何を聞いても何を言っても追従するような事しか言わない、美しい人形のような、詰まらん女だった。そう思っていた。くだらん言い訳だな。飽いて、足が遠のいた。そうしているうちに倒れ、病床には来て欲しくないと言われたからその通りにした」
それは、アシュリーの側からの事実。正妃の側から見たら、どうだろうか。
望んだ皇太子との結婚。きっと、緊張もあったろう。
家同士の事でもあれば、よくよく言い含められていたとも考えられる。決して逆らわず、機嫌を損ねず、おもねるように、と。
皇太子の心が離れた事は、話から察するに本人も気付いていたのだろう。正妃でありながら捨て置かれる日々。想う気持ちがあったのなら、その分の落胆も大きかったかもしれない。
その皇太子の傍に在るハリルを、羨んだのかもしれない。羨んで、憎んだのだろうか。
全て、妄想でしかないが。
「腹を割って話すべきだった、そう思っている。そうすれば、防げたものがあっただろう。今更だがな」
ただ、病床に来て欲しくない、そう望んだ正妃の気持ちであれば、ルイスは少し分かる気がした。
見せたくなかったのかもしれない。弱々しい、美しく繕うことすらできない己の姿を。
そう思うのは、何かしらの気持ちを抱く相手だからこそだと、ルイスはそう思う。
「妻には悪かったと思っている。だが、それとこれとは話が別だ。理由はどうあれ従兄を許すことはできない。超えさせてはいけない一線がある。俺は赤の皇国の皇太子だ」
アシュリーはそう締めくくって、何かを決意するように、もう一度ワインを飲み干した。
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