1-23 皇女と甘い菓子(1)

【side prince】


 仕立て屋から戻ったクリスティナは、様子がおかしかった。

 アシュリーの方はいかにもご満悦といった体だったので、また揶揄われたのだろう。

 揶揄われた程度でそう動揺を表に出すものではないと思う。その辺りが可愛げと言えないこともないが。


 ルイスが待っている間に読んでいた件の研究書を閉じたと同時に、馬車は再び動き出した。


 ちなみに、車内で共に二人が戻るのを待っていたリラは、何をするでもなくずっと、ただ茫洋と空を眺めていた。

 そしてこの間、ハリルとナディラは姿を現していない。いないが、恐らくそう遠くはない場所に潜んでいるのだろう。


 ルイスが連れてこられた意味はあるのだろうか。

 今のところ、無い気がしている。


 次に向かったのは、何か食べたいと言い出したアシュリーのための菓子店である。

 昼を過ぎてからの外出のため、各々昼食は何かしら取ってきている。ここは甘い物でも、という話になり、最近王都で話題になっているという菓子職人の店を訪れた。


 焼き菓子の専門店であるその店は、王家ともやり取りがあり、店の奥に貴賓室も備えている。

 微笑んではいるものの、すごく嫌そうに連れて行かれるクリスティナに再び適当に手を振ってさっさと追い出した。

 あれだけ素直な反応が返ってくれば、揶揄うのは楽しいのかもしれない。アシュリーの気持ちが分かるような、しかし兄としては複雑な気持ちである。


 今回はリラも付いていった。

 どうやらリラは飲み食いを好むようだ。燃費が悪いだけかもしれないが。結構な量の食事を摂ると聞いている。


 ルイスは一人きりになった馬車の中、早く帰りたいものだと溜息を吐いて、他にすることも無いため件の研究書を再び開いた。

 開きはしたが、本の内容に大して興味があるわけではない。

 ぱらぱらと読んで理解できたのは、丁寧に吟味して書かれていることと、著者の妄執じみた何かだ。


 そもそもルイスは不老不死になど興味がない。

 不毛だと思う以上に、馬鹿馬鹿しい。ルイスには、その一歩手前すらままならないと云うのに。


 いや、それでも懸命に生きるのが良いのだったか、リラの言葉を思い返すが、自嘲の笑みが零れた。

 懸命に生きるの意味が分からない。生きている以上、成すべきことを成すだけだ。


 それ以上研究書を見る気にもなれず、馬車の窓にかけられた目隠しの為の布を捲る。

 店は王侯貴族の利用を初めから想定しているため、馬車は程よく陰になっていて目立たず、しかしこちらからは面している広場がよく見えた。


 広場では現在、旅芸人が音楽と人形劇を披露しているようだ。

 エキゾチックな楽器の音と、それに合わせた女性の伸びやかな歌声が響いている。

 どうやら人形劇はこれから始まるらしい。まずは音楽で客を寄せてから、ということなのだろう。


 しばらくすると、大きな魚の形をした化け物のような人形が出て来た。

 聴衆の、特に子供のどよめきに、幾らか悲鳴が混じっている。

 劇の方でも、子供の人形らしき物が数体、逃げ惑うような動きをしているのが見えた。

 子供はそもそも感情移入しやすいものだが、それでもあれだけ聴衆を乗せられるということは、音楽と相まって、繰る者が巧みなのだろう。


 音楽と歓声とをぼんやりと聴きながらいると、静かなノックの後に、サイラスが入ってきた。

 手早く二人分の紅茶が供されて、空いたスペースにカップとソーサーが置かれる。


 アシュリーとクリスティナ、そしてリラはやはり店内で食べていくことにしたためか、ルイスの分に、と馬車の中にも届けられたのだろう。

 甘い物は嫌いではない。しかし、である。


 二人分用意されたお茶に、サイラスを見る。

 その視線を受けて、サイラスは馬車の外、己の背後に視線を誘導した。

 そこに佇んでいたのは赤の皇太子の従者兼護衛。双子のどちらか、まあ、恐らくハリルの方だろう。


 いつもの黒いローブは変わらずだが、今はその上から生成りのフードとマントを羽織っている。全身黒ずくめよりは幾らかは何かが緩和されている。


 赤の皇太子の従者はサイラスに促され馬車の中に、腰が引けた状態で入ってきて、頭に被っていたフードを取った。

 顔を見せたのはやはりハリルで、以前見たままの髪形に、化粧も同じである。無表情で、目を伏せている。


 こうして顔を合わせるのは、「寵愛は不要である」と告げられたあの時以来である。

 ハリルの方もそれなりに決まりが悪い程度のことは感じているのか、妙な緊張感を漂わせている。


 ルイスの斜め向かいに腰を下ろしたハリルは、抱えていた包みをルイスに差し出した。


「皇太子殿下より、ルイス殿下にと」


 広げられた包みの中身は丸く焼き上げられたバターケーキである。ハリルの硬い声音にそぐわない、バターと砂糖の甘い香りが漂ってきた。


「胡桃が、お好きだと」


 重ねられた言葉通り、ケーキの上には胡桃が飾り付けられている。


 塊で差し出されたそれに、扉の前に佇んでいたサイラスに頷いて見せる。

 サイラスはケーキを受け取ると、懐から取り出したナイフで適当に切り分け、そのうちの一切れを取り上げた。匂いを確認して、口へと運ぶ。咀嚼して飲み込み、一拍置く。


 そして、切り分けられたケーキは、サイラスからハリルの手元へと戻された。


「後はお任せしても?」


 サイラスはそう言い置いて、ハリルの返答は待たずに馬車の扉を静かに閉めた。

 別に構わないが、誰も彼もがルイスとハリルの親睦が深まるよう望んでいるらしい。

 サイラスの計らいに、ハリルの纏う緊張感が一段階増した気がする。


 二人きりの空間。狭い馬車の中でハリルが跪くスペースは無く、膝にはバターケーキが乗せられている。


 ハリルは落ち着かない様子で視線を彷徨わせた後、意を決した様子で、ルイスに切り分けられたバターケーキを一切れ、捧げ持つように手巾に包んで差し出してきた。


「よろしければ」


 毒見もされたそれを、特に断る理由もない。

 手巾ごと受け取ると、あからさまにほっとされた。

 どういう反応を想像されていたのだろうか。今までのところ、彼女をそう無下に扱った記憶はないのだが。


 やや釈然としない気持ちでバターケーキを口に運ぶ。

 胡桃は上に乗っていた飾りだけでなく、生地にもふんだんに混ぜ込まれている。さらには焼き上げたスポンジにアルコールが染み込ませてあるようだ。

 程よい甘さと、アルコールの豊潤な香り。美味しいと思う。


 ハリルは、包みを膝に乗せたまま、目を伏せ固まっているように見えた。

 まるで、必死に空気に溶け込もうとしているみたいに。


「貴女も食べてください」


 僅かに揺れた肩に、放っておいて欲しいという気持ちが見えた気がする。

 だが、もちろんルイスの知ったことではない。


「ですが」


 未だ身分を気にしているのだろうが、そんな必要は無い。

 だから、ルイスは問題をすり替えてやった。


「甘い物はお嫌いですか」


「……いえ」


 僅かな間は、何らかの葛藤だろうか。


「胡桃がお嫌いでしたら違うものを用意させますが」


「いいえ!」


 そう言えば、ハリルは勢い込んで応え、躊躇いがちにではあったがバターケーキに手を伸ばした。

 断れば自分のために余計な手間を掛けさせてしまう、という非常に判りやすい思考が透けて見える。


 皇王の影、と云うにはあまりにもそぐわない、分かりやすい反応をするものである。

 もしかしたら、本来は素直な質なのかもしれない。その性質は、影として生きるには不幸なものでしかないだろう。

 あくまでルイスの、想像でしかないが。


 しかし、ハリルは何かを思い直した様子でケーキを掴もうとしていた指を握り込んだ。


「…………私は」


 ハリルが言葉を発した。


「殿下に、その……とても、失礼な、事を」


 一言一言、迷いながら、言葉を探しながら、ようやく発せられたその言葉に、ルイスは微笑んだ。

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