1-22 外出(2)
二組の男女。もちろん、ハリルとルイス、アシュリーとクリスティナ、の組み合わせである。
何故かリラもいるが。
いや、そういう意味でならサイラスとナディラも馬車の中にはいないが、外にいる。随行している。
そもそもハリルも随行者になってしまっているので、デートとして成立しているのかあやしい。
元々、アシュリーとフィニアスが、ルイスとハリルを二人で出かけるようにけしかけていたらしい。
おそらくルイスのことだから、すげなく断ろうとしていたのだろう。
ところがそこへクリスティナとリラが件の研究書を持って現れたことで、少々風向きが変わったのだ。
主にアシュリーの気分、あるいはそう見せかけた何かの。
それまでの流れを無視してアシュリー自身が城下へ行きたいと言い出した。
件の研究書、その著者に会いたいと言い出したのである。
その様子からは、溢れ出す明らかな好奇心が見て取れた。あるいはそう見せられた。
ちなみに本が内宮に持ち込まれた経緯は結局分からず仕舞いである。
王や王妃などにも確認したが、心当たりのある者はいなかった。
それとは別に、著者については拍子抜けするほどあっさり割れた。
本の中にある著者のサインに偽りがなく、外宮の図書館に詰めている司書や研究者の中で、そこそこ名が知られていたのである。
どうやら色々な意味で知名度のある人物らしい。
「不老不死の研究をしているニコラス・ガル」といえば、「ああ、あの……」と言葉尻を濁す者が多いという類の知名度。
居住地も普通に判明した。
それを知ったアシュリーが何故か著者本人と会って話をすることを望み、リラもまた興味を示した、という流れである。
もちろん本来であれば、研究者を城に呼び出すところではある。
大抵の研究者は城から呼び出されれば、喜び勇んでやってくる。
呼び出されるというそれ自体が、自らの研究が国に認められ、評価されたという事実に他ならないからだ。
世間に認めさせることができる、という承認欲求だけに留まらず、あわよくば国をパトロンとして研究費用を引き出すことができる。
しかし、今回の件は、そういうわけにはいかない。国として、間違っても不老不死の研究を認めているなどと思われるわけにはいかない。
となると、件の研究者に会うためにはこちらから出向く必要があるわけだ。
アシュリーとリラの二人が行くというのを「いってらしゃいませ」と見送るわけにもいかない。
会議やら何やら予定が積み上がっていたフィニアスが同行を断念したため、アシュリーたっての希望で仕方なく、クリスティナとルイスが同行することとなった。
書類仕事を取り上げられてなお、ルイスは相当渋っていたが、馬車に押し込められた辺りで諦めたようだ。
ちなみに、クリスティナは、カムフラージュに騎士に見える服装である。
白のパンツに革の長靴。濃紺の上着に銀の飾緒、腰には剣を佩いている。
帽子の中に目立つ白金の髪を押し込んでしまえば、クリスティナをよく知る相手でもない限り王女であると悟られることはないはずである。
これで本が城に持ち込まれた経緯について、城から騎士が問い質しに来た、という体が作れる。少なくとも相手はそう思うだろう。
王女や王子が直接出向いては余計な期待を煽る。こちらとしても本意ではない。
そんなことをつらつらと考えている間に、最初の目的地に到着した。
アシュリーが、着ているローブのフードを目深に被る。
怪しい出で立ちであるが致し待たない。その顔はもちろんだが、どうせなら肌の色もなるだけ人目に晒さない方が良い。
御者の恰好をしたサイラスが馬車の扉を開いた。こちらも表情が伺えないほど帽子を目深にかぶっている。
サイラスについては、それなりに風貌を知られていることと、何よりサイラスが第二王子の従者であることが広く知られているための雑な変装である。雑だが効果はそれなりにあるだろう。
サイラスがいればルイスもそこにいると勘ぐる者は相当数居る。
そのサイラスに手を取られて馬車を降りたクリスティナは、到着したその建物を確認して内心で眉を顰めた。
馬車を振り返って、車内に残る兄を見る。
ついでにリラもそのまま馬車に残るようだ。
馬車から出てくる気が少しも無いらしいルイスは、頬杖を突いたままつまらなそうに片手を振った。
さっさと行って来いということらしい。
「さあ、行こうか」
アシュリーがクリスティナの腰に手を添えて、強引に店内へと押し込んできた。
店内に押し込まれたクリスティナは、抵抗する間も無くさらに奥の貴賓室へと押し込まれた。
王室御用達の仕立て屋である。
顔馴染みの店主は、腕の良い職人でもあり、商魂逞しい商売人でもある。あれよという間に、溢れるほどの生地に囲まれた。
そのクリスティナの前には、豪奢な椅子に足を組んで満足そうな様子のアシュリーがいる。着ていたローブは脱ぎ捨て素顔を晒しており、店主にあれやこれやと指示する姿は実に堂に入っていた。
「よし、その赤い布地が好い。そう、その光沢のあるやつだ。それに刺繍を入れてくれ。糸は金がいい」
「かしこまりました」
「どこかに蓮も入れたいな。ああ、あと肩が出るデザインがいい」
「こんな感じでしょうか」
さらさらと描かれたデザイン画にアシュリーが頷いている。
赤と金の色遣いに、蓮。
金の獅子と赤い蓮を紋章に掲げる赤の皇国を思わせるデザインである。そんなドレスをどこで着ろというのだろうか。
クリスティナに布地を宛がっている以上、クリスティナのために仕立てさせる、という事だろう。
一応固辞は試みたが、予想通り無駄だった。
さんざん布を当てられ短時間で疲弊したクリスティナを、衣裳部屋の肥やしにしかならないだろうドレスを注文したアシュリーが手招きした。
「おいで」
行きたくない。
まるで、仔猫を呼ぶようにクリスティナを呼ぶアシュリーに、警戒心が芽生える。それを分かっているだろうに、実に楽しそうな笑顔で手招きされ続けている。
「俺が行こうか?」
嘆息して近付くと、腕を掴まれ、そのまま強引に手を引かれた。よろめいてたたらを踏み、気が付けば、アシュリーの膝の上に座らされていた。
全然意味が分からない。
動揺し過ぎて言葉もないクリスティナに、アシュリーが満足げに微笑み、そのアシュリーに、店員から何かが差し出された。
手に取ったそれが、クリスティナの胸元に翳された。
ぶどうの実サイズの黒い石だ。
「うん。これでいい」
それは、ない。
膝から飛びのいたクリスティナには気にした様子もなく、アシュリーは手にしていた宝石を店員に戻した。
黒い宝石。よく見れば複雑な色味の虹彩が煌いている黒い宝石だ。
アシュリーの、瞳の色と同じ。
「ドレスの胸元に」
命じられ、店主は恭しく頭を下げた。
「困ります」
がそれだけ言うと、アシュリーはようやくクリスティナと目を合わせた。
店主達が一礼して貴賓室から出ていくのを待って、クリスティナはもう一度繰り返す。
「困ります。殿下」
「なぜ」
アシュリーは、とても楽しそうだ。楽しそうに、クリスティナを追い詰めている。
「愛しい姫君に、ドレスを贈りたいだけだ。騎士を装うその格好も凛々しくて愛らしいが、どうせなら己で着飾らせたい」
「あの石は」
「ただの石だ」
本当はクリスティナが何を気にしているのか、そんなこと分かっているだろうに。
ゆっくりと立ち上がったアシュリーに、足が勝手に後ずさる。気圧される。
微笑んでいても、アシュリーの眼光は鋭い。
「でもそうだな、君がただの石以上の価値をあれに見出すのなら」
気が付けば、背中が壁についた。
黒い瞳は、複雑な色味の虹彩が煌いている。石と同じ。
いや、石が、アシュリーの瞳と同じ色をしている。
「俺は、紫紺の石が欲しい」
自分の瞳の色をした石を贈るのは、特別な行為だ。
心を寄り添わせようとする、特別な。
「その瞳と、同じ色の石が欲しい」
アシュリーはまるでクリスティナの心に触れるように、優しく囁いた。
「大事にする。宝物にすると約束する。クリス」
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