1-02 王子の婚約(1)

【side prince】


 クリスティナはレイモンドの背中をほんの僅かな時間見送って、身を翻した。


 見えない顔は、王女らしく微笑を浮かべているのだろう。

 嘘と見栄ばかりで固めて、ほんの僅かな本当を、王女らしい微笑の下に隠して。

 歪んで拗れて絡まって、ぐちゃぐちゃになってしまった感情を持て余し、それでもなお、王女の顔をして微笑むクリスティナは、馬鹿で、哀れだ。


 馬鹿で哀れな妹の後ろ姿を視界の端で眺めたルイスは、少しだけ冷めてしまったお茶を一口飲んだ。


 ルイスが居る大回廊を望む二階のバルコニーは、植え込みによって絶妙な目隠しがされており、大回廊からでは存在は見えても話の内容までは届かない。

 会ったことは知らしめたいが、その内容までは伏せておきたいだとか、閉じられた部屋は困るが、衆人環視の中では微妙な場合など、大いに役立つ。

 例えば、断る程ではないが少しも気が乗らない見合いの時だとか。


 ため息をまた一つ飲み込んで、誰かの娘か親戚か、よくは知らないどこかの令嬢との見合い未満の顔合わせに、ルイスは意識を戻した。


 ルイス・アジュールは、白磁の肌に蜂蜜色の髪、繊細な美貌で知られる青の王国の第二王子である。


 その第二王子を前にして極度の緊張を強いられているらしい見合い未満の相手は、何やら期待を込めた眼差しでルイスの様子を伺うように息を詰めている。

 恐らく、先程何やら喋っていたようなので、それが疑問符を付けて終わったか、そうでなかったとしても何かに対する感想を求められているのだろう。

 少しも聞いていなかったので正解は分からない。

 背後に佇む従者は全て聞いていただろうが、わざわざ確認して応えてやる程の熱意も義理も無い。


 お茶をもう一口飲む間にそう結論付けて、ルイスは薄く浮かべていた笑みを深めて見せた。

 花も恥じらうなんとやらだ。

 それを直視した令嬢は、どぎまぎと頬を赤らめて俯いた。

 実に馬鹿馬鹿しい限りだ。


 会って、話をして、茶を飲んで、それを誰かに見せた。

 充分だろう。


 クリスティナに劣らず、自分も充分馬鹿で哀れかもしれない、そうひとりごちて、ルイスはもう一口だけお茶を口に含んだ。

 華やかな香りは、ほのかに甘く、僅かに苦い。






 ルイス・アジュール、青の王国の第二王子は、剣士としても名を馳せる奔放な兄王子とは正反対である。


 兄王子が快活とか明朗とか形容される一方、繊細とか儚げとか物憂げであるとか虚弱とか陰鬱などと囁かれている。

 繊細というのはその内面もあるだろうが、外見を謳う形容詞にされることも多い。


 繊細な美貌。

 有用な事実ではあるが、何よりも、生まれついて病がちであったこと、そのイメージは大きいのだろう。

 成人を過ぎた今はそうそう伏せることも少なくなったのだが、幼少期のそれは簡単に払拭されないらしい。


 そして不自由な脚の為、車椅子での生活を余儀なくされているという事実がイメージの補強に拍車をかけている。


 王族であることとその美貌、それらを補って余りあるあまり喜ばれないイメージ。

 総評としては苦いものが多い。

 だが、王子は王子。

 場合によって必要なのは、その高貴な血筋と装飾として見栄えのする容姿である。


 例えばそれが男女の話になったとき、ルイスへの評価は少し変わってくる。

 人前に出れば色目に晒され、未婚の王族には付き物である見合い話は引きも切らない。

 うんざりすることに、脚が不自由であるという事実さえ、庇護欲をそそる材料へと変わりうる事があるらしい。


 種類はどうあれ向けられるのは好意である方が望ましいし、王族としてそれらを義務と割り切る思いはもちろんある。

 だが、それでも煩わしさは拭えない。

 煩わしく、不愉快でもある。


 そもそもルイスは忙しい。

 宰相に師事、と言えば聞こえはいいが、どちらかというと体よく使われているルイスは、内政に深く関与している。


「如何ですか」


 しばらく黙って車椅子を押していた従者に声をかけられて、ルイスは意識を背後に向けた。

 そのルイスの手にはいくつかの報告書がある。


「騎士団からの予算報告の字が汚い。あと謎の予算がある」


 今しがた目を通したばかりの報告書を示し、とりあえず気になったことを伝える。


「いえ、お聞きしたかったのは先ほどのご令嬢の件です」


「我が国の誉れある騎士団にはまともに字が書ける者がいないのか? あとこの予算おかしいだろう。私のところに持ってくる前に改める者はいないのか」


「……騎士団長御自らお持ちになりましたので」


 一瞬何かを言いたそうにしながらも、第二王子の侍従であり秘書官でもあるサイラスは、とりあえず「件のご令嬢」については脇に置き、報告書についての言葉を口にした。

 ルイスにとってあまり歓迎できる内容ではなかったが。


 騎士団長、正確には第一騎士団団長だろう。

 第一騎士団は騎士団の中でも特別な存在である。

 有事には王自ら指揮を執る「王の騎士」。通常は王族の身辺警護にあたり、儀礼式典等では表立つことも多い、いわゆる近衛である。


 その第一騎士団の団長御自らお持ちになったという報告書にもう一度目をやる。

 字が汚い。

 走り書きのようなそれは、ぎりぎり読めるし体裁も一応整ってはいるが「読めればいいだろ」という、隠そうとすらされていない意思がはっきりと見て取れる。


 そして、少なくはない謎の予算が組まれている。

 例えばそう、数日にわたり騎士団を総動員しての厳重な宮廷及びその周辺の警護でもしそうなぐらい。


 そんな額を雑費でまとめるのは少々無理があるのではないだろうか。

 そして、その無理を平然と押し通そうとするのが、誰あろう第一騎士団の団長である。


 普段は腹心の一人である副団長が予算や報告書、その他諸々の騎士団の運営に関する書類仕事を抱えつつがなくこなしているはずだが、時折長がこうしてしゃしゃり出てくる。


 あまりこのタイミングで顔を合わせたくは無いが致し方ない。

 謎の予算編成を行おうとする第一騎士団長に意見できる者はそういない。


 つまりこれは「どうにかしてくれ」と第二王子であるルイスが泣きつかれているのだろう。

 致し方ない、のかもしれない。

 ルイスは本日何度目かの溜息を噛み殺した。

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