料理に大切なものは?
休日。
マフユは自室に缶詰になっていた。机で一生懸命、小説を書いている。
というのも、小説の締め切りの期限が迫っているのだ。
「やばいな、締切までもう時間がないぞ」
せっせと手を動かしていると──
ピンポーン。
「なんだ、こんな忙しい時に……」
唇を曲げながら、マフユはインターホンの対応をした。ドアを開けると、訪問者が立ち尽くしていた。
「……ハルか」
「じゃあーん、私参上!」
駆けつけたヒーローの如く決めポーズをするハル。
家の前で変なポーズをする相手をマフユは興醒めした目で見ていた。
「そういうのいいから」
「えーん、マフユちゃんが冷たいよお」
ハルは反応がないことを嘆き悲しんでいた。
マフユはお構い無しで質問を投げかけた。
「で、今日は何のようだ? 生憎、私は今日、忙しいんだ」
「えー、なんでー?」
「本の締切がもうすぐそこまで迫ってる」
「へえ、そうなんだ。でも、なんかかっこいい」
「はあ、かっこいい?」
ハルが何を言っているのか、マフユは理解出来なかった。
「うん、締切があるからってやつ、モテる男は辛いぜに通じるものがあるよ」
「何を言ってるんだ、お前は?」
やっぱり意味が分からない。
ハルを理解するにはまだまだ時間かかりそうだとマフユは思った。
「とにかく用がないなら帰れ」
追い出そうとすると、ハルは懸命にその場で粘った。
「待って待って! 真面目にやるから」
「はあ、だったら最初からそうしてくれよ。で、何のために来た?」
「これ」
ハルは持参したスーパーの袋を見せつける。
マフユは思わず反応に困った。
「なんだこれ? 差し入れか?」
「違うよ。」
否定すると、ハルは今度、袋の中身を公開した。そこにはなんと違った種類のたくさんの野菜がぎっしりと詰まっていた。
「ジャーン」
「おお、こんなにたくさん食材が……ということは?」
期待の眼差しを向けると、ハルは腰に手を当てて、宣言した。
「うん、今日はマフユちゃんの家に料理しに来ました」
「料理か。それはありがたい」
マフユはフーバーばかりの生活に飽き飽きしているところだった。丁度、誰かのつくった料理が食べたいところだった。
喜んでいるマフユを見て、ハルも嬉しくなった。
これは作り甲斐がありそうだぞ。ハルは密かに張り切っていた。
「しかし、人がつくる料理は久しぶりだな。私にとっての料理はプラスチックの容器に入ってるものだからな」
「フーバー頼みすぎだよ、マフユちゃん!」
たまにならいいが、毎日は流石にまずいだろう。
ハルは自分ならそんな生活、耐えられないと思った。
「そんなんじゃ、栄養偏っちゃうよ。そうじゃなくてもマフユちゃんは栄養ドリンク飲み過ぎでヤバいんだから」
「何を言ってる? 栄養があるから栄養ドリンクじゃないか」
そんなことを真顔で言ってくるマフユ。
これはかなり重症だとハルは感じた。
「だからって飲み過ぎはよくないよ! さてと、じゃあ、キッチン借りるね」
そう言うと、ハルは気合いを入れるために、エプロンを身にまとう。可愛らしいデザインのそれはハルにマッチしていた。
「ああ、ならば、私は執筆作業に戻るから」
「うん……って、ああ!」
部屋に戻ろうとしていたマフユはハルの声を聞いて、慌てて引き返してくる。
「どうした?
キッチンに立っていたハルは震えた声を絞り出す。
「マフユちゃん……」
「なんだ?」
「キッチンに調理道具がないよ!」
ハルの指摘は全くその通りだった。
雪園家のキッチンは回送電車のようにガランしていた。お玉やフライ返しはおろか、包丁すら存在していなかった。
とてもじゃないが、こんな状態では料理することなんて出来ない。
マフユは参ったという風に首の後ろに触れる。
「あ……確かにうちは料理とかやらないから……すまないな。じゃあ、料理はまた別の機会に──」
今回は諦めてもらうしかない。
促そうとする前にハルは迅速に行動していた。
「じゃあ、私、買ってくるね」
そう言い残すと、ハルは一瞬で部屋を飛び出した。あまりの勢いのよさに風が巻き起こった。
一人、取り残されたマフユは目をパチパチとさせるしかなかった。
「ええー! どれだけやる気なんだよ……って、私も作業に集中しないと」
いけない、重要なことを忘れるところだった。
ハルのことは気になるが、マフユは自室へと急いだ。
かたや、ハルの方は近くのホームセンターに立ち寄り、調理道具一式を買い揃えると、すぐに引き返した。
キッチンまで戻ってくると、再びエプロンをきつく縛った。
「よし、これで調理道具も揃ったことだし……ただいまより料理を始める」
まるでオペを始める前の医者のような手つきで、ハルは料理に取りかかった。
あれからずっと部屋に籠りっぱなしのマフユは続きの展開が思いつかず、頭を悩ませていた。
「ああ、ここの場面どうしようかな。ああ、悩む~」
そうしていると、異臭が鼻を刺激した。
「なんかすごい匂いがするぞ」
匂いはドアの隙間から漂ってきていた。恐らく発生元はキッチンで間違いない。
「ハルのやつ、何をやって……」
執筆を中断して、マフユはキッチンを目指した。早足で向かうと、思わずキッチンの前で立ち止まった。
「うわあああ、何だこれ?」
「何って何が?」
ハルはマフユの反応の理解に苦しんでいた。平然とした様子で、惚けた顔を浮かべている。
だが、そんなハルの方こそマフユは信じられなかった。
なんとキッチンは地獄の様相を呈していた。こげたフライパン、謎色のミキサー、変色したぐつぐつ鍋。恐ろしい組み合わせが出来上がっていた。
何をどうすればこんな状態になりうるのだろうか?
さっきまでろくに使っていなかったこともあり、綺麗だったキッチンは様変わりしていた。これじゃビフォーアフターの逆だ。ハルは匠ならぬアンチ匠だった。なお、そんな職人は不必要である。すぐにお払い箱だ。
あと、異臭はやはり、キッチンからだった。しかもそこかしこからしてくる。
ハルの方はなんで無事でいられるのだろうか? 鼻が機能していないのかもしれない。
マフユは鼻を塞いでいるにも関わらず、匂いでダメになりそうだった。
「お、おふ……」
他方、体調万全のハルは元気よく告げた。
「それよりマフユちゃん、丁度よかった。もうすぐ出来るからテーブルで待ってて」
「そ、そうか」
なあなあで着席させられると、テーブルに順に料理が並べられていった。
が、料理が運ばれてくるたびに、真冬の顔色が悪くなった。
それもそのはずで、あんな死屍累々たるキッチンから届けられる料理が美味しいはずがない。どの料理の見た目もおどろおどろしい妖怪みたいだった。
まだ直接、味わっていないにも関わらず、マフユは胃から戻しそうになった。やばい、口の中が酸っぱい。
「はい、完成」
全ての料理の運搬を終えると、ハルはすし◯んまいの社長のような腕を広げたポーズをしてみせた。
なんなんだ、これは……。
声には出さず、心の中で呟いてみる。
マフユの前には常人ではけしてつくることが出来ない、尋常ではない料理たちが並んでいた。
それからハルはマフユに向かって、酷なことを言い放つ。
「たーんと召し上がれ」
「う、嘘だろ……」
マフユの身体を戦慄が駆け抜ける。
そこでマフユはこれから食べることになるかもしれない料理を順番に観察していくことにした。
まず一番マシな卵焼きから。本人は上手く出来てるつもりなんだろうが、完全にスクランブルエッグである。
次に肉料理だが、肉が焼け過ぎていて、黒焦げだ。これじゃただの炭じゃないか?
次はサラダだ……これは本当にサラダなのか? 丸ごとの人参が中心におっ立っているぞ?
最後にこのスープ。トマトやブロッコリーなどの野菜が水死体のように浮かんでいて、色も匂いも何もかもがやばかった。どうしたらこんな泉が誕生するのだろう?
全く、地獄絵図という言葉はこの光景にこそ相応しい。
顔面蒼白になっているマフユの前で、ハルは手で顎を支えて、満面の笑みを湛えていた。
「ふんふん」
「くっ」
この状況、逃げるわけにはいかないだろうか?
その手段について考えていると、ハルは不審な顔を向けてきた。
「どうしたの、真冬ちゃん? 食べないの?」
「いや、ちょっとな……」
誤魔化そうとすると、代わりにハルが催促してくる。
「ええー、早く食べなよ。ほら、このスープなんてオススメだよ」
そう言うと、ハルはスプーンで液体をすくい取った。それをマフユの顔の前に差し出す。
よりによってスープか!
マフユの中に絶望が広がっていく。顔はますます血の気が引いて、青白く変わっていく。
ジーッと間近で監視してくるハル。
こうなったら、仕方がない。一口なら大丈夫だろう。
覚悟を決めると、意を決してスープに口をつける。
「んっっっ!!?? おろおろおろおろ」
直後、マフユの身体に異変が生じ、胃の中のものを吐き出してしまった。
「ま、マフユちゃん!?」
ハルはパニックになって、椅子から立ち上がる。
なんて味だ。私がこれまで食べてきたものの中で一番最低の味だ。
マフユの方はなかなか吐き気がおさまらない。
ハルの方も気が気でなかった。早速、手元にあった布巾を手渡してくる。
「大丈夫?」
「……平気だ」
本当は全然、平気じゃないが、ハルを心配させないため、マフユは気丈に振る舞ってみせる。
「……ごめん」
俯いたハルがポツリと漏らした。
布巾で口元を拭いながら、マフユはハルを気にかける。
「どうした、ハル?」
ポタポタ。
机の上に雫が落ちてくる。
もちろん、雨が降っているわけじゃない。ここは室内だ。
「泣いてるのか?」
そう、ハルは涙を流していた。目尻に溜まった雫は頬を伝って流れていく。
続いてハルは謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね、マフユちゃん。こんな不味いもの食べさせて」
「いや、私は別に……」
「本当はね、私、この前、マフユちゃんを無理矢理、学校に連れていって、嫌な思いをしたかなと思って、そのお詫びがしたかったの」
ハルは隠していた本当の思いを打ち明ける。
実はハルはあのときのことが心残りで、ちゃんと謝りたいと思っていた。そこで今回の食事会を設定したのだった。
真意を知らされたマフユは言葉に詰まってしまう。
「ハル……」
「だけど、こんなんじゃ逆効果だよね。マフユちゃんも全然、嬉しそうじゃないし……私、もうダメかも」
ハルは両手で顔を覆い隠す。か細い声で泣き、肩をひくひくと震わせている。
そんなハルの姿を見て、マフユは胸中が複雑になってしまう。
……そうだったのか。ハルは私を元気づけようとしていたのか。それなのに私は……。
マフユは今度、ハルの気持ちを全く考えていなかった自分に腹が立ってきた。無意識のうちに歯軋りをしてしまう。
怒りに駈られたマフユは例のスープを手元にぐっと引き寄せる。
「ごめん……って、マフユちゃん!?」
泣いていたハルだったが、マフユの行動を見て、唖然としてしまった。
マフユはなんとあのゲキマズのスープを飲んでいた。しかも有り得ないスピードで。
「うおおおおおおお」
スポーツの競技であるかのように、叫び声を伴いつつ、マフユは一気にスープをすすっていく。
ハルはアワアワしながらも、すぐにやめさせようとする。マフユの肩を両手で抑えつける。
「やめてよ! また気持ち悪くなるよ?」
「ぐっ……」
言ったそばからマフユは吐きそうになる。
「ほら、言った通りじゃん」
「うるさい」
マフユがハルを一喝する。
「私はハルのつくった料理が上手いと思ってるから食べているんだ。ああ、上手すぎて手が止まらない」
マフユは反省していた。
私が間違っていた。ハルはこんな私のために一生懸命作ってくれた。その努力こそが料理の不味さを吹っ飛ばすくらいの最高の隠し味なんだ。
もはや味なんて気にならなかった。今なら何杯でもおかわり出来そうだった。
スープだけではなく、他の料理にも口をつける。
「ガリガリ、はふむしゃっ、ずずず」
すごい勢いで料理が減っていく。まるで早送りしているみたいだった。
ハルはその様子を見て、感激していた。自分の拙い料理を頑張って食べてくれるマフユの姿を見て、心打たれてしまった。
「マフユちゃん!」
「!?」
「ありがとう、私、嬉しいよ」
抑えきれずハグしてしまったハルはマフユの身体を激しく揺らした。
するとマフユの顔色がみるみる悪い方向に変化していく。
「……おい、身体を揺らさないでくれ、吐きそうになる……」
「え?」
直後、空に綺麗な虹がかかった。
* * *
後日。
マフユは相も変わらず、部屋に籠もり切りで、小説を執筆していた。
因みにこの前の締切はなんとかやり過ごすことが出来た。
「しかし、今思えば、すごいことをやってしまった」
マフユはあのときのことを思い出していた。
あの食事の後、マフユは一時間もお手洗いに籠ってしまった。お腹の調子が最悪だったからだ。
「もうハルの料理はこりごりだ」
ピンポーン。
噂をすれば本人の登場だ。
マフユには相手が誰なのか分かっていた。第一、ここをたずねてくる人間はごく限られている。せいぜい彼女とフーバーの配達員ぐらいなものだ。
インターホンに出ると、やはり、彼女だったので、マフユは例によって中に通した。
ノックが聞こえて、扉を開くと、私服のハルが立っていた。
「マフユちゃん、料理持ってきたよ」
「断る!」
ハルが料理入りのタッパーを手渡そうとすると、マフユは壊れそうな勢いでドアを閉めてしまう。
そして、二人の不思議おかしな日々はこれからも続いていく。
隣の先生~お隣さんが有名作家だった件について~ 紀悠軌 @kinoyuki
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