学校に行こう
外は朝の日射しに包まれていた。
高層マンションの一室、そこには雪月花という
「むにゃむにゃむにゃ」
今は熟睡中で、起きる気配は全くない。
いつも起きてくるのは昼過ぎで、今はまだ睡眠時間だった。
ピンポーン。
いきなり呼び鈴が鳴って、眠りを妨げてきた。
すると布団の中がもぞもぞと動いて、中からマフユが転び出た。
「誰だよ、こんな時間に」
部屋を出たマフユはカリカリしながら、インターホンに出た。
「はい」
「あ、マフユちゃん、約束通り迎えに来たよ」
訪問者は昨日と同じハルだった。
「約束?」
約束って何だっけ?
まだ寝惚けているマフユは全く頭が働かない。
「まあ、いいか」
ピッ。
ロックを解除して、ハルがマンションの内側に入ってこれるようにする。
程なくコンコンというノックの音が聞こえてきた。
ガチャッ。
マフユが扉をオープンすると、ハルがドアの前に立っていた。
「マフユちゃん……って、お化け!?」
ハルはびっくりして叫んでしまい、尻餅をついた。
なんとマフユは長い髪が前に垂れていて、顔を覆い隠し、お化けみたいになっていた。もし深夜にその姿を見たら、全員がその場から逃げ出すに違いない。
「違うぞ、ハル。私だ」
誤解をなくすために、マフユが顔の前から髪を取り除く。
本人の顔が現れて、ハルはやっとほっと一息つくことが出来た。
「なんだ、よかったぁ……って、パジャマじゃん。早く着替えないと」
そのまま出迎えたマフユはなんと部屋着だった。着替えをする暇なんてなかったからだ。
「なんで?」
「ええ? 一緒に学校行く約束忘れたの? ほら、急いで着替え」
昨日のことが完全に抜け落ちていたマフユは、ハルに強引に部屋に押し込められた。
それからハルはマフユの身ぐるみを剥ぐと、学校の制服に着替えさせ始めた。
「な、何をする?」
「文句言わない。ちゃっちゃとする」
「た、助けてくれ~」
SOSを求めるマフユだったが、それに応じる者は皆無だった。
* * *
「で、不登校児を連れ出してきた、と」
ナツホはハルによって着替えさせられ、学校に連れて来られた哀れな女子生徒を観察していた。
「えへん」
成果を上げ、胸を張っているハルに対してマフユは憤懣やる方なかった。
誇ることじゃないだろ。あんな強引な手段使っといて。
ナツホと同じようにクリスも物珍しそうにマフユをジロジロ見回す。
「へえ、この子が雪園真冬……」
「あまりジロジロ見ないでくれるか?」
不躾な視線が嫌いなマフユが答えると、クリスが意味深に告げた。
「それは私達だけに言えることかしら」
「どういうことだ?」
「ほら」
クリスが指さしたのは教室全体だった。
なんとクラスの全員がマフユのことを気にしていて、マフユは注目の的だった。
それも宜なるかな、ずっと休んでいたクラスメイトがいきなり登校して、目立たないわけがない。
皆が興味津々な様子で、マフユの様子を窺っている。
奥にいる女子二人組もその例に漏れなかった。
「あの子ってずっと休んでた……」
「雪園さん」
「へえ、私、初めてみるかも」
反対側にいる男子三人も女子と同じ反応だった。
「今日はいるのか? 珍しいな」
「雪園って不登校じゃなかったのか?」
「俺はてっきり学校やめたのかと思ってた」
とはいえ、マフユ自身もこうなることは予想済みだった。
まあ、当然の反応か。抑もずっと休んでいた私がいけないんだし。
しかし、こんなたくさんの人の視線に晒されるなんて耐えられない。
戦いているマフユの前にハルが立ち塞がった。
「皆、やめてよ!
「ハル……」
ハルは皆に向かって、訴えかけるように説明する。
「マフユちゃんは改心したんだよ。だからもういい子なんだよ」
一瞬の沈黙の後、教室は笑いに溢れ返った。男女関わらず、全員がゲラゲラ笑っていた。
「なんだよそりゃ」
「うける」
「あれ? 私、変なこと言ったかな?」
全く自覚がないハル。
クリスとナツホはそれぞれ気まずくなる。
「あちゃー」
「春らしいといえば、春らしいが」
ただ一人、マフユだけが怒りに身を震わせていた。
「ハ~~~ル~~~?」
ハルの後ろに立つと、マフユは頭をグリグリし始めた。手はもちろんグーのかたちで、見るからに痛そうである。
「やめて、マフユちゃん~~~!!!」
涙目になりながら、訴えるが、マフユが手を緩めることはなかった。
それから許されたのはだいぶ後になってからだった。
さんざん痛めつけて、ようやくマフユの溜飲が下がったらしい。
ハルの方は頭を抑えて、隅の方で小さくなっている。
「ぐすん、痛い」
はあ、全く。これじゃ逆に悪目立ちじゃないか。ハルも余計なことをしてくれる。
嘆息していると、ナツホが気遣ってきた。
「マフユ、気を悪くしないでくれ。あれでもハルは一生懸命なんだ。バカだけど」
「バカ……」
バカと書かれた紙つきの矢がハルにグサリと刺さる。
ナツホの後に続き、クリスがフォローする。
「そうそう不器用なのよ。バカだから」
「バカ……」
再びハルがグサリと射抜かれる。
矢まみれになり、落ち武者のようになったハルが恨み言を呟く。
「二人ともひどい……」
そんなハルのことなど無視して、三人は話を進めていく。
「はあ、そういうことにしといてやる」
マフユがしぶしぶ受け入れると、ナツホが握手を求めてきた。
「じゃあ、これからよろしくな」
「ああ」
そこで二人は固い握手を交わした。
* * *
はじめは何事もぎこちなかったが、マフユはだんだんと学校に順応していった。授業も普通に受けていたし、他の生徒と殆ど何も変わらなかった。
休み時間、ハルとマフユは次の授業の準備をしていた。
「次の授業は国語だよ」
「ほう、国語か」
マフユの声音が僅かに弾んだ。
「マフユちゃん国語得意なの?」
「まあな、作家だからな」
ハルはマフユの発言に大いに納得していた。
確かにマフユちゃんって語彙力すごいし、もしかしたら先生以上かも。
その後、授業が始まってしばらくすると、マフユがいきなり挙手した。
「はい、先生」
マフユちゃんが手を挙げるなんてどうしたんだろ?
隣の席のハルは疑問に思いつつ、マフユの動向を見守っていた。
黒板に書き込むのをやめて、先生はマフユに聞き返す。
「どうしました、雪園さん?」
聞かれると、マフユは黒板の一点を指し示した。
「その字間違ってます、「完璧」という字。下が「玉」じゃなくて「土」になってます」
確かにマフユの指摘は正しかった。黒板の字は「璧」じゃなくて「壁」だった。あれだと「かんぺき」と読むことは出来ない。
先生は慌てて訂正する。
「あっ、ほんとだ。気づかなかったわ」
「ふん」
見事な指摘をしたマフユが着席すると、教室中から拍手が沸き起こった。それはマフユを称賛するものだった。
ハルもまたそうせざるを得なかった。
「すごいよ、マフユちゃん」
「これぐらい余裕だ」
ふんす。マフユはその反応が嬉しかったのか、椅子にふんぞり返っていた。
それでいい気になってしまったマフユはそこから怒涛の指摘を繰り返した。
先生が教科書を読み上げていると、その読み間違いを一つ一つ正していった。
まずは「膃肭臍」という漢字について、マフユは言及した。
「先生、そこの読みが違います。「おっとせい」です。動物の」
「そうでした、失礼しました」
「先生、今のも間違ってます。「心に太い」と書いて、読みは「ところてん」です」
「そ、そうね。雪園さんの言う通りね」
「先生、今のところもです。「集く」は「あつく」でも「たかく」でもありません。正解は「すだく」です」
「あ、あの、雪園さん……」
「あ、またです。今のは魑魅魍魎と書いて、「ちみもうりょう」と読みます。これぐらい一般常識ですよ?」
「マフユちゃん、もういいんじゃ……」
流石にやりすぎだと感じて、ハルが声掛けするが、マフユはとどまるところを知らなかった。
「……先生って本当に教員免許持ってるんですか?
生徒にそんなことを言われて、先生はシャツを涙で濡らして、廊下に飛び出していった。
「もういや、こんなの!」
「ああ、先生! 逃げないで」
ハルは呼び止めるが、間に合わなかった。先生の姿は教室から消えていた。
どうやらショックのあまり、耐えきれなかったらしい。
先生を追い詰めた張本人であるマフユは涼しい顔をしていた。
「全く、口ほどにもない」
「マフユちゃんも勝ち誇った表情しないでよ!」
全く、何もあそこまでやらなくてもいいじゃないか。
流石の先生も現役作家には太刀打ち出来なかったらしい。
先生がいなくなってしまうと、教室には俄に騒がしくなった。ものが飛び交い、話し声が目立ち始めた。
「よっしゃ、先生がいなくなったから、自習だ」
「ウェーイ、自習最高!」
別に自習になったわけではない。
ハルは皆に呼びかけるが、誰もまともに話を聞いてくれない。もはや教室は無秩序な状態に陥っていた。
「ああ、これじゃあ授業どころじゃないよ。マフユちゃん、どうしてくれるの?」
こうなってしまった原因はマフユである。
責任をとってもらおうと思ったが、それは出来そうになかった。
何故ならマフユは机にぐったりと倒れていたからだ。
「……って、真冬ちゃん!?」
身体を揺するが、反応が返ってこない。
これは非常にまずいかもしれない。
ハルはマフユを背負って、保健室を目指した。
* * *
どうやらマフユは貧血で倒れたらしい。
取り敢えずマフユは保健室のベッドで横になっている。
ハルはその隣で看病していた。
マフユは罪悪感を感じつつ、謝罪した。
「うう、すなまいな、ハル」
「いいよ、これぐらい。それよりいきなり倒れて平気なの?」
「ああ、私は低血圧だから、よくこういうことになる」
マフユはこの体質のせいで貧血を起こしやすかった。本人もそのことは分かっていたが、はしゃぎすぎてすっかり失念していた。
ハルは同情せずにはいられなかった。
「そうなんだ。なんか大変だね」
「もう慣れたよ。
それよりハル、そろそろ教室に戻った方がいいんじゃないか?」
確かにまだ授業中だった。今から戻れば、十分、間に合う。
けれど、ハルはふるふると首を振った。
「いいよ、もう少し真冬ちゃんと一緒にいる」
サボるつもりはなかったが、それよりもマフユのことが心配だった。ハルは少しの間も側を離れたくないと思っていた。
「そうか」
マフユの顔は鉄が熱を帯びたように赤くなる。
ハルに気付かれないようにするため、マフユは布団を顔に近づけて、隠した。
* * *
放課後。
ハルとマフユは一緒に学校を後にした。隣に並んで歩き、自分の家を目指す。
「結局、ずっと保健室にいたな」
「そうだね」
あれからマフユはずっと保健室にいて、授業に参加することは出来なかった。
結局、あの国語が最後の授業になってしまった。
マフユはそのことを後悔していた。
「これじゃ学校来た意味あんまないよな」
「ううん、そんなことないって。来たということ自体が大事なんだよ。私はそう信じてる」
ハルが熱弁をふるうと、マフユはしばし圧倒された。
「……お、おう」
すごい熱量だな。松◯修造かよ。
ハルと別れた後、帰宅したマフユは乱暴に靴を脱ぎ捨てた。靴は両方とも全く別の方向を向いていた。
「やっと家に着いた。喉乾いた。さてと」
真っ直ぐに冷蔵庫まで走っていくと、キンキンに冷えたエナドリを取り出した。プルタブを倒すと、グビグビと奥に流し込む。
「ぷはあ、やっぱこれだわー。生き返る」
もしハルが近くにいたら、おっさんくさいと言ってくるに違いない。
マフユは一人でに想像した。
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