隣の先生~お隣さんが有名作家だった件について~

紀悠軌

高校生作家

 高校の教室。

 そこでとある女子生徒が熱心に本を読んでいた。

 彼女の名前は木桜きざくらはるで、茶髪のボブカットで、愛嬌のある顔をしていた。そのため周りには恵まれていて、友達は多い方だった。元気で、明るく、真面目で、人に頼まれたことは断れない性格をしていた。ただ、少し抜けているところもあり、そこもハルが愛されている所以である。

 机で読書中のハルだったが、親友が話しかけてきた。


「おい、ハル。何読んでるんだよ?」


 最初に話しかけてきたのは内海うつみ夏帆なつほだった。 

 ナツホは黒のポニテをぶら下げていて、ブラウスを袖まで捲っていた。運動が得意で、しっかり者のリーダー的存在だが、クリス・・・にペースを乱されがちである。


「あっ、ナツホちゃんとクリスちゃん」


 一時、読書を中断して、ハルは二人の方に注目した。

 するとナツホの影からひょこりとクリスが顔を覗かせた。


「よっ、ハルー」

「あっ、クリスちゃんだ」


 秋月あきづき栗栖くりすはマロンカラーの無造作ヘアで、ブラウスの上にチャン◯オンのパーカーを着ていた。少しだぼっとしているが、それがお気に入りらしい。かなりの気分屋で、マイペースであり、その見た目からハーフに間違えられることも多いが、れっきとした日本人である。ナツホとは古い付き合いで、彼女をからかうことを何よりも楽しみにしている節がある。

 クリスに挨拶し終えると、ハルはナツホに自分の本の背表紙を見せた。


「ええとね、ナツホちゃん。私が読んでいたのはこれだよ、『雪の華』」


 本はハードカバーで、分厚かった。表紙は雪の結晶を意識した6枚の花弁がついた百合のような白い花が、雪の道端に生えている絵だった。その花は幻想的で儚く、触れてしまったら花が散ってしまいそうなほどか弱そうな存在として描かれていた。

 ハルはその表紙を見ているのが好きで、気づいたらかなりの時間が過ぎていたこともあった。

 表紙をジロジロ見ていたナツホだったが、やがて諦めたように両掌を宙に返した。


「『雪の華』、聞いたことないな」

「えっ、ナツホちゃん知らないの?」


 僅かに首を前に突き出すハル。

 意外に思いつつ、分からない相手に向けて詳しい説明を始めた。


「『雪の華』は大々ベストセラーで、あの有名な雪月花先生が書いてるんだよ」

「せつ……なんだって?」

「雪月花だよ、雪月花。雪月花先生は大ベストセラー作家で、描いた本は瞬く間に売れ、映像化作品もたくさんあるんだよ」


 その通りで、雪月花の著書はどれも圧倒的な売上を誇っていた。入荷しても、すぐに品薄になって、入手が困難になるほどだった。

 一番有名なのは自身の代表作であり、大々ベストセラーになった『雪の華』である。と同時にハルが雪月花作品の中で一番大好きな本でもある。

 他にも『寒空』、『新雪』『冬化粧』、『霜の降る町』、『氷の女王』、『凩』、『クリスマス・イブ』、『白兎』、『氷の轍』、『吹雪山荘殺人事件』などの作品があり、現在も鋭意、執筆中であり、近々新作が発表される予定らしい。

 それからハルは顔の前に人差し指を立てて、注意深く話した。


「でも、世間で雪月花先生の正体を知っている人は誰もいなくて、分かっているのは現役の女子高校生ってことだけ。つまり、覆面美少女JK作家ってことだよ!」


 そう、雪月花という作家について世間が知っていることは少ない。女子高生という話だが、それは売り上げを伸ばすための出版社の嘘だと断ずる人間もいる。ネットでもさんざん討論されているが、本人が一切、メディア露出するつもりがないため、議論は暗礁に乗り上げている。

 力強く言い放ったハルに対してナツホは純粋な疑問を投げかけた。


「覆面なのにどうして美少女だって分かるんだよ?」


 思いもしなかった質問にハルは慌てて返答する。


「……そこはイマジネーションだよ!」

「おい!!!」


 流石に突っ込まれたか。

 面目ないという風にハルが頭をかいていると、クリスがナツホを揶揄した。


「てか、ナツホ知らないとか無知すぎでしょ」

「うるさいなあ。私は本なんて読まないんだよ」

「そういう問題じゃないでしょ」


 運動一筋のナツホは本なんて滅多に読まない。むしろ、読書なんて嫌いだった。

 言い合いをしている横でハルが唐突に語り始めた。


「私、実はこの人のファンなんだ。だから一度でいいから先生、本人に会いたいなぁ。そしたらサインももらっちゃおう」


 夢見心地で譫言うわごとを喋っているハルを二人は心配そうに見つめる。


「おい、春、大丈夫か?」

「すごい妄想力」


 ハルは言うまでもなく、雪月花先生の大ファンだった。それは熱狂的なレベルと言っても差し支えなかった。頭の中で空想のサイン会に参加して、サインをもらうくらい激嵌まりしていた。

 でも、一方でサインなんてもらえるはずもないことも分かっていた。自分の望みがけして叶わないということを知っているだけに、余計辛かった。

 そこで本の話は一区切りして、別の話題が始まった。


「へえ、それはそうと、ハル」

「なに、ナツホちゃん?」

「そういえばハルは今日、お隣さんにプリントを届けに行くんだったよな?」

「あっ、いけない。忘れてた」


 うっかりしていた。ハルは自分の額に手で触れた。

 ナツホは呆れてため息を零した。


「おいおい、しっかりしてくれよ」


 そう、ハルは今日、先生に頼まれて、席が隣の子にプリントを届けにいかなければならない。

 なお、お隣さんはずっと休んでいて、一度も会ったことがない。

 顔すら分からず、ハルはずっと会いたいと思っていたが、ついに今日、初顔合わせが出来る。ハルは密かにそのことを期待していた。

 因みにお隣さんの名前は雪園ゆきぞの真冬まふゆである。

 ナツホが顎に手で触れて、深く考え込む。


「雪園真冬……一体、どんなやつなんだ?」

「なに、ナツホ? もしかして気になるの?」


 クリスが笑い混じりにからかうと、ナツホが険を含んだ視線を返す。


「……クリス、変な言い方をするな」

「えぇ~、別に普通だよお」


 棒読み気味に答えるクリス。


「いいや、絶対に普通じゃなかった。な、ハル?」


 ナツホは自分が正しいことを証明するために、ハルに同意を求めた。

 しかし、考え事の最中だったハルは生返事で応じた。


「う、うん」


 ハルの頭の中は謎の人物である雪園真冬のことでいっぱいだった。

 マフユちゃん、一体、どんな子なんだろう?

 これから会うことになる相手に期待と不安を膨らませながら、ハルは残りの学校の時間を過ごした。


       *     *     *


 放課後。

 ハルは予定通り、雪園ゆきぞの真冬まふゆの家を訪れていた。

 現在、ハルの前には白亜の壁が立ちはだかっていた。マフユの家は高層マンションであり、部屋が数え切れないくらいある。地上から見上げているハルはただただ、その光景に圧倒されていた。


「うわあ、ここがマフユちゃんのマンションか。すごく大きい……」


 しばらくその場に留まってから、ハルはマンションの中を目指す。玄関ホールは豪華な装飾が施されていて、床は大理石だった。

 インターホンを見つけると、マフユの部屋番号を確認して、慎重にボタンを押す。

 ピンポーン。

 だが、返事は返ってこなかった。

 あれ、反応がない。私、押したよね?

 念のためにハルは何回か連続でボタンを押し込む。

 ピンポーン、ピンポーン。

 そうするとガチャッ、という音が聞こえてきた。


「あっ、出た」

「うるさ~い! 何回押すんだよ? 悪徳のセールスかよ」


 通話口に出た相手はすごい勢いで文句をまくし立ててくる。

 どうやらカンカンに怒っているらしい。


「ご、ごめんなさい」


 ハルは申し訳なく思うと同時に反抗心が芽生えてくる。

 自分の方がうるさいじゃん。

 むっとしていると、相手が用事をきいてきた。


「で、うちに何か用?」

「あ、あの私、真冬ちゃんのクラスメイトの木桜きざくらはるです。先生に頼まれてプリントを届けに来ました」


 ありのままを伝えると、相手は納得した様子で答えた。


「ああ、学校の……じゃあ、どうぞ」


 直後、ロックが解除される音が聞こえた。どうやら先に進むことが許可されたらしい。

 通話を終えると、ハルは何基もあるエレベーターのうちの一つに乗り込む。

 マフユの家がある階に辿り着くと、廊下を進んでいく。

 手すりの向こう側を覗き込むと、地上が遥か遠くに見えて、ハルは足がすくみそうになる。

 間もなくマフユの家のドアが見えてきた。

 ここがマフユちゃんの家か。

 おそるおそるコンコンとドアをノックしてみる。

 中からドタドタという足音が聞こえてくる。足音が近くで途切れると、ガチャリとドアが開いた。


「は~い」


 姿を現したのは美しい容姿の少女だった。

 ハルは戸惑いつつ、話しかけた。


「ま、マフユちゃんだよね?」

「そうだけど……」


 雪園真冬は綺麗な白髪の持ち主で、髪は後ろで左右に別れていた。あと、すごい毛量で、毛むくじゃらだった。肌は極端に白くて、顔の造形が美しく、気怠そうに瞼が垂れ下がっていた。

 極めつけは家ではいつもそのだらしない格好で、「書け」という字が中央にプリントされたダサTシャツに、下は短パンだった。マフユは普段、家ではずっとこのスタイルである。

 それからハルは唐突に手を握ると、感動して呟いた。


「すごく白い!」


 一方、マフユの方は突っ込まずにはいられなかった。


「いきなりそこかよ! まあ、確かに名は体を表すって言うからな」

「??」


 お惚け顔を浮かべているハルを見て、マフユは額に手をくっつけた。

 駄目だ、こいつ。分かってない。


「はあ、取り敢えず立ち話もなんだから、中入るか?」

「いいの?」


 マフユの提案にハルは思わず顔を近づけて、きいてくる。

 近い……。

 早速、ハルを家に招き入れると、マフユは自室へと案内した。


「お邪魔します。うわあ、すごくきれい」


 ハルは思わず口を手で覆った。

 マフユの部屋は十分な広さがあり、整理が行き届いていて、すっきりしていた。広々とした作業机があり、高級なベッドには羽毛布団がかかっていた。棚の上には小さな鉢に植えられた観葉植物があり、お洒落なルームフレグランスも並んでいた。

 けれども、ハルが一番、注目していたのは本棚だった。本棚にはなんと雪月花先生の本が並んでいた。しかも全シリーズが揃っている。自分の家の本棚と同じだと思うと共にハルはマフユに親近感を覚えた。

 部屋主であるマフユは何でもないという風に答えた。


「別に大したことないだろ」


 そこでハルは自分がここに来た用事を忘れていたことに気づいた。


「あっ、そうだ。はい、これ。先に渡しちゃうね」


 学校カバンから先生に頼まれたプリントを手渡す。

 それを受け取ったマフユは感謝を伝える。


「どうも。じゃあ、こっちもおもてなししないとな。といっても、こんなものしかないが……」


 そう言うと、マフユは冷蔵庫から持ってきたエナジードリンクをプレゼントした。

 ハルは手に持ったまま、固まってしまう。


「えー、エナジードリンク!」

「そうだ、エナドリはいいぞお」


 実はマフユは大のエナドリマニアだった。「エイリアン」「エリア」「フェイクゴールド」など、日頃からエナドリばかり飲んでいた。家の冷蔵庫には全種類のエナドリが店のように隙間なく、陳列されていた。

 続いてマフユはプルタブを開けると、ごくごくと中身を呷った。

 飲み口から口から離すと、気持ちよさそうに呟いた。


「ぷはあ、この一杯のために生きてるぜえ」


 マフユちゃん、おじさんみたい。

 それを見たハルはそのような感想を抱いた。

 次にハルは聞いてみたかったことを質問してみた。


「一つ聞いていいかな? マフユちゃんってずっと休んでるじゃない」

「そうだな」

「家で何やってるの?」

「本を書いてる」

「え、本……」


 予想外の答えにハルは目を丸くした。

 ぴんぴんしているから病気はないと思っていたが、本を書いているなんて。

 ということは、マフユは作家ということになる。


「知らないか? 因みにペンネームは──雪月花」

「嘘!」


 知らずのうちに大声を出してしまったハルはカバンを漁って、例の本、『雪の華』を取り出した。


「ほら、見て! 私、本、持ってるよ」

「そ、そうだな……」


 自分の本を見せつけられて、マフユは困惑の表情を浮かべる。

 さらにハルは本と共にペンを差し出した。


「サインもらっていいですか?」

「お、おう……」


 戸惑いながらもマフユは承諾する。

 本当にサインがもらえるなんて、夢みたいだ。

 ハルは満ち足りた気持ちになる。

 マフユが見返しにサインしている間、ハルはもう一度、本棚を観察した。

 本棚には著書がズラリと並んでいる。これはファンだから集めていたわけじゃなく、書いた本人だから持っていたというわけか。

 でも、まさか本人がこんな身近なところにいるなんて、信じられない。

 それにしてもマフユちゃんは美人だな。髪も肌も白くて、綺麗で、本当に美少女だ。


「やっぱりあの噂は本当だったか」

「噂?」


 むふーという表情になり、ハルはマフユからサインを書いてもらった本を受け取った。


「ほら、書き終わったぞ」

「わあ、ありがとう。宝物にするね」


 ハルは本を愛しい我が子のように胸に掻き抱く。けして離してしまわないように。

 裏表がなく、屈託のない笑顔。

 そんな顔を見せられたマフユは気恥ずかしそうに前髪をいじる。


「す、好きにしろ」

「でも、本を書くのはいいけど、ずっと家にいたら退屈じゃない? たまには学校に行けばいいのに」


 ずっと家にいるなんて気詰まりだ。健康的にもよろしくない。

 ハルは気遣うが、マフユは全く気にしていなかった。


「嫌だ。朝起きるのがダルい」

「ええ、そんな理由で? だけど、そんなんじゃ親が心配するでしょ」

「親はいない」

「え?」


 ハルは硬直してしまった。

 親がいないなんて、そんなショックすぎる。

 まさか事故に巻き込まれてしまったのだろうか?

 最悪な想像を巡らせていると、マフユが何気なく教えてくれた。


「今は海外旅行中だ」

「ずこー」


 ハルは古い漫画のような見事な滑り込みを見せる。

 マフユはそれを不思議そうに眺めている。


「えっ、二人ともいないの?」

「そうだ。かれこれ二ヶ月は顔を合わせてないな」

「そ、そんなに! じゃあ、食事とかどうしてるの?」


 そうだ、親がいないなら食事はどうしているのか?

 外食で済ませているのか?

 まさか自炊をしているのか?

 それともお手伝いさんが来て、つくってくれるのだろうか?

 ところがマフユの答えはどれでもなかった。


「フーバーで注文してる」

「そ、そうなんだ」


 まさかのフードデリバリーだった。

 ただ、栄養バランスは大丈夫なのだろうか?

 ハルが引っかかりを覚えていると、マフユは告白した。


「それに私は出不精でぶしょうなんだ」

「で、デブ? ま、真冬ちゃんは痩せてるよ。ね、ほら」


 ハルはマフユのウエストに手を触れる。

 マフユは全然、華奢であり、なんならハルよりも痩せていた。

 ハルの突然の行動にマフユは呆れて返した。


「あのな、出不精はめったに外出しないという意味だ」

「そうなの? もう勘違いさせないでよね」

「勘違いしたのはお前だろ!」


 自分を棚に上げるハルをマフユは注意する。

 しかし、ハルはマフユの生活がとても心配だった。本人がいいと思っていても、ハルはいけないと感じていた。


「でも、このままじゃ駄目だと思う……」

「いや、私は今の生活に不満はないけど」

「嫌だよ。私はマフユちゃんと一緒に勉強したい。だから学校に行こうよ」


 ハルはマフユと一緒に学校生活がしてみたかった。

 仮にも一緒のクラスで、隣同士の間柄、このまま何もなく一年を過ごしてしまうのは悲しいし、勿体ない。どうせなら共に楽しく、幸せな日々を送りたかった。


 ハルの一生懸命な訴えにマフユは困り顔になった。


「木桜……」


「ハルでいいよ。じゃあ、明日、私、ここに迎えにくるから。じゃあね」


 一方的に約束を取りつけるかたちで、ハルは玄関から出ていった。


「お邪魔しました」

「お、おう……」


 忙しないやつだな。

 マフユは気後れしながら、ハルの背中を見送った。

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