第二章 21.セカンドキス……?

 第二王女のロザリア滞在中も、アリスは気にせず風の塔に潜伏していた。


 鉢合わせしたのは、本当に偶然だ。今日は書庫に人がいないな、と思いつつここ十年内の研究書に目を通していると、フィルオードと第二王女が入ってきたのである。


 王女の歩幅なんて考えずに、ずんずん奥へ入っていくフィルオードと、顔を引きつらせ小走り気味についていく第二王女。

 怖がらせてどうすんの、フィル……。

 呆れながら二人を眺めていると、突然フィルオードが書庫から離脱した。

 フィルの奴……、第二王女のことは気付いているだろうのに。『アリスの書』と一緒に放置して、どこかへ行っちゃうなんて。

 魔術師団長としてどうなのよ、と代わりに見張っていると、

「なにアレ、本当に、人間じゃない……!」

 悲鳴交じりの呟きが聞こえた。

 なにって、フィルオードは血の通った人間よ!

 アリスはむっとして、腹立ち紛れに、嚇す感じで第二王女の嘘を暴いてしまった……が。


 それより、いまの音!


 上の階だ、と急いで階段を駆け上がる。

 音が聞こえてすぐに走ったから、アリスが一番乗り――

 と思いきや、すでに廊下の向こうにフクマの姿があった。開け放たれた扉の前に突っ立っている。

 あそこは、フィルオードの執務室だ。


「なにがあったの!」

 透明人間のアリスはフクマに声を掛けて自分の存在を主張しながら、扉の内を見た。

 執務室に白い煙が充満している。

「うわ、なにこれ」

 あんぐりと口を開けたところへ、なにかが破裂したような、ボフンボフンと鈍い爆発音がした。

 すわ室内が轟轟と燃え上がり、煙が――


「……ん? 燃えてない?」

 爆風に煽られながら、アリスは煙の向こうに目を凝らす。

 部屋の真ん中に火球のようなものが見える。めらめらと燃える炎の塊だ。

 しかし、火は燃え広がらない。燃料をどばどば注いで、ガンガン燃えているように見えるのに、火球が一向に大きくならない。

 煙も変だ。嗅いでみても、臭わない。上がる感じもおかしい。濛々とではなく、シュウシュウと焼けた石に水を掛けたときのような音がしている。


「これって、水蒸気……?」


 よくよく見れば、部屋の真ん中で、火炎と氷結がせめぎ合っていた。

 火と氷の中心に、ぼんやりとだが黒い塊が見える。

 恐らくは、魔術師団の黒ローブを纏った人間。十中八九、フィルオード。

 つまり、この爆発炎上は彼の所為なのだ。

 そして、この妙な水蒸気も、彼の業なのだ。

 爆発炎上の原因を作っている本人が、爆発と同時に氷の壁を繰りだし、炎を氷の塊で包み込んで相殺しているのである。

「うわあ、高等テクニック!」

 状況を理解したアリスは瞳を輝かせた。

「フィルの魔力暴走、久しぶりに見たけど、なんて見事な制御っぷり」

 成長したねぇ、と感心しきり。

「他の魔術師たちも早く来て、団長の妙技を見たらいいのに」

「この最上階に入れるのは、四方と副団長だけじゃ」

 フクマが苦々しげに返した。

「それに、若手連中がこれを見たら、それこそ団長を神だと崇め始めるわい」

「ありゃま、それは残念」

「ほれ、呑気なことをいっとらんと。このままでは塔が燃える」

 フクマに急かされ、アリスはようやく事態の収束に動いた。

「フクマ、私を風でフィルの所まで飛ばせる?」

「儂の出力では、たどり着く前にお前さんが凍るか燃える」

「じゃあ、転移の魔法陣は? 持っていたら、魔力を流して私に頂戴。フィルの間際まで飛んでみる」

「大丈夫かの?」

「ま、なんとかなるでしょ」

 フクマがローブのポケットから出した転移の魔法陣の用紙をつまむと、アリスは室内に向かって大声で呼びかけた。


「フィ、ル、オー、ド!」


 彼の元へ!


 魔法陣が展開し、次の瞬間、アリスは強烈な湯気の中にいた。

「あちちちち!」

 沸騰する蒸気に、思わず悲鳴を上げたが、身体を張った甲斐あって、それまでは煙に隠れて見えなかったご本尊が視界に入った。

 目を血走らせ、翠の瞳を真っ赤に染めたフィルオード。

 転移から落ちる勢いのまま、アリスは白金色の頭に、頭突きした。

「目を覚ませっ、このっ! 魔力ダダ洩れ狼!」


 ごちん!


「ぐっ……!」

 フィルオードが呻いて仰け反る。

 アリスはすかさず両手で彼の頬を挟んだ。

 がぶり!

 噛みつくようにして、フィルオードの唇を奪う。

 前に口移しで水を飲まされたと思うから、セカンドキス……?

 いや、どっちも緊急救命措置よ、救命措置。

 ちゅううううっと唇を吸って、勢いよく離す。


 ちゅぽん!


 いい音。

 残響の中で、ふっと魔力の気配が消えた。

 水蒸気の、シュウシュウという音だけになる。


 フィルオードは尻餅をついたまま、しばらく呆然の体だったが、

「……ァリス?」

 突然我に返ったふうに、忙しなく瞬いた。

 瞳の色が翠に戻っていく。

「正気に戻った?」

 押し倒すようにしてフィルオードに圧し掛かっていたアリスは、床に足をつき、立ち上がって腰に手を当てた。

「ったく、仕事中にドロンするんじゃないよ。ブレアの第二王女が『アリアの書』を勝手にいじってたよ」

「……君、なんでここに」

「話は後あと」


 言葉を遮り、アリスは外の騒ぎに耳を澄ませた。

 他の魔術師団員たちが、駆けつけてくる気配がする。魔力暴走が止むと同時に、この階への侵入禁止の魔術が解けたのだろう。アリスの姿を隠していた光魔術まで、一緒に解けてしまっている。

 湯気が消えて、衆目に晒される前に撤退せねば。

「とりあえず、先に私を部屋に送ってくれる?」

「部屋って、どこの部屋?」

「この塔の私の部屋」

「……成程」

 フィルオードがのろのろと立ち上がり、アリスを抱えて転移する。

 ティアリスの部屋に着いても、ぎゅうぎゅう抱き着いたままのフィルオードを、アリスはぺいっと引っぺがし、にっこり微笑んだ。

「とっとと執務室を元通りにして、早く王女のお守に戻りなさい」

 フィルオードは色々物申したそうな顔でアリスを見返したが、しぶしぶといった感じでその場から消えた。

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