第二章 18.ワタクシはイリナ。ブレア王国の第二王女

 ワタクシはイリナ。ブレア王国の第二王女。


 隣国との交流を深めるために。一カ月の予定で、ロザリア王国を訪問中。

 イリナ王女は、ブレアの窮地を救ってくれた聖剣様を敬愛している。彼への憧れから、魔術に一方ならぬ興味を抱くようになった。

 折角、魔術の王国ロザリアに来たのだから、自国にはない魔術の研究書を早く見てみたい。王女の願いを聞き入れる形で、予定を前倒しにし、風の塔にある図書室を案内してもらうことになった。


 案内役は、イリナ王女が城に来てから、ずっと無表情のフィルオード王弟殿下。ワタナという人物が案内してくれると聞いていたが、結局〈憧れの聖剣様〉に変更されたようだ。


 普段から使用者が少ないのか、いまだけ人払いがなされているのか、広々とした図書室内に二人きり。


「『アリアの書』をご覧になりたいとのことですが」

 魔術師団の黒いローブを翻しつつ歩くフィルオードに、彼女は緊張気味についていった。

「あれは研究書ではなく実用書ですが、よろしいのですか」

「は、はい」

 とても興味があるのですと、俯き気味に言い返す。

 本来なら、

 ――そうなんです! 開かないとは解っているのですけれど、一目見たくて!

 と弾んだ声で無邪気に宣うところが、顔も上げられない。

 だって、怖いんだもの。しょうがないじゃない。


〈灰の谷の千人斬り〉の真実を知って以来、恐ろしくて仕方がない。

 ローズアリアの聖剣の強さは、想像を遥かに超えていた。


 指一本触れなかったのに、

 何百人も敵兵が、

 言葉も発せずに、

 倒れていった。


 隣国の王弟との縁談に、こんな恐怖体験が待っているなんて、想像もしていなかった。


 万一、聖剣様と結婚して、彼の妻になったら。

 彼の機嫌を損ねたら、口答えして怒らせたら。


 睥睨一つで妻は息の根を止められる。

 妻がある日倒れても、周りには突然死にしか見えないだろう。おちおち夫婦喧嘩もできやしない。

 

 オソロシイ。


 隣を歩くのが怖い。

 話しかけられるのも怖い。

 視線を合わせたら泣いてしまいそう。



「『アリアの書』は一番奥にあります」

 フィルオードがエスコートを忘れたふうを装い、一人ですたすたと書架の森へ分け入っていく。

 その後をとぼとぼとついていけば、彼が最奥の壁面の前で立ち止まった。


「ここです」

 ガラス戸が付いた中央の棚をフィルオードが開錠し、戸を開く。

 上段の真ん中には、本が恭しく三冊並んでいた。


「ご覧の通り、所蔵されている『アリアの書』の写本は三冊で――」

 フィルオードがこちらをふり返る。

「『アリアの書』の最後には、どのような魔法陣が記されているか、ご存じですか」

「ええと……、自分だけが開けられる本にするか、誰でも開けるお手本にするか、仕様を決定するための魔法陣、だったかしら」

 正解、というふうにフィルオードはうなずき、中央の箱を抜き取って見せた。

「これは、『アリアの書』の著者本人による、写本だといわれている本です。しかし――」


 箱の中身は空だ。


「最後の一ページが写せていない、私用にもお手本にもなり損ねた一冊です。誰も開くことができないので、いまは私の預かりになっています」

 本体をご覧になりたければ私の寝所へどうぞ、といいながら、空箱を棚に戻す。

「ただし、命の補償はいたしかねますが」

「い、命の……」

 恐々見上げたが、フィルオードは真顔だ。


「左の本は私自身が写したものです。私専用なので、外箱だけここにおいてあります」

 中身はこれ、とフィルオードが宙に手を差しだすと、ふっと本体が現れ、彼の手に収まった。

「書をすべて写し終え、自分専用にすると、このように自分の意思で、本体を出したり消したりすることができるようになります」

 フィルオードが手をひと振りすると、写本が掻き消える。

「右側の本は、ローズアリア時代にお手本用に作られた写本です。お手本用ですが、魔力がなければ、一ページも開くことができません。いまのところ、最後まで開くことができるのは、私だけです」


 ここでも、

 

――聖剣様って、本当に凄い方なのですね!


 ときゃぴきゃぴおだてて、彼に『アリアの書』を開いてもらう予定が、彼女の頬はぴくぴく引きつっただけだった。



 できれば図書室にある本を閲覧したいと頼んでみると、フィルオードはあっさり許可を出した。

「殿下が本をご覧になっている間、私は少々野暮用を片付けて参ります。一時間ほどで戻りますので、それまで絶対図書室から出ないように。中抜けしたことがバレたら、私が陛下に叱られますので」

「は、はい」

 うなずくと、フィルオードは「では」といって、ふっと目の前から掻き消えた。

「えっ……」

 きょろきょろと辺りを見まわすも、黒いローブはどこにも見当たらない。

「嘘。まさか……転移……した……?」

 一瞬で消えた理由に思い至って、呆然とする。

「なにアレ、本当に、人間じゃない……!」

 人間の理から逸脱している、と震えたが、すぐに思い直してこぶしを握った。


 だ、だけど、これは千載一遇のチャンスでは?


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