第二章 17.ワタナ『アリアの書』の精に会う

 フィルオード団長が、予定よりだいぶ早く、ブレアの第二王女を連れて帰城した。


 ロルムの兵に囲まれているのを、間一髪で団長が助けたそうだ。そして、再び襲われたら事だからと、王女と侍女だけを連れて、転移して先に戻ってきたらしい。……あちらさんの護衛騎士と、こちらの出迎え魔術師団員を置き去りにして。

 ゆっくり来ればいいと、団長はうそぶいていたけれど。

 絶対、馬でのんびり帰ってくるのが面倒だったに違いねぇ。

 おかげで魔術師団員の手が足りず、予定外の人間まで駆りだされる始末。そのせいで今日は、地下書庫にいるのはワタナ一人きりだった。


「……にしても、あの第二王女……」

 ワタナは呟きつつ、『アリアの書』をぺらり。

「団長のこったから、判っていて放置しているんだろうが……」

 ぶつぶついいつつ、また書をぺらり。

 しかし、つとその手を止めた。


「……ん?」


 瞬いて、もう一度棚の向こうを見つめる。

 陰に隠れているが、書架の前に女の子がいる。


「……どうして子供が」

 ワタナの声が届いたのか、本をめくっていた女の子の手が止まった。

 女の子がこちらを窺う気配。本と本の隙間から、きょろりと二つの目が覗いて、


「お兄さん、目がいいんだね」


 棚の端から、ひょっこり女の子が顔を出した。

 亜麻色の髪をお下げに編んだ、目元ぱっちり、プルプル唇の、非常に可愛らしい女の子だ……が。


「王国随一のフクマの光魔術を見破るなんて、すっごーい」


 こそこそと感嘆しながら、女の子が棚の陰から出てきた途端、ワタナはがたっと椅子を鳴らして立ち上がった。


 なんだ、この無茶苦茶な熱量は。

 まるで、マグマの塊じゃねぇか。

 見るだけで、目ん玉から火が出そう。


 ぶわっと全身が泡立った。

 体中の穴という穴から、汗が吹きだす。


 逃げねぇと。

 だが、身体が動かねぇ。


 金縛りの術にかかったみたいに、ワタナがその場に突っ立っていると、女の子が傍までやって来て、興味深げにワタナの目を覗き込んだ。

「ふうん、成程。左目が特別なのか」

 びくり。ワタナは身を震わせる。

 あんときと同じだ。ちびっちまいそう――


 自分の左目が特別なことには子供の頃から気付いていたが、魔力なんて農家の次男坊には無用の長物。だからワタナは、左目のことは隠して生きていた。

 八年前のあの日も、家の手伝いで畑に出ていて。

 せっせと青菜を刈り取っていると、街道を歩いてくる光の塊が視えたのだ。


 なんだありゃ! 化けモンか?

 眩しすぎて目ん玉が潰れる!


 ワタナは逃げようとしたが、腰が抜けてしまった。近くにいた妹が、「兄ちゃん、なにやってんだよ」と笑ったが、ワタナは妹に逃げろという余裕さえなかった。


 こえぇよ。怖すぎる。

 太陽光みたいに目が射貫かれそうなのに、目が離せねぇ。


 あわあわしていると、街道を外れて熱の塊が歩いてきた。

 よくよく見れば、自分より年若い青年で、興味深げにワタナを覗き込み、


 ――成程。左目が特別なのか。


 そう。見抜いたのだ。女の子と、まったく同じ台詞を吐いて。


「……お嬢ちゃん、いってぇ誰だ?」

「ん? 私? えーとね、『アリアの書』の精、とでも名乗っておこうかな」

 ワタナは信じかけたが、女の子はすぐに否定した。

「え? まさか信じた? 冗談だよ、人間だよ」

「……いや、でも、その魔力量。本の精霊でもねぇと」

「魔力量も視えるのね」

 女の子はいって、なんだぁ、わざわざ私が出張る必要なかったんじゃん、と気抜けした顔になった。


「お兄さん、ブレアの第二王女って、視た?」

 ワタナは無言でうなずいた。

「どう思う?」

「俺より優秀」

「そうよねぇ」


 予想通りの答えだったらしく、意味深な感じに女の子が口角を上げる。

 かと思えば、つと『アリアの書』に目をやって、

「そういえば、魔術師団員の一人が、偶然自分の魔力量よりも多い頁を開いたって、フクマがいってたっけ。それってお兄さんのことよね」

「ああ」

「左目に風が視えた?」

「ああ」

「いま、どこまで開けられるの」

「五十二」

「ふうむ」


 女の子は腕組みしながら唸ると、なにかを思いついたふうに、にぱっと笑った。

「ねえ、魔術師団員って、一芸に秀でている人間が集められているみたいだけど、そのことについては各々隠しているのかな」

「そうかもな」

 曖昧に答えたが、ワタナには全部視えていた。

「それ、教えてくれない? 私が視ても構わないんだけど、一々黒ローブを捜してまわるのも面倒だし」

 教えてくれたら、お礼に六十まで開けられるようにしてあげる、といわれて、ワタナは目をむいた。

「って、お嬢ちゃん、本当に精霊か?」

「あはは、人間だってば」

 きゃらきゃらと女の子が笑う。

 迷わずワタナは、四方以外の仲間の一芸をリークした。

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