第二章 15.しめやかなのが魔術なの

「え?」


 なにこれ、臭い。

 辺りに漂う腐ったゆで卵のような異臭に、アリスは顔をしかめた。


 フクマに連れられ王宮に移動したはずが、着いたのは小高い丘の上。眼下に広がっているのは、地面から煙が噴きだす白茶けた荒地である。


「しっ」

 フクマが小声でいった。

「お前さんの姿は見えんようにしてあるが、静かに」

「ここ、どこなの?」

「灰の谷じゃ」

「灰の……って、五年前の?」

〈灰の谷の千人斬り〉の胸糞悪い話は、アリスも知っている。

「うむ。ブレアの王女を迎えに出かけた団長が、一向に国境に現れないと先発隊から連絡が来てな。ここじゃないかと当たりを付けたが、案の定じゃ」


 ブレアの姫の馬車が襲われたな、とフクマが谷を見下ろす。

 視線の先に、殺気立つ男たちの円陣が見えた。芯にいる誰かを、八重十重と花弁のように取り囲む布陣だ。

 向こうに馬車と、翠の服を着た若い娘と副団長のジェイクの姿も見える。円陣の近くには、場違いな赤いドレスの女も。


 なんだ、あの勘違い女は。


 思ったところへ、女が声を発した。

「見なさい! ブレアの王女!」

 次の瞬間、男たちが雄叫びを上げながら、一斉に中心に向かって走りだす。

 人喰い花が獲物を食らうごとく、円陣が閉じた。


「きゃあああ! 聖剣様ぁ!」

 男たちの声に交じって、娘の絶叫が谷に響く。

 悲鳴に応えるように、円の中心がふわりと光を発し、上空に魔法陣が現れた。円陣すべてを覆い尽くす、巨大な陣だ。


「おおおおお、お……?」

 魔法陣が現れた途端、男たちの勢いが消滅した。

 矛を突く体勢のまま、ぴたりとその場で動きを止める。

 やがて、魔法陣の光が消えると、


 ばたり。


 円陣の一番外側にいた人間が、槍を持ったまま仰向けに倒れた。


 ぱたり。

 ばたり、ぱたり。


 次第に、外から内へ。

 一枚、また一枚。

 大輪の花びらが開くがごとく。


 ぱたり。

 ばたり、ぱたり。

 男たちが倒れていく。


「……綺麗」


 アリスは小さく感嘆した。

 戦好きの連中は、敵軍を薙ぎ払う紅蓮の炎や雷の刃を期待するようだが。

 スマートな魔術師は、大仰に身体を燃え上がらせたり、血を噴きださせたり、首を刎ねたりはしない。

 そもそも魔術とは、しめやかなものなのだ。


 いま展開されたのは、オーソドックスな風の魔術である。

 使用したのは、目の前の大地から噴きだす煙――吸い過ぎると中毒を起こす灰の谷の白煙。

 術師がやったのは、風を操り、凝縮した煙の成分で、すっぽりと円陣の上部を覆ったことだけ。

 たちまち意識は混濁し、敵兵たちは倒れ伏した。

 

 怪我もなく、

 ただ静かに、

 あっけなく。


〈灰の谷の千人斬り〉の実態も、目の前に光景に近いものだったに違いない。


 最後の敵兵が倒れ、花芯部分に白金色の髪の魔術師が現れても、誰一人声を上げなかった。静かすぎる戦いは、血を滾らせる戦いしか知らない者を、逆に戦慄させるものらしい。 


「なっ、なにをしたのあなた!」

 赤いドレスの女が戦慄き声で喚いた。

「気を失わせただけだ」

 フィルオードは淡々と応じた。風を使って、谷全体に声を届けている。

「しかし、このまま谷にいたら本当に死んでしまう。さっさと叩き起こして、ここから去れ」

「わ、私に命令しないで!」

「忠告はしたからね」


 言い捨てて、フィルオードが王女の馬車のほうへ戻っていく。

 しかし王女様は、フィルオードが傍に来ても、副団長の背中に隠れたまんまだ。遠目でも判るくらいおどおどしている。


 ていうか、あの子……。

 王女を見ながら、アリスは眉根を寄せた。

 じろじろと眺めていると、視線に気付いたのか、フィルオードがふとこちらをふり返る。

 ばっちり、目が合った。

「……おっと、気付かれたわい」

 行くぞい、とフクマが腕をつかみ、アリスは今度こそ王城に転移した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る