第二章 13.お嫁さん候補、襲撃を受ける

 その少し前。

 フィルオードとジェイクは勝手に国境を越え、ブレア王国に入っていた。


 立っているのは崖の上。遥か下に、濛々と白い煙を吐く灰の谷が広がっている。

 不毛の荒地の真ん中には、四頭立ての馬車と護衛騎士。その周りに、盗賊風の男たちが見えた。

 ブレアの第二王女の馬車が、ロルムの者に囲まれている。


「……やはり、来ましたね」

「ああ。予想通りすぎて笑える」


 ブレアからロザリアへの道程は、比較的整備されていて、全体的に安全だ。しかし、一か所だけ危険な箇所がある。

 それがこの〈灰の谷〉だ。五年前の戦いの際の激戦地で、フィルオードがマルダン兵を蹴散らした地でもある。


  マルダン兵が折り重なって倒れ伏し、

  くすんだ黄身色の大地は、血の赤に染まり、

  死屍累々。

  腐臭漂う、煙の中で、

  立っているのは、ローズアリアの聖剣一人――


 凄惨を極める戦いだったと、五年経ったいまでも、実しやかに語られる〈灰の谷の千人斬り〉。

 実際は、血の一滴も流れてはいないのに。

 単身乗り込んでいった王弟を連れ戻せと王に命じられ、戦地へと赴いたジェイクは、この目で見たので知っている。

 マルダン兵は死んでいなかった。酸欠で倒れていただけだ。

 フィルオードがやったのは、マルダン兵の意識をことごとく奪い、


 ――気絶している間に、お前たちの命も、一瞬で奪えるんだよ?


 と警告しつつ、各々の顔の横に氷で出来た鋭利なナイフを突き立てたことのみ。

 意識を取り戻したマルダンの兵士たちは、這う這うの体で逃げていった。


 負け惜しみにマルダンの奴らが、「ローズアリアの聖剣は、血に飢えた狼だった」と、凄惨な光景を吹聴してまわったのだ。ブレアのほうも、そちらのほうが都合がよかったのか、でっち上げの〈灰の谷の千人斬り〉を、あえて正そうとはしなかった。


 結果、灰の谷は、夥しい血が流れた忌まわしい地と成り果てた。マルダンが撤退しても、ブレアの民は一人も戻らず、誰も彼もが、白煙を横目に見ながら、そそくさと谷を通り過ぎる。

 折角マルダンから死守したのに、いまではこの一帯は、所属が曖昧になってしまった。


「ロルムが第二王女を襲うとしたら、灰の谷だろう」


 団長は予言していた。

 聖剣の評判を貶めたブレアの王女なんぞ、自国の忌み地で襲われたって、ジェイクにいわせれば自業自得である。

 だが、流石に殺されたら寝覚めが悪い。


「仕方がない。助けるか」

 谷を見下ろしながら団長がいった。

「だが、ロルムの数が多すぎて面倒だ。まずは、護衛たちをこちらに引き上げる」

「多い?」

 ジェイクは首を捻る。五十人くらい、団長にとって物の数ではないはずだが。

「煙に紛れて、あと三百ほどいるぞ」

「三百ぅ?!」

 ブレアの第二王女一人を拉致するのに、そんな人数は必要ない。ロルムの狙いは、千人斬りの聖剣様か。

 ジェイクは蒼ざめたが、フィルオードは呆れたふうに首をかしげている。

「灰の谷の煙は、吸い込みすぎると死ぬんだが、知らないのかな」

 

 ひゅう、と谷に向かって一陣の風が吹いた。

 と思ったら、耳元で団長の声がした。

「ロザリアの王弟フィルオードです。お迎えに上がりました」

 風に乗せて、ブレアの連中に声を届けているのだ。

「まずは護衛の皆さんに、退避していただきます。風に乗せますので、暴れないように」

 フィルオードが、ひょいと右手でなにかをつまみ上げる仕草をした。

 次の瞬間、ぶわっと風が巻き起こり、馬車を護っていたブロアの騎士たちは、一気に灰の谷から上空に飛ばされた。

 うわああああ! と悲鳴を上げながら、男たちがきりもみ状態で落ちてくる。フィルオードは魔術師団の訓練時のように一切の容赦なく、騎士たちをどすんどすんと崖の上に落とした。

〈灰の谷の千人斬り〉に関して「放っておけ」としかいわない団長も、ブレアについては業腹だったのかもしれない。

「騎士のくせに、受け身くらいとれないのか」

 呟きながら、呻いている騎士たちを冷たく見下ろす。

 それから団長はがしりとジェイクの腕をつかんだ。

「王女殿下のことはお任せください」

 次の瞬間、ジェイクはフィルオードと共に、ブレア王女の馬車の前にいた。

 

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