第二章 12.聖剣様の噂話に耳をダンボにしていたら、昔の知り合いに捕まった

 

 肉屋を目指して歩いていると、女たちの立ち話が耳に入った。


「聖剣様が、見合い?」

「見合いじゃないよ、縁談だよ」


 思わず歩みを止める。古着を眺めるふりで、聞き耳を立てた。


「陛下の肝煎りだって話さ」

「お相手は?」

「ブレアの第二王女様」

「お断りできるのかね、そういうの」

「無理じゃないのかね。ブレアとの絆を強くするための政略結婚だろ。フィルオード殿下直々に、国境まで王女様をお迎えに上がったって、王都じゃえらい噂になってんだ」


 声のほうにちらりと視線を向ければ、垢抜けた感じの女が目に入った。王都から来た人間だろう。ということは、王弟の縁談の噂を直に聞いて話している。


「また一人、いい男が売れちまったよぉ」

「ま、金を積んでも買えないけどさ!」


 あっはっは、と大口を開けて女二人が笑う。

 笑い声を背に、ふらふらとアリスはその場を離れた。

 

 縁談。

 フィルオードが。

 あっちもこっちも。

 縁談。


 急に来なくなった理由は、これか。


 できれば、ちゃんと本人の口から聞きたかった……。


「この人を選んだよ」って。


 そうしたら。

 そうしたら――……?


 納得できた?

 祝福できた?

 諦めがついた?


「なんか、違う……」


 無性にフィルに会いたくなって、アリスは蒼穹を仰ぐ。

 遥か上空を行く鳥をぼんやりと眺めた。


「……飛べたらいいのに」

「なら、飛べばいいじゃろが。命短し、恋せよ乙女、じゃ」

 

 はっとした。

 少し掠れ気味の、高めのこの声は。


 ふり返ると、パン屋とチーズ屋の間に、背の低い初老の男が立っていた。

 フクマ・ゴーノ。

 王国魔術師団の中でも、特に〈四方〉と呼ばれて敬われている、前ゴーノ侯爵の三男。

 王国魔術師団の結成前から、宮廷魔術師として城に勤めていた『アリアの書』の研究者て、同じく研究者だったティアリスを娘のように可愛がってくれた、ティアリスにとっては、父親のような存在。

 

 懐かしさに、胸が込み上げてきそうだけれども。

 ……視ちゃダメ。

 アリスはそろりとフクマから視線を外した。


 現在フクマは、光の屈折を利用した魔術を絶賛展開中。

 行き交う人々に、フクマの姿は見えていない。

 だから、アリスの目にも入りはしないはずで。


 視えていることを気取られてはいけない。

 アリスはぎくしゃくと足を動かし、その場から離れようとした。

 しかし、


「……ふむ。黒毛で魔力はまったくないが、視る眸は健在なようじゃな。瞳は受け継ぐように残したわけか」


 ……無駄みたいだ。


 諦めてアリスは視線を向けた。


「久しぶりだの」

 フクマがにまっと笑って挨拶する。

「ティアリス……いや、アリスティアだったか」

「……どうして私が?」

「いや、あんなフィル坊を見たら、阿呆でもなにかあったと思うて。雪解けどころか、花まで咲きそうな勢いなんじゃから」

 だから、転移するフィル坊の後を付けてみた、としれっと宣う。

「そうしたらなんと、黒髪の女の子がおったわけじゃ。赤紫の双眸のな」

「それだけじゃ、さすがに私だって判らないと思うけれど?」

「流石に、最初は半信半疑じゃったが。しかし、おまえさんが極小魔法陣を付与した魔具をこしらえよんのを見て、確信したわい。この子はだとな」


 だいぶ前から、見張られていたわけか。


 気付かなかったのはしょうがない。なにせ、フクマが得意とするのは隠形の魔術。密かに動くのは、フィルオードよりも上手なのだから。


「気が付いたのはいつ?」

「半年ほど前じゃが、安心せい。いまのところ、儂以外には誰も気付いておらん」

「それが、今頃になってどうして? なにか、このが必要な事案でも?」

「ああ。視てもらいたい人間がおる。それと、『アリアの書』に関して、少々きな臭くなってきおった」


「わかった。戻るわ」

 アリスは即答した。

「ただ、子供の私が家を離れるには、理由が要るんだけど」

「シャーロン領を訪れていた儂が、偶然市場で見かけた黒髪の少女に興味を持ち、家を訪ねるというのはどうじゃ? 本当に魔力量がゼロなのか、城に連れ帰って計ってみたいと申し出れば、ひと月くらいはくれるじゃろ」

 普段ならば、娘を研究材料? と両親が難色を示しそうだが。

 黒毛を外に出したいいまならば。

「うん確かに……案外行けるかも」

 


 そこからは早かった。

 トノーの手伝いを終え、アリスが帰宅するとすぐに、魔術師団の黒ローブを纏ったフクマが家を訪ねてきた。


 まずは、王国魔術師団の〈四方〉だという威圧感をまき散らし、アリスの家族の度肝を抜いて。

 それから一転、黒髪の珍しさをぺらぺらと熱弁。

 あっという間に、娘を連れていく許可を、両親から取り付けてしまった。

 

 フクマとの再会から三日後、アリスはフィルオードが作った転移の魔法陣を使い、誰に姿を見られることなく、古巣である王城入りを果たしたのだった。

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