第二章 11.渡る世間に、鬼と天女

「アリス! ちょっと市場に行ってきておくれな」


 マトリがやって来て、財布とメモをアリスに渡す。

 一週間ほど前にアリスが「実は読み書きも計算もできる」と自己申告したところ、買い物を頼まれるようになった。

「買い食いなんかするんじゃないよ」

 マトリがくどくどと念を押す。

 はいはい、とおざなりに返して、アリスは出かけた。そもそも財布には、頼まれた品が全部買えるかどうか、微妙な金額しか入ってないのだから。

 

 週に一日から二日、三日と、いつの間にかアリスがトノーの店に通う日が増えていた。

 仕事量まで増えつつある。マトリたちは、アリスが来ない日の洗い物を溜めておいて、全部アリスにやらせるのだ。


 買い物リストを確認すれば、重たそうなものばかり。

 日毎に青さを増していく空を眺めて、アリスは嘆息した。


 市場の買い物は刺激になるし、とっても面白いんだけれど……。

 そろそろ、やめたくなってきたぁ。


 空が蒼から碧へと濃くなるにつれ、暑さが増すのがロザリアの夏。重い荷物を抱えて歩くのも限界に近い。


 さらには、会いたくない人間に、会う確率も高い。


「あら、黒毛じゃない」

 例えばこの双子の姉妹。八百屋の娘のニニとミミ。

 泣き黒子の位置が右と左で異なる以外、似ていない部分を探すのが難しいほどそっくりなこの双子は、アリスの兄たちの幼馴染である。

 ついでにいえば、兄たちの嫁さん候補でもある。

 双子兄たちは、二人とも家に残って、将来的に商会を共同経営したいといっている。嫁さんも、諍いなく一緒に住める人をと望んでいる。

 だから、仲良し双子の姉妹はうってつけと考えているようだが。

 正直いって、アリスはこの姉妹が苦手。顔を合わせるたびに、黒毛黒毛とうるさいからだ。

 

「あんた、トノーに嫁に行ったって、本当なの?」

 泣き黒子が右にあるニニが聞く。


 んなわけないだろ。まだ十二歳未満だぞ私は。


 アリスはぐっと言葉を呑み込み、へらりと笑い返した。

「嫁には行ってないけど、ちょっとお手伝いをね」

 日中は黒毛はほとんど実家にいないから、安心して双子兄のお嫁に来てくださいな――と本来ならばアピールすべきところだが。


 でも、ニニミミだからなあ。


 しかし、アリスの気持ちとは裏腹に、ニニミミは顔を見合わせ、


「いいかもね」

「いいかもね」


 なにがいいのかは、聞きたくない。


 ていうか、あれって、お互いに鏡を覗き込んでる感じなのかな。

 この二人を双子兄の嫁にすると、どっちの嫁さんか判らなくなりそう。

 勘違いして、自分のじゃないほうを、寝所に連れ込んじゃったりして?

 逃避気味にくだらないことを考えていると、ニニミミがくるりとこちらに向き直り、異口同音に宣った。


「確実にあんたがいなくなるんだったら、いいかもね」


 いいたいことだけいって、じゃあねとニニミミが去っていく。

 二人の背を見送りつつ、アリスはぼやいた。


「……世知辛い」


 世知辛いが、渡る世間は鬼ばかりではない。市場には、素敵な姉妹だってちゃんといる。


「ウキナさん、こんにちはぁ」

「あら、アリスちゃん」


 アリスが立ち止まったのはドライハーブの店の前だ。店番は、きょろりとした猫目のお姉さん。アリスを見て破顔した。

「この間は、サキナを助けてくれてありがとう」

 サキナとはウキナの年子の妹だ。双子ではないのに瓜二つで、とても仲がいい。


「私なんて、想像しただけでパニックよぉ。もう大感謝!」

「いえいえ、どういたしまして」


 役に立ったならよかったですと、アリスも笑顔を返す。

 少し前に、月のモノが服の表面に染みでてしまい、真っ赤になって慌てているサキナに出くわしたのだ。

 そのとき、アリスはジーナに卸すために、商品をいくつか持っていた。ちょうど染み抜きリボンもあったので、これ使ってみて、とサキナに渡したのである。


「あれって、本当に不思議な布ね」

〈オンナの味方〉って言い得て妙ね? と商品名を口にしつつ、ウキナが意味深に口角を上げる。

「あはは……」

 アリスは笑いで誤魔化し、リストに視線を落とした。

「ええと今日は……バジルとタイムを一袋ずつお願いします」

 財布から百エーン硬貨を七枚出して渡す。すると、ウキナはそのうちの三枚をつまんで、

「安くしとくわ。サキナを助けてくれたお礼よ」

 ハーブをおまけでつけるよりも、アリスちゃんにはこっちのほうがいいでしょ? と硬貨をアリスの手に載せてくれる。


「あっ、ありがとう!」

「こちらこそ、ありがとうね」


 くうう、ウキナはスマートさんだ!

 こういう人が兄さんたちのお嫁さんになってくれたらいいのに!

 ウキナとサキナ、姉妹セットで父さんにさり気なく勧めてみよう。


 ニニミミで荒んだ心が癒されたぁ、とアリスは機嫌よく市を歩いていった。

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