第二章 8.フィルオードの縁談

 恐ろしく、団長の機嫌が悪い。


 今朝からだ。内々に呼びだされて、実の兄――つまり国王陛下に会いに行ってから。

 

 なにをいわれたんですか、団長?


 たずねる勇気がないジェイク。だからいまだに、団長の眉間の皺の理由が分からない。


 とうとう、床が凍り始めた。

 初夏だというのに、執務室が氷室のように――


「へっくしょい」


 ジェイクはぶるりと身を震わせる。

 かと思ったら、今度は机の上が燃えるように熱くなった。


「あっちっち!」


 思わず立ち上がれば、傍らでもごうっと燃え上がる音が。


「くそっ」

 忌々しげに、団長が炭化したペンを放りだす。氷漬けも炎上も団長のせいだ。魔力が乱れに乱れている。


「団長……。一体、どうなさったんです?」

 覚悟を決めてたずねれば、フィルオードは唸り声を発した。

「……次の私の誕生日祝いの夜会で、妃候補を選ぶようにいわれた。前の婚約は解消して、新しい相手を選べと」

 私をティアリスと婚約させたのは兄上なのに、と悔しげにいう。


「妃」


 思わず、呆けた声が出てしまった。

 女を一切寄せ付けない王弟の――妃。


 迂闊に触れようものなら、指先が凍傷で崩れ落ち、

 腕に絡みついても、一瞬で池の中に放りだされる。

 機嫌が悪けりゃ、愛の巣は氷漬け、

 場合によっては、ベッドの上が燃え上がる。(比喩ではなく)

 そんな男の妃って――

 どんな荒行だ?


「結婚するつもりはないと答えたら、白い結婚で構わないからと」

「白い、結婚」

 勇者妻だけが拝めるはずの夫の聖剣様に、近付くことも叶わない?

 ほら、やっぱり苦行だ。


 しかし、それでも。

 妻の座を欲っする女はいるだろう。なにせ相手は、薔薇のかんばせの王弟殿下だ。


「けれど、どうして陛下はいきなり結婚しろなどと」

「兄上曰く、私の氷土が緩み始めたから、と」

「え」

「いまの私ならば、ふりだけでも女性を侍らせることができるだろうと。そういわれた」

「それは――」


 確かに、団長は以前よりも丸くなった。

 無表情は相変わらず。

 微笑むわけでも、愛想がよくなったわけでもない。やっぱり顔面凍土の聖剣様。

 しかし、向かってくる相手に、矢鱈と冷気を発することが少なくなった。

 魔術師団への命令書を、度々炎上させることもなく。

 声を聞いて、笑っていると勘違いすることもたまにある。

 さらには、時折、翠の双眸の奥に、春の陽光のような温かな輝きが見え隠れすることまで。


 大人になって角が取れてきたのかしらと、魔術師団の女たちは単純に喜んでいるが。

 違うと思う。

 団長が落ち着いたのには、ちゃんと理由がある。


 二年前の、フィルオード二十二歳の誕生日の夜会の後。

 団長は、折り紙の小鳥を追いかけどこかへ転移した。小一時間後、何事もなかったような顔で戻ってきたが、


 ――待っていたのか。すまない。


 素直に謝ったのだ。あの団長が!

 

 たぶん、あのときの団長の転移先は、シャーロン領だった。

 そう。あの女の子と一緒にいた、シャーロン領。

 

 ジェイクは上司の顔色を窺いつつ、提案した。

「一度、あの子に相談されてみては」

「十一の娘に、いい大人の縁談を?」

 フィルオードが……苦笑した!

 団長の表情が動くこと自体、非常に珍しいが。


 でも、誤魔化されませんよ。

 縁談のことを持ちだして、女の子の反応を窺ってみたいと、心の底では思っていますよね? 団長!



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