第二章 5.アリスの縁談

 夢を見た、気がする。


 庭にいて、あまりの暑さに部屋に戻った。

 正直、そこからの記憶は曖昧で、ベッドに倒れ込んで寝てしまったようだ。

 そのとき、白昼夢のような夢を見た。


 体がひんやりして気持ち良くて、下着の上から丘陵をなぞるように撫でられているのも、妙に心地よく。

 薄目を開けると、翠の瞳が覗き込んでいた。

 狼のフィオの目だと思ったのに、ふさふさの耳がなかった。


 ――水を飲んで。


 人間の……白い歯が見えた。

 それから口移しで水を――


「って、なんて破廉恥な夢!」

 ベッドの上で悶えていると、珍しく両親に呼ばれた。


 居間に降りていくと、前に座りなさいと促される。二人とも妙ににこにこしている。どうしたのだろう。

 訝りつつ腰を下ろすと、父親揉み手で始めた。


「アリスも、もうすぐ十二歳かぁ! あと三年もしたら、大人になっちゃうなあ」

 ロザリア王国の成人は十五歳である。

「ていうか、身体のほうが先に、一人前になりそうだな?」

 確かにアリスは、ここ三カ月ほどで、急に背が伸びた。背丈だけなら母親のマーヤとほとんど変わらない。

「なんかこう、急に娘になっちまったなあ」

 父親が眩しそうに目を細める。男共がそわそわし始めるわけだ、と独りで納得している。


 なにやら嫌な予感。

 そう思ったところへ、

「実はな、お前に縁談が来ているんだよ」

 予感的中。


「まだ早いよ」

「父さんもそういった。お前の兄さんたちと同じで、おまえも十四、五になったら店の手伝いをしてもらって、看板娘になってもらおうと思っていたからな」

 けどな、とにんまりする。

「店先に出て、悪い虫がついたらどうすんだって、ゲイルの奴が文句をいってきてなぁ」

 ゲイルとは、学校に来いとしつこくアリスを誘いに来ていた、例の幼馴染み。

「まさか、縁談の相手って」

「そうだ。ゲイルだよ」

「えええ……」

 アリスは分かりやすく嫌そうな顔を作ったが、照れ隠しのように見えたのか、父親は明るく続けた。

「実家で看板娘をやるくらいなら、ウチの店で働けばいいって、父さんに力説するんだよ」

「ゲイルの家で?」

「ああ。まずはお手伝いがてら、週に一、二度な」

 あっちの商売も覚えるし、ゲイルとの相性も見極められて、一石二鳥だろう? と父親は上機嫌。

「問題なかったら、徐々にあちらの手伝いを増やして――」

 じわじわと、アリスは婚家に取り込まれるという算段か。


 やれやれ、参ったな。

 嫁ぐ云々に関しては、あと二、三年は大丈夫だと思っていたのに、予想外もいいところだ。

 というか、その前に、

「お駄賃は貰えるの?」

 無邪気を装ってアリスはたずねる。

「働きに行くんでしょ、私。いくら貰えるの?」

「駄賃……?」

 父親が眉根を寄せた。そんなことを聞かれるなどと、夢にも思っていなかった顔である。 

「しかし、アリスはゆくゆくあちらで世話になるのだから」

「本当に世話になるかどうかは、わかんないじゃない。まだお試しなんだから」

「しかしお前、見習いといったら、給料は出ないのが普通だぞ。商いを教えてもらうんだから」

「要するに、あちらとは駄賃の話はまったくしていないんだね?」

「縁談なのに、そんなことできるか」

 はあ、ただ働きかぁ。

 貯金大好き娘はがっかり。

 いや、ぐったりしている場合じゃないわ。これだけはいっておかないと。

 アリスは表情を改め、椅子の上で姿勢を正した。

「……わかりました。とりあえず、ゲイルの所へ通います。けれどその前に、約束してほしいことがあります」

 

 もし、私が嫌だと感じたら、すぐにやめさせてください。

 説得して嫁がせようとはしないでください。

 考え直せとか、絶対にいわないでください。


 両親は娘の真剣な様子に驚きつつもうなずいてはくれたが、父親のほうは苦々しげだった。

「……お前、ゲイルが嫌いだったのか?」

 いや、思春期の男の子が苦手なだけよ。


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