第二章 4.寝込むときは、寝込みを襲われないように

 フィルオードが訪れると、いつもの場所に少女の姿がなかった。

 しばらく待ってみたが、現れる気配はない。


 フクマの爺が怪しんでいる。嗅ぎつけられたら厄介だから当分来られない。


 そう伝えに来たのだが、どうするか。

 しばし迷って、娘の部屋を覗いてから帰ることにした。

 使用人が開けた裏口の扉から、するりと家に忍び込み、二階への階段を上っていく。

 突き当りの部屋へ行くと、扉が薄く開いていたので、鼻で押し開け、中に入った。


 中途半端に開けられた窓から、ゆるく風が通り抜ける。

 いつもここを訪れるのは闇に紛れての夜ばかりで、フィルオードは明るい昼間に来たことがない。色つきの室内を見るのは初めてだった。


 ファブリックが落ち着きのある翠で統一されている部屋は、少女の、というより、大人の女性の私室の佇まい。

 その奥におかれたベッドの上に、アリスが横たわっていた。


 近寄って顔を覗き込むと、りんごのように頬が赤い。

「熱を出したのか」

 風邪?

「いや、暑気当たりか」


 今日は、季節外れの蒸し暑さだ。一つ二つ月を飛び越し、夏になったように、風までがむっと熱気をはらんでいる。

 少女の身体が、突然の暑さに耐えきれなかったのだろう。庭にいたものの、具合が悪くなって戻ってきたに違いない。


 アリスはかろうじてワンピースは脱いではいたが、そこで力尽きたらしく、無防備な下着姿でぐったりしている。ベッドの横におかれた水差しの水も、飲んだ様子はない。

 銀狼の鼻先を娘の首元に押し当てると、汗ばんだ娘の体は、かなり熱かった。

 はあはあと、口から漏らす息も、熱っぽい。


「……少し、冷やそう」

 冷却の魔法陣を展開させつつ、そろりとアリスの首元に銀狼の鼻先を埋めたが、

「効率が悪いな」

 フィルオードは、銀狼の変化を解いた。


 両手に冷却の魔法陣を展開し直し、アリスの額にそっと触れる。

 首元から肩、鎖骨から体の脇へ。最近急に、柔らかな凹凸が付き始めた娘の肢体に沿って、ゆっくりと手を滑らせる。


「……ふ」

 やがて、大きく息を吐いて、アリスが薄っすら目を開いた。

「気が付いた?」

「……誰?」

「水を飲んで」

 薄く微笑んで、フィルオードはコップに入れた水を己の口に含み、アリスの頬に手を当てて、口移しで水を飲ませた。


「……ん、んぅ」


 数回に分けて、ゆっくり嚥下させる。

 最後に自分の舌に眠りの魔法陣を展開し、アリスの舌に絡めた。


「ん、んん」


 翻弄されている娘の声に満足すると、フィルオードはリップ音を鳴らしつつ唇を離した。

 くたりとアリスが気絶するように眠りに落ちる。

 目覚める頃には、体調は戻っているだろう。


 そっと娘をベッドに横たえながら、フィルオードは己を笑った。

「人間でも、狼だな……」

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