第二章 3.魔具だけど百エーンだから見逃して
「そうだ、団長。これを報告しようと思っていたんです」
風の塔に戻ってきて、思いだしたようにジェイクが執務机においたのは、小指ほどの長さの、短い木綿の端切れ。
フィルオードは無表情にそれをつまみ上げた。
生成りの生地に、砂粒ほど点描で、見事なレース模様が施されたリボン――のように見えるが。
「最近、城下で出まわっているものです。なんの変哲もない品に見えますが」
「謳い文句は?」
「……染み抜きです」
「こんなしみったれた布切れで、染みが取れるのか」
「効果は抜群でした。染みに当てると魔術が発動して、本当に消えちゃいました」
「……そうか」
「問題はそこじゃないんですよぉ!」
突然ジェイクの口調に泣きが入る。
「リボンに施されている魔法陣が、ちっとも判らない」
「いつものように?」
「恥ずかしながら……」
ふうん、とフィルオードは頬杖を突き、リボンを眺める。鼻息でリボンが揺れた。
「これはどこで手に入れた?」
「リリアナの姉から」
リリアナはジェイクの妻だ。現在は産休職中だが、彼女も優秀な魔術師団員である。
「元々、この布切れを持っていたのは、義姉の知り合いだったそうで」
事の発端は、お針子をしているその女性が、ウェディングドレスを縫うときの必需品だといって、リリアナの姉に見せたことだった。
――魔法のリボンなのよ。針を指で刺しちゃって、白い布に血をつけちゃったとき、これを当てると嘘みたいに染みが取れるの!
「魔具なのかと義姉が聞くと、自分が贔屓にしている手芸店で買った便利な品だと、無邪気な答えが返ってきたらしいのですが」
こんなみすぼらしい布で、染みが取れるはずない。
義姉は不審に思い、その女性から魔法のリボンを貰い受けて、リリアナのところに持ち込んだらしい。
優秀な魔術師であるリリアナは、すぐにそのリボンが魔具であることに気が付き、夫のジェイクに見せた。
ジェイクはすぐさま件の手芸店に赴いたが、店主も製作者のことは知らなかった。
「時々ふらりと顔を見せる、田舎の行商人から仕入れたものだそうで。なんでも、この染み抜きについて根掘り葉掘り聞かないことが、商品を仕入れる条件になっているとかで……」
「値段はいくらだ?」
「百エーンです」
「パンが一つ買えるかどうかも怪しい、安物じゃないか。効果なんてすぐに切れる。放っておけばいいのでは?」
「しかし、解析できない魔法陣などと――」
「これは、ローズアリアの古語だ」
リボンを睨んでいたジェイクが、は? と顔を上げ聞き返した。
「古語?」
「ああ。書いてあるのは〈無垢な花嫁に寿ぎを〉」
「わ、判るのですか!」
部下の驚愕に、フィルオードは苦笑を返した。
読めたのではない。これを作った現場にいただけだ。
ある秋の日、シャーロン領に赴くと、庭の暗い所に少女がしゃがみ込んでいて、地面に向かって熱心に口説いていた。
――純白のドレスを縫っているときに、お針子さんが指に針を刺すことなんてザラでしょ。でも、生地に血が滲んだら、大惨事じゃない? 血の気が引くどころの騒ぎじゃないよね。そこで、あなたのお力を――
相手は、なんと舞茸。
染み抜きに茸の魔力を使おうだなんて、誰が思いつくものか。
一生懸命頼み込んでいた少女の姿を思いだすと、勝手に口元が緩む。
すると、
「団長……」
とジェイクが唸った。
「この魔具の製作者、誰だか知っているでしょう?」
じとりとした目で見下ろしてくる。
「まさか、さっき会ったあの女の子……なんてこと、ありませんよね?」
「子供だぞ」
「じゃあ、どうしてわざわざ狼の姿で、シャーロン領まで会いに行っているんです」
「狼のほうが、隠形しやすいからな」
陛下に知られたくない、と続けると、そんな厄介な案件なのかという顔で、ジェイクが蒼ざめる。
「……そこまでして、なぜ会いにいくんですか?」
「彼女を求めているから」
無造作に返すと、ジェイクが目を見開いて絶句した。
ぱくぱく口を動かすも、言葉が出てこないらしい。
しかし――
アリスの商品が王都で評判になるまで、確実に期間が短くなっている。
この染み抜きだって、流しの業者に卸し始めて、二カ月にもならないのに。
そろそろ、潮時か。
フィルオードはリボンを放り投げると、椅子の背にもたれて深いため息をついた。
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