第二章 1.悩める補佐官

 ジェイク・ジェインは困っていた。

 

 週に一、二度くらいの割合で、団長の姿が魔術師団長執務室から消えるのだ。

 補佐官であるジェイクにすら、一言も告げずにいなくなる。


 勝手に転移して、どこか遠くへ行っているのだろう。

 だが、いまのところ、上司のサボタージュは誰にも気付かれていない。会議に遅れたこともなければ、急ぎの案件や面倒事をおいていなくなったこともないからだ。

 毎度、置いてきぼりの気分を味あわされているのは、補佐官だけ。

 上司が姿を消すのは毎回一時間程度ということもあり、ジェイクは「団長にも息抜きは必要だ」と己を納得させてきた。


 なにせここ最近、信じられないほど、フィルオードがのだから。

 笑みを浮かべていなくてもそうと判る、団長からダダ漏れてくる温かな魔力。

 苦言を呈して上司の機嫌を損ねるくらいなら、ジェイクはあえて放置を選ぶ。


 しかし、たったいま、己の怠慢を心の底から後悔した。


「団長! またいない……!」

 独りで休憩していたはずのフィルオードが消えて、執務室はもぬけの殻。

「どうしよう。要請があったのに」

 先程、水鏡を通してシャーロン領から連絡が来たのだ。


〈雑木林に大きな魔力の揺らぎがあったので、確認されたし〉


 水鏡とは、フィルオードが作った、連絡用の水盆だ。連絡が来ると、水面が輝いて教える。こちらが前に立つと、水鏡に相手が映って会話ができる。

 両腕で抱えられるほどの大きさで、王国内の各領に配置されているが、魔力の消費量が半端ないため、使える人間は十人に満たない。有事の際にしか使われない代物だ。

 今回それが使われたのは、偶々〈四方〉の一人がシャーロン領を訪れていたからだった。大きな魔力の揺らぎを感知したと、フクマ卿自身が水盆に魔力を流して、報せてきたのである。

「至急、確かめにいくよう、団長に伝えてもらえるかな」

「そちらにおられるのですから、フクマ卿が見にいってくださればよいのでは?」

 ジェイクは水鏡越しに訴えたが、フクマ卿はしれっと、

「儂ゃ、ぎっくり腰」

 


「あんの、爺!」

 青筋を立てても、どうしようもない。魔術師団副団長で、立場上は上司のジェイクだが、実質的には四方の爺婆のほうがずっと偉いのだ。逆らうことなどできはしない。

「どうしよう。団長、一体どこへ――」

 ジェイクは唸る。なんとなくだが、フィルオードのサボタージュを、四方のお偉方に知られるのは不味い気がするのである。


「使いたくないな、これ」

 ジェイクは嘆息しつつ、ローブの内ポケットから一枚の紙を出した。

 記されているのは、転移の魔法陣。

 緊急の際に使えと、フィルオードから渡されたものだ。予めフィルオードの魔力が相当量込められていて、追加で魔力を注いで魔法陣を展開し、「誰それの元へ」と口にすれば、一瞬でその人物の元へと連れていってくれる。


 しかし、緊急用のこれでも、物凄く魔力を必要とするのだ。行使できるのは四方を除けば三人のみ。団長とジェイクと、現在妊娠七か月のジェイクの妻のリリアナだけ。


 妻は休職中で、団長は失踪中。

 残りの一人ジェイクは愚痴しか出ない。

 

「こんな魔法陣をくれるくらいなら、小鳥を渡しといてくれればいいのに」

 小鳥とは連絡用の小さな鳥。急ぎの命令や連絡があるときに、フィルオードが部下に飛ばすものだ。時によって喋ったり、命令書の一枚紙に戻ったりする。

 まことに便利な小鳥なのに、フィルオードは他人用には作らない。

「まあ、あれを渡すと、いつでもどこでも飛んできそうだからなあ」

 それでも補佐官くらいには渡してほしいと思いつつ、ジェイクは転移の魔法陣を見つめた。


 転移の魔術と呼ばれているが、実は風に乗って光の速さで飛んでいるだけだとフィルオードから説明を受けている。だから、外に出て使うか、屋内ならば必ず窓を開けておけと。

 しかし、光速などといわれても、まったく理解不可能。

 ジェイクには分かるのは、術を行使すれば、どっと疲れるということだけ。

 陣を展開する前から泣きそうだ。

 渋々、ジェイクは魔力を注ぎ込み、魔法陣を展開した。


「『アリアの書』第七五八頁の九――」


 静かに、月の女神に愛を囁くがごとく。

 呪文の最後の部分を詠唱する。


〈月の光に優る煌めきはなし。夜風に包まれるこの幸せを君に〉


「……フィルオード・ギィ・ローズアリアの元へ」

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