第一章 25.はみだし黒毛なんて呼んじゃいけません!

 アリスの家があるのは、そこそこ裕福な人間が住んでいる界隈で、勿論、子供もいる。

 だが、八つまでは人形のようだったアリスは、近所の子供たちから遠巻きにされていた。

 喋るようになってからは、アリスのほうから子供たちを避けている。井戸端にいる女たちに混ざっているほうが楽しい。


 当然ながら、同年代の友達はいないのだが。

 アリスを気にする子供も、いるにはいる。


「おまえ、また一人でなにやってんだよ」


 蜘蛛を相手に、せっせと商品開発に取り組んでいる最中、鉄柵越しに声をかけてきたゲイルもその一人である。


「なにって、見りゃわかるでしょ。遊んでいるの」

 アリスはちらりと柵の向こうに目を向け、いつもと同じ返事をした。

「おまえ、そんなに暇なら、学問所に来いっていってるだろ」

 学問所とは、シャーロン領の子供たちに、読み書き算術の基礎を教えている学校のことだ。八歳から十五歳までが通うことができ、始める年齢も終える年齢も自由。本人が望めば教養的なことも学ぶことができるが、基礎以上のことを学ぼうとするならば、王都にある学校へ行かなければならない。ちなみに、アリスの双子の兄たちは、十二歳から十五歳まで、王立学校に行っていたらしい。


 しかし、アリスはいま現在、どこにも通っていない。

 八歳のときに「アリスが喋った! 夢みたい!」と喜びに沸く家族に、「声が出なかった娘は、放っておかれた八年間で勝手に読み書き算術を覚えていた」という夢物語を、一つ追加しておいたのである。


 そんな都合の良いことがあるものか、と思いついた本人のアリスでさえツッコミを入れたというのに、

「ずっとお人形さんだった子が、学問所に行っていじめられたら困るし。通う必要がないなら万々歳だね」

 などと、好都合をするっと受け入れてしまうのが、アリスの家族なのである。


 いや本当、大らかにも程がある。

 八つの娘にころりと騙されて、大丈夫なのだろうか。この人たち、商売人なのに……。


 ともあれ、アリスは新たな魔法陣を生みだす研究に没頭できる毎日、というわけだ。


「けど、学問所に来れば、友達だってできるのに」

 ゲイルが苦い顔をする。

「それでなくてもなんだから、自分から輪に入っていかねぇと」


 はみだし黒毛。


 ゲイルはしょっちゅうアリスをこう呼ぶ。アリスを気に掛けているのか、いじめているのか微妙な呼び方だ。


「そんなふうだとおまえ、嫁き遅れちまうぞ」

「いいよ、別に」

「貰い手がなくなっちまうんだぞ、いいのか!」

「いいよ、いいよ」

「本当に売れ残っても、知らないからな!」


 捨て台詞を残して、ゲイルが走り去る。

 やれやれ、とアリスが嘆息気味に庭に視線を戻すと、木の根元に銀狼が佇んでいた。

 アリスと目が合うと、パタリと尻尾をふる。


「……見てたの」

 狼は近付いてきて、「いまのは誰だ」とたずねるようにアリスを見上げた。


「近所の子供のゲイルよ。ゲイルの家は、マイア商会の斜め向かいで食料品の卸しをやっていて、商店仲間なの。二つ上だけど、一応、幼馴染みってことになるのかなあ。学問所に来い来いってうるさいの」

 アリスは苦笑しながら説明し、ぼふっと狼の首に抱き着いて、銀色の毛に顔をうずめる。


「……消すか?」


 低い唸り声に交じって不穏な言葉が聞こえたような気がしたが、空耳ということにしておいた。

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