第一章 24.夜這いはご遠慮ください、聖剣様


「わあ……?」


 狼が消えていった暗がりを見ながら、アリスはびっくり眼。

 それから、ぷっと吹きだした。


「わあ、だって!」

 あはは! とお腹を抱えて笑う。


「ちょっと脅かしすぎちゃったかな? また来てくれるよね……?」

 少々不安になりながら、アリスは部屋に戻って布団の中に潜り込んだ。

 しかし、いくらも経たないうちに、ふっと背後に気配を感じて目を開けた。


 誰かに背中から抱き締められている。


「フィル……?」

 己を包み込んでいるのは、つるりとした夜着の感触。

 風呂に入ってきたのか、石鹸の香りもする。準備万端、寝支度を整えて舞い戻ってきたらしい。


 しかし、王弟殿下が少女の部屋に平然と夜這いとは、いかがなものか。

 アリスは寝返りを打とうとしたが、後ろからがっちり抱え込まれていてできなかった。


「抱き枕じゃないんだけれど」

 文句をいっても、まわされた腕の力が強まるだけで。


「しれっと同衾しないでくれるかな?」

 フィルオードが、ぶっと背中で吹きだした。


 ふむ、とアリスは考える。

 こんな片田舎に、強力な魔力が寝転がっていたら不味いよね。

 いや、見方を変えれば、これは魔力の塊を手に入れるチャンスでは。

「……少量ずつでも搾り取れる魔法陣を、シーツのどこかに仕込めないかな……」

 後ろに本人がいるのも忘れて、アリスはぶつぶつ。


 くくっとフィルが身を震わせた。

「わざと? その言葉選び」

「なにが?」

「……相変わらずだね」

 はあ、とため息を吐くフィルオード。

 ふん! とアリスも鼻息で返した。

「なによ。当分は狼の姿でいるよって、いったくせに」

「狼じゃ、こんなふうに抱き締められないだろ」


 それとも、狼のほうがよかった?


 フィルオードが囁いて、狼みたいに耳をぺろり。


「ちょ、ちょっと!」

 アリスは身を縮こませながら文句をいったが、フィルオードは聞いていない。今度はすりすりと、アリスの肩先に頭をこすりつける。


「……はあ、可愛い。可愛くて、堪らない」

「なんか残念なオジサンみたいだよ、フィル……」

「どうして? 君だって小さい僕を抱き締めて、可愛い可愛いってしょっちゅうスリスリしていたじゃない」

「そりゃ、フィルはとっても可愛かったから」

「君も十分可愛らしいよ」

「単に、子供だからでしょ」

「そうだな……うーん」

 フィルオードの手がアリスの胸元をぱふぱふ叩く。

「ぺったんこだな」

「当たり前じゃない」


 まあいいか、とフィルオードはまわした腕に力を込めた。

「大きかろうと小さかろうと、君ならばそれでいい」

 もう少しこのままで、と再び首元に顔をうずめる。

「いいけど、寝過ごして朝までいないでよ」

「明け方には戻るよ」



 大きくなっちゃったんだなあ。

 昔は、私のほうがフィルを抱き締める側だったのに。

 アリスはしみじみしながら、フィルオードの引き締まった腕をさすった。

 すっぽりと後ろから包み込まれて、背中がぽかぽかと温かい。むしろ熱いくらい。

 どうしてこんな温かな人が、「年中凍土」なんていわれているのだろう。


「ねえ、フィル。友達っていないの?」

「王弟に友達なんていないよ。孤高の聖剣と親しくなりたい奴もいないだろ」

「そうかなあ」

「部下ならいるけど。小姑みたいな補佐官が」

 さっきも青い顔で待っていて、戻ったらいきなり小言をいわれたと、笑い交じりにいう。

「部下、ねえ」

「そういう君こそ、いるの? 友達」

「私? 私は……物心ついたのが、八歳だったからなあ……」


 自分も偉そうなこといえないか。

 アリスは自嘲気味に笑って、

「でも、大事な人ならいるよ。新しい魔法陣を作りだしても、会いたいと思った人が」

 フィルオードの夜着の袖に、そっと頬を寄せる。


「生まれ変わった後でも誰かに会いたいと願ったのは、初めてだった……」


 フィルオードが背中で小さく戦慄き、はあ、と大きく息を吐く。さっきよりも熱い呼気だ。

「あと五年か……、〈待て〉ができるだろうか……」


 時送りの魔法陣の研究もしておくんだった……!

 呻きのようなフィルオードの声を聞きながら、アリスはゆるゆると眠りの階段を下りていった。

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