第一章 21.銀狼、釣れました
ここは――
着いたのは、木骨組みの建物に囲まれた通り。
一階は石造りで、上は木造の家々には、見覚えがあった。王弟としても魔術師団長としても訪れたことがある、シャーロン伯爵領だ。
石畳の道には、すでに小鳥の姿も魔術の気配もない。
だが、まだ追えそうだ。
先程、指にとまっていた小鳥に、己の魔力を混ぜておいた。そこは、抜かりはない。
小鳥が罠である可能性を考慮して、フィルオードは念のため、銀狼に変化した。
さらには、隠形の魔法陣を展開し、月光の間を擦り抜ける。
これで、フィルオードを見る者はもういない。
商業地区から、居住区へ。
眠りに沈む辺境の町を、銀狼は音もなく駆け抜けた。
「あら、綺麗な狼……」
大きな一軒家の庭先にいた何者かが、つとふり返った。
はっとして、フィルオードは脚を止めた。
ちょうど雲が切れて、丸い月が顔を出す。
明るい月光に照らしだされたのは、白々と夏の花が咲き乱れる庭に佇む、十歳くらいの可憐な少女だ。
「こんな夜更けに、お散歩ですか?」
ワンピースの寝間着姿の少女は、きらきらとした瞳で、隠形中の銀狼をまっすぐに見ていた。
狼の姿が見えている?
己の隠形を見破られた経験のないフィルオードは、困惑し、その場で固まった。すると少女のほうから近寄ってきて、鉄門を開け、
「おいでおいで」
この娘は、自分の背丈ほどもある狼が怖くはないのか?
訝しみつつもふらふらと、招かれるままフィルオードは庭の中に入ってしまう。
「こんばんは、狼さん」
少女が嬉しそうに目線を合わせて挨拶した。
首を傾げた拍子に、夜に溶けるような漆黒の髪が肩先でさらりと揺れた――が。
真っ黒な……髪?
夜のせいかと思い、フィルオードは少女の首筋に狼の鼻先を押し付ける。
しかし、少女からは、魔力の流れが感じられなかった。
ぺろりと舐めてみても、やはり魔力は感じられない。
魔力が、ない?
だが、魔力がないのは血液がないのと同義で――
混乱気味に考えていると、
「ふふっ、くすぐったーい」
少女が身を捩り、動きを封じるように、ぼふんと狼の首元に抱きついた。
そのまま、狼の頭を、背中を、わしゃわしゃと撫でまわす。
「……ん?」
だが、唐突に手を止めた。
「……まさか」
なにかを確かめるふうに、銀狼を正面から見据える。
「この翠……ひょっとして……」
同じく少女の理知的な双眸を間近で覗き込んだフィルオードは、驚きに息を呑んだ。
煌めく少女の瞳は、月明かりでもそれと判る、赤味がかった深い紫色で。
まさか、とフィルオードも叫びそうになった。
いや、待て。
見てみろ。彼女の髪色を。
黒だ。真珠色だと称えられた光沢のある髪色からは程遠い。
落ち着け。
理性を総動員して、人間に戻ろうとする狼の衝動を抑え込む。
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