第一章 11.魔力の「一」は小さいが、魔術師にとっては大きな「一」である

「ワタナ、そろそろ本当に切り上げて――」


 もう一度退出を促そうとしたジェイクは、何気なく写本に目を落としてはっと息を呑んだ。


 いつもは炎の動きで微妙にちらちらと揺れる『アリアの書』の綴りが、濃淡のない美しい金色を放っている。

 期待と共に視線を上げて油灯を見遣れば、やはりそう。

 ガラスの火屋の中で輝いているのは、炎ではない。魔術の光だ。

 だが光の魔法陣は、ワタナが開ける範囲外にあるはすで。


「まさか、なにかの拍子に開いたんですか?」

 

『アリアの書』は、己の魔力量に見合わない頁をめくろうとしても、紙の端が一瞬小指の先ほど浮くだけで、再びぴたりと閉じてしまうのだ。何度やっても、その繰り返し。まるで、どんなに求愛してもぴしゃりと跳ね除ける雌のごとく、である。


 つれないオンナにちょっかいをかけたくなるのはオトコの性、というわけではなかろうが、ワタナは魔法陣の研究に飽きてくると、『アリアの書』の写本で遊ぶ癖があった。

 紙を浮かせてはぴしゃり、めくろうとしてはぴしゃり。

 本との対話だといえば聞こえはよいが、ジェイクにいわせれば、動く本にじゃれつく仔猫である。貴重な写本が破れたらどうしてくれるのだと、何度小言をいったことか。

 

 あの悪癖が役に立った?


 興奮気味に見下ろせば、

「ふふん」 

 ワタナが不敵に笑いながら、おもむろに『アリアの書』を開く。

 見開きの五十二頁目だ。光の魔法陣が記されている頁で、本来ならば、魔力が五十一のワタナには開くことができない箇所。


 一度開くことができれば、見合った魔力量がなくても、次も開くことができるということか。


「どうやって開いたんですか?」

「わからん」

「は?」

「いつもみたいにいじっていたら、突然ひらっと、だな」

 つまりは偶然だ。

「だから、もう一回やれといわれても無理だ」

 しれっとワタナが宣う。

「はあああ?!」

 ここが書庫だということも忘れて、ジェイクは叫んだ。

「偶然だったとしても、再現を試みましょうよ! 検証もせずにおくだなんて、信じられません!」

 さあさあさあ! と目を輝かせつつ腕まくりする。

「さっそく始めますよ!」

「その前に、飯じゃなかったのか?」

「飯は後です!」

 はあ、とワタナが口元を歪めて、嘆息した。

「仕事を終えろっつったのは、おめぇだろうがよ……」


 

 ああ、風の人よ。


 ジェイクは伝説のあの人に呼びかける。


 もしかしたら近い将来、『アリアの書』を誰でも開くことができる日が来るかもしれません。


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