第一章 8.地下書庫の連中

石の城壁に囲まれた王城の敷地の最西端にある、巨大な八角形。


〈風の塔〉と呼ばれるその建物は、王国魔術師団の本部及び研究棟だ。ついでに、若手魔術師の住居を兼ねている。


 若手の一人(に含めてもいいかどうかは分からないが)であるフィルオードも、平素はそこで寝起きして、団長業務と王弟執務を行っている。王宮内にある自室には滅多に戻らず、専ら塔の住人だ。魔術師団長専用空間である塔の最上階は、ほとんど王弟殿下の離宮と化していた。


 魔術師団副団長兼王弟補佐官であるジェイクも、当然ながら、朝から晩まで塔に詰めている。

 右に倣えというわけではないが、若手魔術師の大半が、一日中風の塔にある書庫に籠っていた。


「なんだ、まだ残っていたのか」


 仕事帰りにジェイクが試しに書庫を覗いてみると、薄暗い閲覧席に瓶底眼鏡のワタナを見つけた。試しに声を掛けたが、ワタナは顔も上げずに、


「うぃ~」

「いい加減に切り上げろ」

「うぃ~」


 やめるふうもなく、書に耽っている。単純に音に反応しただけだろう。


 だが、よく見れば、ワタナは土気色の顔色だ。恐らく、朝からなんにも食べていないに違いない。


 視線を投じると、奥にも明かりが見える。あと二人、本に鼻先を突っ込んでいる男女がいる。


 あっちもか。


 夫婦であれだと止める者がいない。ジェイクは思わず嘆息した。


 彼らが捏ね繰りまわしているのは、魔法陣。

 たった一冊の、見開き五十頁までに収められている図形を、日がな一日飽きもせず、上から眺め、下から眺め、ときには光に透かして裏面から眺めたりして、どうにか改良しようと四苦八苦している。


――地下の連中は、


 ふと、先日聞こえてきた近衛兵の言葉が、ジェイクの頭を過った。


 塔の書庫は地下にあるので、騎士団の連中は、書庫に入り浸る若手魔術師を揶揄してそう呼ぶ。


――書にしがみ付いてるだけの、学者さんたちだ。戦力にはならねぇよ。


 実際、我々のほとんどが、戦力にならないけれど。

 陰口ならば陰口らしく、建物の陰でひそひそやればよいものを、近衛の奴らは、通路の真ん中で声高に話していた。

 近くに隊長がいたのに、咎めもせず。

 軍部のトップである王弟――塔の天辺にいるフィルオードと、底辺を這う地下の連中。そういう具合に区別していれば、不敬には当たらないと思っているのか。


 ――魔術師は、フィルオード殿下と四方の爺婆様だけさ。


 風の塔にいるのは同じなのに、彼らの中では、きっちり線引きされているのが小憎らしい。


 魔力量五十くらいじゃ、魔術師とは認められないか。

 それでも、他と比べたら格段に多いはずだが。

 少なくとも、陰口を叩いている人間の誰一人、「地下の連中」が首ったけになっている一冊の本の、最初のページすら開くことができないだろうのに。


 開けたら開けたで、寝食を忘れて死にかけているけれども。

 はあ。あっちもこっちも強制終了だな。


 ジェイクは少々八つ当たり気味に、ワタナの顔と本の間に己の手を入れると、眼鏡の上部のおでこをピン、と弾いてやった。


「ギャッ!」


 ワタナが額を押さえながら顔を上げる。そこをすかさずジェイクは手を伸ばし、パタンと本を閉じた。


「なにすんだ、てめぇ!」

「仕事を終えろといったのが聞こえなかったようなので、強制終了させたんですよ」

「あと一時間くれぇ大丈夫……」

「そんな顔色でなにをいっているんですか。ちゃんと食べて寝ないと――」


 倒れますよ、といいかけ、別の言葉を選ぶ。


「――明日は本が開かなくなりますよ」


「うっ」

 ありそうな未来予想に、なにも言い返せなかったらしい。ワタナは諦めたふうに瓶底眼鏡を外すと、ぐしぐしと目をこすり始めた。


 やれやれと、ジェイクは閉じたまま押さえつけるようにしていた本から、ようやく手を離す。


 ランプの明かりを受けて、麗しい文字で綴られた金色の題名が、きらりと光った。


『アリアの書』


 写本でも、震えるほどに美しい、奇跡の書である。

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