遠くから聞こえる

平野真咲

遠くから聞こえる

 もうすぐ夏休みも終わっちゃうな。僕はそうつぶやいた。

 せっかく冷房が効いているのだから宿題でもしてきなさい、と言われて公民館の図書室に来たというのに、大嫌いな算数ドリルを10分で放り出して、置いてあった怖い本に手を伸ばした。そのまま読みふけっていると、タケちゃんとシンが来て、こっそり持ってきたゲーム機で遊び始め、職員さんに怒られて図書室を追い出されてからも、ロビーで散々ゲームに夢中になった。

 ゲーム機の充電が切れかけた頃、僕たちはタケちゃん家の門限を守るために帰らなければならなくなった。夕焼けに照らされた道を、やりきれなかった宿題の入ったリュックを背負って歩いていく。宿題をしなかった僕たちを責めるようにミンミン鳴くセミにうんざりしながら歩いていると、じっとりとした汗が背中から噴き出してきた。

「あっ、ヤバッ」

 同じクラスのマサの家の前で、シンが急にリュックの中をごそごそと漁り出した。

「どうしたの」

「水筒忘れてきたかも」

 そういえば、シンの黒い水筒は、ずっと出しっぱなしにされていたかもしれない。

「取りに行く?」

 引き返すにしても、公民館までずいぶん長い道のりを戻らなくてはならない。

「でも、うちの母ちゃんすげえ怖いし、明日プール行くし。

 いいよ、俺取りに行くから、先帰って」

「え、でも……」

 シンはビビリだ。さっきも古びたお寺の前をビクビクしながら通ってきたばかりだ。シン一人で水筒を取りに行けるとは思えない。

「一緒に取りに行くよ」

「オレも。たぶん、まだ時間あるし」

 タケちゃんもついて行くといったので、シンに謝られながらも、僕たち3人はシンの水筒を取りに行くことになった。

「そういえば、なんであんなところで思い出したんだ?」

 シンに聞いてみると、「マサ君と同じ水筒なんだよ。ほら、学校で取り違えっこ事件が起きたじゃん」と答えながらスタスタとかけていく。確かシンが勝手に間違えて危うくマサの水筒に口をつけようとしただけなのだが。

 去年はたまにマサの家に遊びに行くこともあったけれど、今年は中学受験とかでずっと塾に通っているらしい。そんなことを思い出していると、お寺の前もとっくに過ぎて、公民館の前まで来ていた。

 シンが水筒を取ってくる間、僕とタケちゃんは暑いね、とかいいながら沈む夕日を眺めていた。

「そういえば今年もお祭りやらないんだよな」

「だってね」

 タケちゃんがぽつりと言う。

「じっちゃん楽しみにしてたんだよな」

「そう」

 タケちゃんのじっちゃんは町内会のえらい人らしい。毎年町のお祭りの時期になると張り切って準備していたらしいのに、3年前からお祭りはできなくなってしまった。

「タケちゃん、時間大丈夫?」

「まだ1分も経ってなくね?」

 僕もまだ日が暮れるまでに家に帰れると思ったのだが、いつの間にか日は西の方に沈んでしまっていた。時計代わりのスマホを取りだそうとしたとき、「お待たせー」とシンが戻ってきた。

「えっ、もうこんな暗くなってる! 早く帰ろ!」

 せっつくシンほどじゃないが、僕もタケちゃんも帰り道を急いだ。水筒はやはり置きっぱなしだったらしい。職員の人に回収されていて、謝ってきたのだという。

 お寺の前を通り過ぎようとしたとき、ゴソゴソと茂みの中で何かがうごめいた。シンがひいっ、と叫び声をあげる。タンタン、トン、とかすかな音が聞こえた気がした。

「どうした?」

 急に立ち止まった僕に、タケちゃんが声をかけてきた。

「いや、ただ、こっちで太鼓みたいな音がしたと思って」

「太鼓?」

 タケちゃんの代わりに、シンが聞き返した。

「誰かこの辺の人が練習してるんじゃないの? もう帰ろうよー」

 日が落ちて暗くなっているのもあってか、シンは帰りたくなっているようだ。タケちゃんも、もう門限が迫っているのもあってか、「行こうぜ」と歩き出した。

 トントン、タタタン、ピーヒャラリ

 今度はさすがに2人にも聞こえたようで、そろって足を止めた。

「お祭り?」

「でも、中止になったじゃん」

 いつもなら、お祭りをやるのは今頃だ。

「じょ、ジョーダンじゃないよっ」

 シンが震え上がるのをよそに、僕とタケちゃんは茂みの中に入っていく。ドドン、ド、ドンと太鼓を叩くような音が響き渡る。

「この奥か?」

「でも……」

 茂みの奥で太鼓の練習でもしているのかと思って進んでみると、塀に囲まれた道に出た。住宅街に抜けたようだ。

「もうっ! 何?」

 半べそをかくシンの隣で、タケちゃんも「どっから聞こえてくるんだ?」とキョロキョロあたりを見回していた。しかし、高い塀が邪魔して、背伸びをしても見えるのはせいぜい住宅くらいだった。

「僕たち帰らなきゃならないじゃん。いいから帰ろう」

 2人にというより自分に言い聞かせるように話しかける。けれど、タケちゃんもシンも足を止めてしまった。いつの間にか知らないところへ来てしまっていたのだ。

 タヌキばやし。怖い本に書いてあった話が頭をよぎる。夜になって暗くなるとおはやしの音が聞こえてくるけれども、どこから聞こえてくるのかはわからない。「ばかばやし」とも言うと書いてあって笑ってしまったけれど、今は全く笑えなかった。

 お祭りのお囃子のような音は、さんざん走ったにもかかわらず近づいているようにも遠ざかっているようにも思える。僕たちはどこかへ行く気力もなくなってしまった。

「オレたち、もう帰れないのかな」

 シンが泣きべそをかく。「か、帰れるって!」とタケちゃんも強がった。

「どうする?」

 聞かれて、僕はスマホを取り出した。急に明るい画面が表示されてウッ、となったけれど、僕の目はだんだんとライトの明かりに慣れる。

「おおっ」

「その手があったか!」

 大はしゃぎする2人をよそに、次の操作をしようとして手が止まった。

「どうすればいいの?」

「え?」

「そりゃあ、地図で検索するとか、親に迎えに来てもらうとか」

 タケちゃんも自分のスマホを取り出して操作するも、「そういえば地図ってどうやって見るんだ?」と首をひねった。

「GPSとかで探してもらうのは?」

「でも、うちの親に電話したらぜってー怒られるだろうな」

 タケちゃんは、スマホの画面を消して肩を落とした。

「あ! じゃあマサ君に電話すればいいんだよ! きっと頭いいからどうすればいいか教えてくれるって!」

 言うなり、シンが電話をかけ始めた。塾で忙しいんじゃないの、と止めようとしたときには、マサにつながったようだ。

「え? 月?」

 シンが上げる声に合わせて、僕たちは空を見上げる。大きな丸い満月が見えると同時に、「わあ!」と声が上がった。

 月明かりとシンの電話越しに聞こえるマサの案内を頼りに夜道を歩いて行く。見覚えのある路地に出ると、ある家の窓からマサが手を振っていた。

「マサくーん!」

 シンが精一杯マサに手を振り返すと、マサが玄関から出てきた。マサは、僕たちが使っている道の一本向こうに出てしまったことを、お寺の茂みに入ったことと僕たちが見上げた月の方角から導き出したらしい。

「あ、そうそう! 不思議なことが起こったんだよ! どこもお祭りやってないはずなのに、お祭りみたいな音が聞こえてきたんだ!」

「そう、たぬきばやしってやつ」

 シンの話に僕が補足すると、マサは首をひねって、僕が手にしていたスマホを指さした。

 インターネットで出てきた文章を、マサが解説してくれた。音は温度によって通りやすさが違って、温度が違うと曲がるらしい。昼は地面に近い空気が温かいけれど、夜になると地面に近い空気が冷えて空に近い空気のほうが温かくなる。すると、暖かい空気の方が通りやすい音は上空にいくにつれて遠くに通るように曲がっていくので、遠くの方まで音が聞こえるのだ、と。難しい話だけれど、塾で習ったから、とマサは丁寧に教えてくれた。

「でも、どっから聞こえてきたんだろう」

 僕がつぶやくと、「誰かが練習してるんじゃないかな」とタケちゃんがいった。

「この近所じゃなくても、来年こそは、ってどこかで練習してるのかもしれないし、動画とかを見て楽しみに待っているのかもしれないぜ?」

 タケちゃんが笑うと、僕たちも笑った。夜だから遠くまで聞こえちゃうよ、とシンがしーっと、指を立てる。

「でもよかったよ。3人とも無事だったし、僕が塾で習ったことも役に立って」

 塾やめたくなるんだよね、とマサは腕を伸ばした。

「来年は夏祭り行こうな」

 3人にそう声をかけて、僕たちは家路につくことにした。母さんに怒られるかもしれないけれど、明日ちゃんと勉強するからって言おう。宿題が終わらないと、お祭りも行けなくなっちゃうかもしれないからね。

 満月は、帰り道を煌々と照らしていた。

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