人の限界

 ディーロウが射撃を再開した。

 次々と肉の塊が爆ぜ、黒い霧と化した。鐘の音が響き、庭に、廊下に、鳥籠に眠る躯を叩き起こした。ヘイズルは周囲で起きる全てに目を瞑り、鐘の音響く聖堂に逃げ込んだ。


「――! ……リーヨル、か……?」


 どうやって聖堂に入れたのか想像もつかない巨体があった。屍蝋を思わせる白い肌。巨木のような両椀。大きく盛り上がった胴体の、人ならば首があろう部位から、大蛇を思わせる触手が八本も生えている。

 およそ人とは思えぬそれが、ヘイズルの声に反応し、触手を足代わりに振り向いた。大きく傷ついた胸が膨らみ、窄み、また膨らんで、二つに割れた。


「これは――」


 口だ。そう認識した瞬間、ヘイズルは朽ちた長椅子の列に身を投げだして耳を覆った。息を肺に詰め込み、喉を潰す覚悟で叫んだ。瞬間。ガルディアの街に生まれたパンデモニウムが世界を揺らした。穴の空いた丸天井が崩れ、脆くなった壁が落ち、割れ残っていたステングラスが粉々に消し飛んだ。そして、入り口の壁を、無数の銃弾が引き裂いた。


 地の果てまで追ってやる。


 そう、ディーロウが人ならざる声で叫んだ。殺到した銃弾が次々とリヨールらしき異形にめり込み爆裂する。よろめき、後ずさり、触手を支えにしてこらえると、また、吼えた。


 銃声が止み、足音が響いた。四つ足で駆けるディーロウが、壁を破って侵入してきた。巨躯に纏わりつく十を超える灰色の肉塊をものともしない。リヨールが床を踏み割りながら躍りかかり、ディーロウと組み合う。胴の大口が開いた。聖堂の奥に聳える悍ましき螺旋柱が、柱を成す躯が、一斉に口を開いた。


 三度、地獄の釜の底が震えた。

 笑っていた。リヨールらしき異形が。デイーロウの成れの果てが。ヘイズルが。


 これは、なんだ? 現実なのか? 空になった銃一丁で、人の手で、何ができる。


「――ヘイズル!」


 化け物どものそれに紛れ、少し掠れた人の声があった。

 ミチカが、聖堂の入り口で手招きしていた。


「早く! こっちに!」


 額から流れる血に片目を瞑り、声を枯らしていた。

 ――ッ! ヘイズルは埃と瓦礫と肉片で覆われた床を蹴った。呼吸するたび胸が激しく傷んだ。骨に罅でも入ったか。折れていなければいいが。肺に刺さってなければいいが。息を吸うのもままならない。殺意が湧いた。


 死ね。


 ディーロウの肩から生える機関銃が、ヘイズルを狙った。構わず走った。リヨールの触手が銃に絡み、銃口を肉塊が塞いだ。爆音とともに肉塊が砕け散った。機銃が次弾を欲して弾帯を飲み込む。そこに、肉塊が手を巻き込ませた。ぶちぶちと身の毛もよだつ音を立てながら銃が止まる。数多の奇声が重なり音が消え、一拍の空白が生まれた。

 ヘイズルは、半身に構えるミチカの横へと滑り込み、言った。


「――やれ! ミチカ!」


 ほぅ、と一つ息を吐き、ミチカは躰の影に隠した手の先に、火球を握った。秒の間もなく振りかぶり、すり足で、


「――ヅァラァァァァァ!!」


 投じた。火球はディーロウの股下を掠め、組み合う化け物どもの足元で爆ぜた。火柱が二匹を包み込み、朽ちた椅子に、壁に、天井に火をかける。絶叫。音圧が炎を揺らした。だが地獄の業火は消えない。すべてを焼き尽くさんと燃え上がり、狂える獣を踊らせる。

 火の粉が舞うなか、熱波に肌を焦がされながら、息も絶え絶えにヘイズルは言った。


「完璧だ。よく生きていてくれた、ミチカ」

「……ヘイズル! こちらに! 早く!」


 ぐん、と肩を引かれ、ヘイズルは慌てて後を追いつつ訊いた。


「何だ!? どうした!?」

「どうしたもこうしたもありません! 急いで! 吹き飛びますよ!」

「吹き飛ぶ!? 何の話だ!」


 ミチカは燃え上がる聖堂を肩越しに見て言った。


「お忘れですか!? 私は、あそこに入ったことがある!」

「それが何だ!」

「坑道戦に使うと所望されて! 私は! 何度も! あそこに爆薬を運び込んだんです!」

「――坑道戦!?」


 坑道戦――それは開戦初期、あまりに広く、長く、強固だった塹壕を突破するために用いられた作戦だ。敵が掘った塹壕の真下まで横穴を掘り進め、大量の爆薬により塹壕そのものを破壊しようと試みたのだ。敵に気づかれぬよう、深部のまた下を掘り、数年をかけ、数百トンに及ぶ爆薬を設置して――。


「たまらんな」

「ええ! 燃え移ったりしたら、ひとたまりもありません!」


 バシャバシャと水たまりを蹴り飛ばし、少しでも遠くへと走った。痛む肺が、胸が、もう無理だと悲鳴をあげた。その下の、腹の底に膨らむ殺意が、救いようがないな、と笑った。


 もうそうするより他に術はなく、ヘイズルは絶叫しながら門を潜ると同時に、ミチカを抱き込むようにして塀の影に飛び込んだ。


 大地を割らんばかりの轟音が、鐘の音と怨嗟の声を巻き込んだ。破壊的な風圧が地表の構造物を舐めるように薙ぎ倒し、二人の体を襤褸切れよろしく吹き飛ばす。瓦礫の上を転がり、ディーロウの銃撃が作った穴に落ちると、頭上を瓦礫混じりの爆風が過ぎった。

 音がない。耳が馬鹿になったのだろう。ヘイズルはミチカを引き起こし、トンネルへと逃げ込んだ。すぐに天高く吹き飛ばされていたあらゆるものが、地上を洗う雨のように降ってきた。

 二人は互いを抱き合うようにして、トンネルの入り口が埋まるのを見届けた。

 そして。


「……ミチカ。俺の声が聞こえるか?」

「もちろんです、ヘイズル」

「……見たか?」

「何をですか」

「吹っ飛ぶ瞬間、あの柱が何事か吼えていた」

「……ご冗談でしょう? 私には閃光で何も見えませんでした。世界があんなに白く染まるのを見るのは生まれて初めてです。多分、もう一生、忘れらそうにない、驚きの白さでした」


 そうだろうな、とヘイズルは数度、頷いた。目にしたのは一瞬で、壁に隠れていたのだから目に映るはずがない。では、俺は何を見たのだろう。腹の底の殺意が目に映させたのか。尋ねたくとも、もはや殺意はすっかり消え失せていて、答えをくれそうにない。


「……何でもいいです。もう帰りましょう。バリモアの奴を英雄にしてやらないと」


 冗談めかして言うミチカに、しかし、ヘイズルは首を横に振った。


「その前に、やり残したことを終える」

「……まだ何かあるんですか? もうクタクタですよ、私は」

「通り道だ。そう時間はかからんさ」

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