陽動戦

 凄まじい異形だった。二メートルを越えていた巨躯は倍以上に膨らみ、横も異常に発達した筋肉で倍化していた。肩に乗せた重機関銃は肉に覆われ、背中から生えたマダム・バートリに似た肉の塊が張りつき、両手は地につくほど伸び、四つ足の獣に見えた。


「死ね、ケダモノめ」


 ミチカが祈りと称した文句の一節を呟き、ヘイズルはトリガーを引いた。

 パン! と乾いた音が響き、ディーロウだった化け物の肌が爆ぜた。

 この世のものとは思えぬ咆哮が要塞都市の街路を揺らした。

 ヘイズルは両手で銃を構え直し、さらに一発、二発と叩き込む。ズン、とディーロウが石畳を踏み割り、マダム・バートリらしき肉塊が機関銃を振った。素早くその場を離れると、赤い閃光とともに爆音が路地を薙いだ。着弾と同時に眩い火花を散らして炸裂、壁に大穴を穿ち、大地を耕していく。


「――クソ! ここまで変わるか!」


 我知らずヘイズルは笑んでいた。笑わずにいられないというのが近いか。振り向きざまに銃弾を放つが、さらなる怒りを買う力しかない。


 ディーロウは瞬く間に迫り、前足と化した腕を振るった。しゃがんで躱し、ヘイズルはさらに一発、マダム・バートリらしき肉塊を目掛けて撃った。ディーロウは肉塊を庇うように身を捻り、自重で石畳を踏み抜き体勢を崩した。


 その隙に背を向け、ヘイズルはトンネルに飛び込んだ。フレームに手をかけ、排莢する。真鍮色の薬莢が宙に飛ばされ、ジリジリと鳴った。残る六発をシリンダーに叩き込み、肩越しに振り向く。


 こ、ろ、す。


 ディーロウの発した音圧に、底に溜まる汚水が波打った。身を焦がす殺意。ヘイズルは前方に躰を投げ出し、躰を捻った。ほとんど同時に、互いの銃が炎を吹いた。光輝く弾丸が頭のすぐ横を抜け、トンネルの奥で爆ぜた。ヘイズルの弾は銃座につく肉塊をのけぞらせた。勢い、逸れた弾丸が天井で炸裂する。濁った水溜りに手をつき片手で二歩分、匍匐し、グリップエンドで水底を叩いて躰を起こす。殺意が、ヘイズルの躰を動かしていた。

 逃げる。逃走のさなかに殺意が湧く。

 自身の背中を狙う銃口が、飛びかかってくる銃弾の一つ一つが、


「見える、聞こえる、分かるぞ」


 ヘイズルは牙を剥き出し、振り向きざまに発砲、ディーロウに血飛沫をあげさせた。銃弾が頬の右二センチを掠めて飛び抜け背後で破裂。しゃがむと、頭上をさらに一発が抜けた。


 銃声。

 放った一撃がディーロウの右目を抉った。反転、逃走を再開する。散らばる瓦礫の突端を蹴り、壁に手をつき、トンネルを抜けた。即座に横へと跳躍する。

 無数の弾丸が光の帯を成して飛来した。榴弾砲を思わせる火力が道を破壊していく。耳を劈く轟音に紛れ、怨嗟の声が聞こえた。


 銃撃が止み、足音に変わる。巨躯でトンネルを埋め尽くし、四つ足で駆けてきた。

 ヘイズルは身を乗り出し、引き金を切った。銃座の肉塊を狙って撃ったが、左の前足に防がれた。しかし、駆けてきたがゆえにバランスを崩し、土砂を巻き上げ転倒した。逃げる。逃げて、逃げて、逃げて――


 教会の門が目に入った瞬間、殺意が躰を沈み込ませた。目の前の瓦礫が破裂し、ヘイズルは衝波に殴られ仰向けに倒れた。上下が返った視界に右腕を振りかぶるディーロウが映った。


 転がる。めり込む右腕。重機関銃の銃口が、こちらを見ていた。

 躰を起こす? 間に合わない。銃は? 間に合わない。手で庇う? 無駄だ。


 ――じゃあ、どうする? 


 殺意は答えをくれない――いや、待てと言っている。

 ヒュン! と風切り音が鳴り、銃座の肉塊が黒い血飛沫をあげた。火を吹く寸前、天を仰いだ銃口は、夜空に無数の線を描いた。そして、

 一発、二発、三発と、次々と弾丸が飛来し、ディーロウを怯ませた。


「いいぞミチカ、いい腕だ」


 呟き、ヘイズルは教会へと足を向けた。目をやると、聖堂のすぐ横に立つ宿舎の窓が、橙色に明滅していた。手筈の通りに援護射撃をしているのだ。音に引きつけられてリヨールの配下に襲われるかもしれないが、上手く逃げおおせてくれると信じるしかない。

 あるいは、ミチカなら死ぬまで援護を続けてくれるやもしれないが――


「そうなる前に終わらせる――!」


 走り、走り、走り、振り向くと、ディーロウが足を止め、屈み込んでいた。肩に乗る銃座が狙うは教会の――


「ミチカ! 逃げろ!」


 声が届くはずもない。届いていても間に合わない。未知の弾丸が宿舎の壁で炸裂した。

 ヘイズルは祈りを込めて銃を向け、撃った。弾丸は正確に銃座の肉塊を射抜いた。すると銃口が向きを変え、今度は横薙ぎに乱射を始める。ヘイズルは大地にひれ伏し、無人地帯でしていたように、汚泥を這いずり教会に迫った。

 

「リヨール! 敵だ! 応戦しろ!」

 

 最後の一発。宙に放った弾丸は闇に消え、銃声はディーロウの声に潰された。


 ――駄目か。


 背後に忍び寄る絶望の気配。やけに大きな足音だ。

 ヘイズルは口元を歪め、泥と瓦礫の上を這って進んだ。足音が、すぐ後ろまで来ていた。

 ずん、と地が揺れた。仰向けになると、ディーロウがこちらを見ていた。


「貴様、勝った気でいるだろう」


 言いつつ、肘でもってさらに進む。マダム・バートリを模した肉塊が、薄気味悪い変貌を遂げた機銃の先で、ヘイズルの躰を舐め回していた。

 躰が、芝に踏み入った。枯れ果て、血に汚れた教会の敷地に。

 ごぼり、とディーロウの肉塊が蠢き、嘲笑っているかのように歪んだ。


 オオオオオオオオォォォォォォォォォォンンン……


 響き渡る鐘の音に、ディーロウが顔らしき部位をあげた。瞬間、ヘイズルは足を振り上げ後転、敷地の奥へと駆け出した。稲光が庭を照らした。数多の肉塊が押し寄せてきていた。

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