化け物には化け物を

 ヘイズルは拳銃を背中に差し、手の甲で額を拭った。


「遅くなったし、迷惑をかけた」

「どちらも想定済みです。心配はご無用ですよ」

「――ミチカ、君は、最初から見えていたのか?」


 ヘイズルは扉を後ろ手に閉め、ベッドの縁に腰をかけた。


「ええ。最初から。ヘイズルが化け物と朗らかにお話していらしたので、叫びそうになってしまいました。――もちろん、冗談ですが」

「よく平静でいられた」

「心臓が口から飛び出そうでしたよ。窓を見ても落ち着かないし、どうしたものかと」


 苦笑するミチカにつられ、ヘイズルは肩越しに窓を見た。来たとき、白鳩の群れていた大きな鳥籠には、人の死体がいくつも詰め込まれていた。餌箱の正体だ。いったい、いつから放置されていたのか。見るに堪えない。


「もしミチカが化け物になっていたら――そう思ってしまった」

「さっき入ってきた化け物にはビビりました。まさかヘイズルじゃないだろうな、って」


 俯き、ミチカは首を左右に振った。


「ヘイズルがフィアーキラーを使ってくれてよかった。これで安心できます」

「すまん」

「いいんです。私もできれば飲みたくなかったですから。あれ苦すぎますし」

「ああ、分かる。飴玉だけならいいんだが、アレは珈琲より嫌いだ。それに絶対、躰に悪い」

「……まさか苦いものが苦手とは思いませんでした。珈琲を勧めたのは失敗でしたね」

「ああ。次はせめてミルクも一緒に欲しいな」


 二人はひとしきり沈黙し、やがてどちらともなく声を低めて肩を揺らした。次がいつになるのか。できれば早い内がいいなと思いつつ、ヘイズルは口元を引き締めた。


「薬品倉庫で異様な数のアンプルを見つけた。木箱が二つか三つか……すべて空だった」

「……全部ですか?」ミチカが眉を上げた。「リヨールはかなりの数の兵士を抱えてました。常に他の隊の三倍は確保していたはずです。今の状況になってからは前よりも大所帯になって――他の隊に回された分も〈貿易〉で、かき集めていたのに」

「一分隊が約二十人。二分隊で一小隊。二小隊分の人員をかき集めると八十人か……いや、正確に把握したわけではないが、そんなにはいなかった」

「では、もしや――」


 ミチカは親指を立て、窓の外の鳥籠を指差した。


「あの中にいるのは隊員だったりするんでしょうか」

「顔を知らんからな。俺に聞かれても分からん。――聖堂にあった柱を見たか?」

「はい。意味のわからないことを言うようになった頃に。あれでは顔も分かりません」

「……見たところ、あれが、リヨールの声を増幅しているらしい。あれが叫ぶのを見た。まるでスピーキング・トランペットだ。――知ってるか? あの円錐形の筒のような――」

「知っていますよ。そこまで世間知らずじゃありません」


 言いつつ、ミチカはペチンと叩くようにして目を覆った。そうしたくもなる。瞼の裏に浮かんだグロテスクなオブジェが一斉に口を開く前に、ヘイズルは首を振って払い消した。


「一つ、分からないことがある。ミチカ、なぜ君はあの声に呑まれなかった?」

「さあ……思い当たることと言ったら痛み止めですね。私はマダム・バートリの館で痛み止めにフィアーキラーを飲んでいました。あと、ここに着いたとき私は意識を失っていました」

「だが、この部屋で何度も鐘の音を聞いたはずだ。さっきも鐘の音に似た声があった」

「それは……分かりません。鐘の音を聞く前に奴らの姿を見たからか……もしかしたら、ヘイズルがいてくれたからかもしれません」

「……おい、俺は真剣に――」


 ミチカは手のひらを見せて制した。


「私も真面目に話していますよ。奴の力は恐怖を感じていない人間には効きません。だから塹壕戦で効果を発揮したんです。ですが、ヘイズルが傍にいる今の私に恐れるものなど――」

「俺の正気を疑っただろう?」

「それとこれとは話が別です。正気を疑ったのは認めますが、事実そうだったでしょう? でも、諦めなければ絶対に戻ると、私は信じていました」

「どうしてそこまで信じられる」

「当然です。二一一連隊が生まれる前から塹壕に居て、今日まで生き残ったんですから。それも私たちと違って妙な力もなしに。あなたを信じられない兵士なんてこの世にいませんよ」


 真っ直ぐな賞賛にヘイズルは口を噤む。実は超常とは言わないまでも妙な力はあるのだ、などと言っていいのか。敵に反応して腹の底で膨らむ殺意を、どう説明すればいい。

 ミチカは虚空を睨み、中指で唇を撫でた。


「――だからこそ、ヘイズルにお聞きしたいですね。奴らをどうやって倒します? こちらの武器はたった二丁の拳銃。それも一つは古臭いリボルバーです」

「古臭いとは失礼だな。――だがまあ、否定はしない。くれてやった方なら二、三匹くらいはやれそうだが、それ以上は難しいだろう」

「では〈火葬〉しますか」

「火で死んでくれればいいんだがな――」


 教会があり、象徴があり、宗教がある。聖堂に集まるタイミングを見つけ、それを狙う。最も妥当な選択に思える。しかし、現実には簡単にいかない。まず、集まってくれるか分からない。礼拝などという概念が奴らにあるのかどうか。確かめようにも時間を稼ぐには聞き取ることの出来ない言語を解し、返答しなくてはならない。


「なにか、もっと、強力な――」


 口にしつつ、ヘイズルは胸の奥で膨らみ続ける殺意に疑問を抱いた。この殺意はどこに向いているのか。肉塊の接近は音で知った。リヨールが敵意をもって鐘の音を吐いたのなら、その兆候に殺意が反応したはずだった。それとも殺意は偶然の産物で――


 地の果てまで追ってやる。


 曇天の暗がりに響く怨嗟の声が、街に響き渡った。ディーロウの声だ。ヘイズルの内で殺意が大きく膨らんだ。窓を見ても雨が激しく打ちつけるばかりで巨人の影は見当たらない。


「……今のは、ディーロウですか?」

「君にも聞こえたか」

「つまり、ディーロウですか? 私には人の声に聞こえなかった」

「……なんだと?」


 ヘイズルはミチカの顔を見た。怪訝そうにしていた。当然ながら嘘をつくはずがない。意味がない。――なら、と無茶な作戦が立ち上がった。 

 重くなる一方の腰を上げ、窓から街の様子を見る。降りつづく雨のせいか、稲妻が光るたびに街全体が鏡のように白めき、陰が浮いた。


 リヨールはこちらに敵意をもっておらず、ディーロウはこちらに敵意を持っている。ミチカにはディーロウの言葉が聞こえず、俺には聞こえる。

 賭けをするなら、分のある方がまだマシだ。


「……奴を使おう」

「奴?」

「ディーロウだ。あいつをここにおびき寄せ、リヨールに手を貸してもらう」

「――は?」


 間の抜けた返答をするミチカに、ヘイズルは言った。


「俺が餌になる。ミチカはここから援護してくれ」

「援護って……」

「分かってる。先に傷の手当をする。手を貸してくれ」

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