偽善と欺瞞
「来い」
ヘイズルは力任せにフロキを引きずり、少年のいる拷問部屋に入った。恐怖のせいか、少年は痙攣するように躰を震わせていた。その姿に、悪夢に見たホープが重なる。
可哀想に。と、そう嘆くしかないはずが、憐れむしかないはずが、今だけなら助けられるかもしれなかった。
ヘイズルはフロキを部屋の奥に投げ捨て、注意深く外の様子を窺いながら、少年に尋ねた。
「生きたいか?」
身に浴びた痛苦が耐え難く、死にたいと思うこともある。ならば、そうしてやるという手もある。しかし、もし苦しんででも生きたいと望むなら、
「その怪我、今すぐに治せるだけ治してやる。どうだ。生きたいか?」
少年は虚ろな瞳でヘイズルを見つめ返し、やがて小さく頷いた。
「いいだろう。――伍長!」
「ひゃ、ひゃい!」
フロキが怯えを隠そうともせず這い寄ってきた。
「この子の傷を癒せるだけ癒やせ」
「え、え? で、でも、そんなの――」
「できるだけでいい。済ませたら、お前も助けてやる」
「や、やります! やらせてください!」
フロキが少年に飛びつき、傷を撫で擦り始めた。ヘイズルは壁を背に警戒しつつ、時間が過ぎるのを待った。足音が聞こえた。飛び出し、駆け出てきたタキシードと、バートリ夫妻の破壊であろう半裸の兵士を撃ち、すぐに戻った。
「お、お、終わった! 終わりました!」
涙声で叫び、フロキが部屋の隅に後退った。少年は死の疑似体験に大粒の涙を流していた。か細く歪んだ嗚咽を不審に思い、ヘイズルは少年の首を改めた。細首を横切るように古い傷跡が残されていた。
フロキに目をやると、彼は拉げた手でヘイズルの視線から逃れようとした。
「そ、そ、そ、それ、それ、は、ふる、古すぎて治せないんだよ! そ、それに指が、指がこんなだから〈おしゃぶり〉だって使えない! き、君のせいだ! ヘイズルのせいだよ!」
「小さかろうが兵士は兵士だ。そんなものはいらない。俺が聞きたいのは、この傷のことだ」
「だ、だから、つけたのが古すぎて――」
「つけたのが?」
問うと、フロキは大きく目を見開き、喉を鳴らした。
「ち、違うんだ……違うんです! そいつがあんまりうるさいから! 一日じゅう叫んでたから! 言っても聞かないから! 仕方なかったんです!!」
「……そうか」
何たることだろう、とヘイズルは天を仰ぎたくなった。合流直後に聞いたミチカによるゾディアックどもの評定は、まったく正しかった。彼女が提出した報告書は正しかったのだ。
「二年と十一ヶ月……俺は見誤っていたよ」
ヘイズルは哀れみの眼差しをフロキに向け、歩み寄った。
「――え? え? え? ま、待って! 待ってよ! 約束したよ!? そいつの怪我を治したら命だけは助けてくれるって! 約束したじゃないか!!」
悪行を棚上げした命乞いに、ヘイズルは首を左右に振った。
「助けてやるとは言ったが、『命を』助けてやるとは言ってない」
「そんな! まっ――」
ヘイズルは顔面を蹴りつけた。フロキは豚のような悲鳴をあげながら壁に打ちつけられ、床に転がった。曲がった鼻から血が流れ、折れた歯が血溜まりに落ちた。
「……お前を野放しにはできない。連れ帰っても更生は見込めないだろう。しかし、今日までの功労と、受けた苦難を鑑みれば、暴虐の徒として死なせるのはあまりにも忍びない」
澱みなく、穏やかに言い、ヘイズルは肩を蹴りつけフロキを仰向けに倒した。
「貴官の名も、生まれも、軍の記録に残そう。貴官がこの地で働いた悪行は決して許されないが、せめて貴官のご家族が安らかに眠れる日まで、貴官をイェールに殉じた英雄としよう」
「そん、な――」
言葉を失い、全てを悟り、フロキは顔をくしゃりと歪めた。
その人間らしい顔に銃口を向け、ヘイズルは祈りの言葉を捧げる。
「さらば、戦友よ。安らかに眠り給え」
「……ごめんなさ――」
銃声がフロキの謝罪を掻き消した。
――今にして思えば、秘密裏に取り交わされた講和の条件として『ガルディアの制圧をなかったことにする』とあったのは、十五にも満たない子どもを戦闘員としている事実を隠蔽したかったからかもしれない。イェール連邦からすれば、二一一連隊と、彼らがガルディアで犯した大罪を秘匿することができる、絶好の条件だったのだろう。
――だとしたら、秘匿に加担する俺もまた罪人か。
ヘイズルの思索を遮るように、重い銃撃の音が聞こえてきた。機関銃の射撃音だ。ディーロウ・バートリと夫人の異様な姿が思い起こされる。大勢が騒いでいる。
背後から少年のうめき声が聞こえてきた。ヘイズルは少年の傍に片膝をつき、ベルトに挟んでいたソウドオフを抜き、小さな手に握らせた。
「加害者の側に『許せ』と言う権利はない。しかし、軍人として敵を逃してやることもできない。だから、この銃を返しておく。俺の仲間が、君の国の人々から奪った物だ。弾はここに」
ポケットに押し込めるだけ押し込んでいた弾丸を渡し、顎の先でフロキの死体を指し示す。
「気に食わないだろうが、あいつの服を着るといい。初弾を当てやすくなる。俺は部下を助けに行く。俺と同じような考えをする大事な部下だ。大騒ぎになるから、うまく利用しろ」
少年が頷くのと殆ど同時に、爆音とともに館が揺れた。
パラパラと降り落ちてくる埃に苦笑しつつ、ヘイズルは言った。
「ほらな? 上手くやれよ」
言って、ヘイズルは廊下に飛び出した。上階から侵入してきた煙が天井に滞留していた。ミチカが〈火葬〉を仕掛けたに違いない。敵の姿がないのを見ると、降りてきた連中は銃声に呼び寄せられたか、フロキを助けに来ていたのかもしれない――そして、今はその余裕もない。
「急がないとマズいな」
ヘイズルは頭を低くし、廊下を駆けた。
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