悪魔の利用価値

「ハハハハ! ほら! 尻を出してみせろ!」


 言って、フロキが背後からズボンのベルトに手をかけた。まさかそういう出方をしてくるとは思わなかったが、好都合だった。

 ヘイズルは後ろ手に縛られた手を伸ばし、ズボンを引き下ろそうとする指と絡ませた。


「――あ?」


 頓狂な声が聞こえた。やはり衛生兵は――フロキはダメだ。危機感がまるで足らない。自分が誰を相手にとったか教えてやらねばなるまい。絡めた指を握りしめ、ヘイズルは素早く腰を捻った。手の中でボリボリとフロキの指の骨が圧し折れる音がし、甲高い悲鳴が続いた。


 ヘイズルは遠慮なく指を絡めたまま旋回する。足が追いつかなくなりフロキが転ぶのを見測り手を離すと、その場で飛び上がり、縛られた腕の間に足を通して手を前に回した。首を振って、テーブルに投げ出されていた拳銃を取る。


「――ヒッ! ま、待って!」


 フロキが血に染まりぐにゃぐにゃになった手指を広げ、顔を隠した。

 ヘイズルは頭に向けていた銃口を下げ、右のつま先を撃ち抜いた。


「――クァ、ア、アァァァァァ!」

「雄羊座じゃなかったか?」左のつま先を狙い、引き金を引いた。「鶏みたいな悲鳴だ」


 ずしゃり、とフロキが崩れ落ちた。骨がグズグズになった手を床につきたくないのか、泣きながら額を打ち付けている。

 ヘイズルはテーブルに置かれていた弾をポケットにしまい、木製ホルスターをストックとして取り付けながら尋ねた。


「自分で自分の傷を癒やすことはできないのか?」

「む、む、む、無理だ! できないんだ! だから、もう、やめてぇ!」


 涙と鼻水で顔が汚れていた。


「そうか。思ったより不便な力だな」


 ヘイズルはお守りのリボルバーをいつもどおり野戦服の下、腰の後ろに隠し、一緒に置かれていたフロキのソウドオフを手にとる。途中で断ち切られているとは思えないほど美しいエングレイブが彫られていた。バードショットを使っているのは元の持ち主の趣味だろうか。それとも、フロキの趣味か。興味はないし、知りたくもない。


「自分で自分を癒せないくせに、よくあれだけ前に出れたな。そこは褒めてやる」

「え、え、え?」

「だがバードショットで足を撃たれる痛みも知っておいた方がいい」

「え! 待っ――」


 ズバン! とソウドオフが煙を吹いた。微細な散弾がフロキの左足首に殺到した。切り詰めてある割に散布界が狭い。耳障りな悲鳴を聞きつつ、ヘイズルは銃口を確かめた。


「……かなり絞ってあるな。元からこの長さで作られたのか。これはどういう代物だ?」

「し、し、知らない! 知らないよ! あの家で見つけたんだ! あ、ああ! 血が、血が! 止血! 止血をしないと――」


 フロキが震える手で膝の裏を圧迫した。折れた指が曲がり、悲鳴が迸った。

 ヘイズルは女物のバッグから弾薬をいくらか回収し、肩紐を引きちぎり、フロキの手元に投げ捨てた。


「む、無理だ! 無理だよ! この手じゃ縛れないよ!」

「泣き言ばかりだな。お前の部下は、みな同じ思いをさせられたんだぞ?」

「あ、ああ、ああああああ! 血が! ダメだ! 意識が、意識が遠くなってく!」

「親指をしゃぶればいい」

「ヘイズル! ヘイズルさま! お願いです! 助け、助けて! 助けてください」

「断る」


 フロキの顔面が真っ青になった。だが、意志を曲げるつもりはない。今更になって、裏切られた上官の心情を理解できた。仕方なかったと自分に言い聞かせてきたが、同じ目に遭うと許す気にはなれそうにない。申し訳なかったと頭を下げたとて、許されてはならないだろう。


 迷う。どうすべきか。

 連れ帰ったとして、フロキが更生するようには到底おもえない。だが――

 ヘイズルの思考を遮るように、上階で激しい銃撃の音が聞こえた。

 

 ――ミチカか。


 すぐに思い至る。示し合わせてはいないが、彼女なら状況を把握し次第、動き出す。タイムリミットは勝手に区切られてしまった。最優先目標をミチカの救出に設定する。


 ヘイズルは鋭く息を吐くとソウドオフをベルトに挟み、フロキの膝裏をバッグの肩紐で縛った。次にワンピースの裾を破り、もう片方の足の爪先に固く巻きつける。


「あ、あ、あ、ありがとう、ございます、ヘイズルさま!」

「何か勘違いしているようだが、まだ死なれては困ると気づいただけだ」

「――へ、え……?」

「お前には盾になってもらう」


 言うなり、ヘイズルは襟首を掴み、フロキを引き起こした。立っているのも難しいのか両手を震わせ泣き言を言いながらヨタヨタと歩いた。しかし、一切、気にすることなく、ヘイズルはフロキを盾に部屋を出る。遅ればせながら駆けつけたタキシードが、姫の姿を認めて足を止めた。


 ヘイズルは脇の下から拳銃を突き出し引き金を切った。そのまま通路を進み、部屋を見つけるたびに覗き窓を覗き込んだ。タキシードが現れるたびに躊躇なく撃ち、フロキの躰を盾にリロードを重ねる。そうしていくつめかの扉を覗くと、つい数時間前に見た少年兵を見つけた。


 拷問か、嗜虐か、酷い有様だった。

 だが、まだ息をしていた。

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