戦争ごっこ

「軍曹! 来い!」


 言って、ヘイズルは頭を低くしたまま捕虜に駆け寄り、ミチカと二人がかりで伏せさせた。

 可哀想にと、どうしても思ってしまう。銃など手にしなければ――いや、この国に生まれなければ――違う、戦争なぞ始まらなければ――


「ヘイズル! 命令ですから付き合いましたが、こいつらは敵ですよ!?」


 なぜ命を張ってまで助けなくてはいけない。ミチカはそう言いたげな目をしていた。否定はできない。どうかしてるとすら思う。ホープと重ねた? そうかもしれない。だが、言葉に出せる理由もある。


「こいつらは交渉材料だと言っていた! 死なせるわけにはいかない!」

「助けたところで吸血姫の玩具にされてお終いですよ! 意味がない!」

「黙れ! 子殺しは獣の所業だ! 兵士は死人も同じだろうが、断じて獣ではない!」

「――ッ! それは――」


 爆音がバリケードの一つを吹き飛ばし、ミチカの声を遮った。


「おい! お前ら! ボクの後ろにいるな! 前だ! 前に出ろ!」


 フロキの怒声はヘイズルとミチカにも向けられていた。


「ボクは前進する! ボクは前進する! ボクより後ろに回る奴は、ボクの王国にいらない!」


 発狂寸前の叫びに、ヘイズルとミチカは顔を見合わせ、捕虜を引きずり前進した。フロキの前に出、捕虜を壁に隠し、バートリ夫妻の様子を窺う。


「ハハハハハハハハ! 見える! 怯えが見えるよぉ!? ハハ! こっちを見なぁ!」


 マダム・バートリは、ディーロウを銃座に、実に愉しげに乱射していた。


「あんな使い方をして……よくディーロウは耳を潰さないでいれる」

「何を仰っているんです、ヘイズル」


 ミチカが小銃を構えつつ言った。


「ディーロウの耳はとっくの昔にぶっ壊れてます。聞く耳がないって奴ですよ」

「言葉通りにか。最悪だな」

「ええ。あいつはそうされるのが嬉しくてたまらないのですから、最悪以上の何かです」


 吐き気がしそうな話だった。

 ヂュン! と甲高い音が響き、塀を貫通した弾丸がタキシードの腕を吹き飛ばした。


「ハハハハ! 何をしてるのさ! 腕を拾っておいで! くっつけてあげるから!」


 フロキがあげる歓喜の声に目眩がしそうだった。

 ヘイズルは固く目を瞑り、決断する。


「こうなってしまっては仕方がない。さっさと状況を終わらせよう」

「……了解。まったく、ヘイズルが来てから私は災難つづきですよ」

「詫びるつもりはないぞ」

「いえ、むしろ感謝してます。こんなのはさっさと終わらせるべきだったんです」


 二人は視線を交え、微苦笑と一緒に頷きあった。


「伍長! 援護しろ! 俺たちが先行してディーロウとマダムを潰す!」

「ハハハ! ボクに命令!? いいよ! 今日だけは聞いてあげてもいい! 代わりに、ボクを后に迎え入れると約束してよ!」


 この期に及んで――。と怒りで脳内の血管が膨れるのを感じながらヘイズルは吼えた。


「何でも聞いてやる! 早くしろ!」


 当然、その気はないが――


「――ああ! 神さま! ヘイズルさま!」


 フロキは弾雨の下、舞台女優のようにスラリと立ち上がった。正気じゃない。周囲を弾丸がすり抜けていくのが奇跡に思えた。


「みんな! 聞いて! ボクは前進する! ボクは前進する! ボクは前進する! ボクのナイト達! 前に進むボクを守って!」


 声高らかに宣言し、軽やかに塀を乗り越えた。タキシードたちも慌てて進んだ。

 フロキが悠々と歩きながらソウドオフを撃ち鳴らした。バタバタとなぎ倒される仲間を癒やしの力で叩き起こし、指をしゃぶらせて宥め、前進させる。

 異様な戦闘部隊を横目に、ヘイズルとミチカも遮蔽物を利用しながら斜めに進んだ。慣れ親しんだ射界の外を目指す――が。


「アハハハハハハ! 丸見えなんだよおぉぉぉ!」


 マダム・バートリはディーロウの右の腰を蹴りつけ、機銃をこちらに向けた。


「――伏せろ!」


 言うまでもなく、ミチカは息を合わせたように伏せていた。薄いバリケードが息を吐く間に粉々になった。小銃による反撃では連射速度が足らない。ヘイズルは拳銃にストックを噛み合わせ、かろうじて弾丸を防ぎ続ける塀から狙った。距離は三十メートル強。二十メートル近くも進めるとは。


 ――障害物を透過して命の火を見れると言う割には、存外たいした腕ではないな。


 ヘイズルは銃口をマダム・バートリに向けた。機銃があるときは射手を狙う。定跡だ。ディーロウの巨体に隠れて的は小さくなるが、この至近距離ならタンジェントサイトを起こすまでもない。


「――シッ」


 と、鋭く息を吐き、引き金を――引こうとした刹那、


「――アッ、グッ、ッアァァァ!」


 ミチカが悲鳴をあげた。ヘイズルは咄嗟に銃口をあげ、しゃがみ込みながら振り向く。ミチカは鮮血あふれる左足ふくらはぎを押さえていた。


 ――どこから!?


 一瞬、そう思う。だがすぐに気づいた。負った銃創は単発でなく、散弾。


「伍長!?」


 ヘイズルはミチカの足を撃てる唯一の角、背後に銃を向けた。


「はい。ボクはここにいますとも」


 向けられたソウドオフが吼え、ヘイズルは右肩に焼け付くような痛みを覚えた。殺意が、痛みにつられて肩口を押さえるより早く、手を野戦服の下、腰の後ろに隠していたリボルバーに伸ばさせる――しかし。


 抜くよりも早くフロキの蹴りが飛んできた。靴底が鼻頭に食い込み、首がそっくり返った。後ろ頭が石畳で弾むと、すぐに世界が回りだした。

 ひどく歪んだ声が聞こえた。


「フロキ! 貴様!」


 うねる視界のなかでミチカがリボルバーを向けようとしていた。タキシードの放ったライフル弾に手首を貫かれ、血飛沫とともに銃を落した。

 フロキがソウドオフを振りかぶり、手のひらから僅かに飛び出たストックで、ミチカのこめかみを殴打した。彼女の躰は人形のように倒れた。


「ハッ、ハッ、ハァ!」


 王を演ずる役者のように笑いながら、フロキが、ヘイズルの血に濡れた肩を踏み抜いた。頭を打ったからか、戦闘で興奮していたからか、痛みはさほど感じない。

 けれど、躰が動かせない。


「――伍長、これ、は……」

「たとえ一瞬でもボクの後ろに行ったヘイズルさまが悪いんですよ?」


 リスを真似たように首を傾け、軽薄な笑みを浮かべて言う。


「ボクには王国がある。帰るところはここだ。ここがボクの王国だ。戦争は続くよ、どこまでも。こんなにも楽しいんだもの。ボクは殺されるくらいなら、神さまを殺すよ」


 シャコン、とソウドオフを割り開き、指に挟んで空薬莢を投げ捨てた。女物のバッグから新たな銃弾を取り出し、挿入した。


「――でも、もっと面白いことを思いついたんだ。お土産は多いほうが良いし、神さまを手なづけられたら、もっと最高だと思わない?」


 上下二連の銃口が、後ろ手にヘイズルの足を狙った。


「大丈夫。あとでちゃーんと、ボクが直してあげるから。きっと、天国を見れるよ」


 炸裂音とともに、ヘイズルの意識は途切れた。

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