死者の思い出
「いったい、どういうおつもりですか、ヘイズル」
ミチカが言った。待機場所として開放された応接室の、やはりどこかの家から徴発されたらしいソファーにふんぞり返り、不満を隠そうともしていなかった。
「どう、とは」
ヘイズルは窓辺から外の様子を窺う。尖塔の頂から青い狼煙が上がっていた。時折チカチカと光るのは灯火信号か。これから訪ねるバートリ夫妻と連絡を取り合っているのだろう。
「タブーがあると、お教えしておいたはずです」
「ああ。おかげで助かった。あいつは二年と十一ヶ月――軍曹より少しかかるだろうが英雄として利用できる可能性がある。――演技力については申し分ないしな」
正しいと言っていいのか不明だが、戦闘能力を問わない役割さえ与えられれば期待に応えられる。その点についてはミチカよりも上だろう。
「フロキが英雄として迎え入れられる世の中なんて、間違ってます」
「間違ってない世の中なんてない。軍曹は間違える前に間違いに気づけるか?」
「……そんなの無理です。間違いに気づいてから正すしかない」
「だから戦争が始まり、戦争が終わる」
白々しい。分かった気にはなれても、分かる日は死んでも来ないのだろう。人々は獣として生きた時代から、今日までずっと、戦争を繰り返してきたのだから。
「……せめて一日、遅らせることはできませんでしたか」
「それでは何のために朝早く出張ってきたのか分からなくなる」
「健康のために、とかどうですか」
「だとしたら早出の歩哨たちは長生きするだろうな」
ヘイズルは鼻を鳴らした。実際には、朝早いほどよく死ぬ。経験上、急襲に最も適した時間帯は午前二時から四時の間だ。誰しもが睡魔と格闘し、早めの朝食に注意力を奪われる。
「戦術の話をお望みのようでしたら、今のうちに、お伝えしておきます。私は今日、あと一球しか投げられませんよ」
目に見えぬ火球。爆裂する火焔。まるで絵物語に見る火竜の息吹。
「日に三発か四発だったか」
「三球か四球」細かな訂正を加え、ミチカは膝の上に頬杖をついた。「まだ使える『予感』はしますが、最悪、今日はもう投げられません」
「では二球以上を必要としないことを祈ろう」
重く、長い息を吐き出し、ミチカは瞑目した。
「まったく度胸がお有りですよ。ナールより図太いかもしれない」
思いがけず出てきた名前に、ヘイズルは振り向く。
「大尉に殺されたと言っていたな。親しかったのか?」
「親しいか……どうでしょう。私としてはヘイズルの方が好みのタイプですね」
「何だそれは」
「言葉通りです。ナールは勇猛果敢な男でした。それは認めます。ですが、ヘイズルと違って落ち着きがありませんでした」
昔を懐かしむように目を細め、ミチカはポツリポツリと話し始めた。
ナールと出会ったのは、二一一連隊が編成されたときだった。それまで補給部隊に属していたミチカは小銃の整備もままならなかった。塹壕への突撃、ましてや潜入など以ての外で、訓練の段階から常に耐え難い吐き気に苛まれていた。
そんな軟弱な兵士に救いの手を差し伸べてくれたのが、ナールという男だった。
「――とは言っても、特別に何かをしてくれたわけじゃありません。むしろ特別扱いしてこなかったのが助かりました」
イェール連邦では女性の従軍も認めているが、軍服に袖を通せば、ほとんどが内勤か、裁縫工場や弾薬工場での労働を選ぶ。どんな役割であれ、国家防衛に貢献しているのは同じだ。自ら望み、補給部隊員として前線ちかくまで出張ったミチカは、相当に特殊といえる。口には出さずとも想像を絶する苦労があったに違いない。
「その顔、その体型、女だてらに従軍すれば面倒事は増えるだろうな」
気づけば、ヘイズルはミチカの隣に腰掛けていた。油断か、隙か。場所は違えど同じ戦場を歩いた者としての哀れみもあったかもしれない。
ミチカは意外そうな目をしてヘイズルを一瞥した。
「ヘイズルの口からそのような言葉が出るなんて――もう一押しですかね」
「あまり好ましい冗談ではないな」
「冗談ではないのですが――まあ、いいです。仰るとおり、面倒事は多かったですよ」
女として身の危険を感じたのはもちろんのこと、やっかみや謂れのない侮蔑も受けた。しかし、それ以上に面倒だったのは気を使われることだった。最も頻繁に言われたのは、
『女が持つには辛いだろ。代わるよ』
ここではないどこかを見つめ、ミチカは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
その女より小さな男が何を言ってる? それはアピールのつもりか? いつもそう思ったという。事実、体格の良さが幸いしたのか並の男よりも一つ多く弾薬箱を運べた。それが常だったミチカにとって、ごく普通の、なんなら少しデカイ一般兵として接してくれたのは、ナールが初めてだった。
「興味はなかったんでしょうが、私がする野球の話にも相槌を打ってくれていました。親しくなかったと言えば嘘になるでしょう。ですが、親しかったと言っても嘘になります」
最初は同じ分隊。最低限の技量が身についてからは同じ小隊。超常の力が顕れてからは、同じ連隊。任務が終われば二人並んで飯を食い、故郷や野球の話をした。いつの間にやら一緒にいるのが普通になった。
「……惚れていたのか?」
「私の話なら、それはありません。ありえないと言っていいですよ」
「なぜだ? 行動をともにしていれば情が移ることもあるだろう」
「情って――犬猫じゃないんですから」
ミチカは苦笑した。
「――でも、なぜかは答えられます。ヘイズルも仰っていたように、私も兵士に男も女もないと考えています。まして同じ連隊の仲間です。兄妹みたいなものですよ。当時は、ですが」
「当時は、か」
二一一連隊の崩壊は、ミチカにとって家族が壊れていくのに等しかったのかもしれない。
「――まあ加えていえば、さっきも言った通り好みではなかったというのに尽きます。顔はヘイズルと同等と認めてもいいですが、元気がいいだけでガサツでした。生まれのせいかもしれませんが、聞いたことがないので分かりません」
ミチカの形の良い眉が微かに歪んだ。
「――そう、聞いたことがないので、分からなかった」
いつも自分の話ばかりしていた。ナールは頷き、相槌を打っていた。彼がどういう経緯で連隊に回されてきたのか、どこで生まれたのか、家族は――。
何が好きか。何が嫌いか。故郷に想い人はいるのか。
戦争が終わったら、何かしたいことはあるか。
「都合よく解釈すれば、ナールは私に惚れていたかもしれません。過去を語れば嫌われるかもしれない。だから黙っていた。実際は分かりません。――聞かなかったので」
不意にミチカがこちらを向いた。紫の瞳が潤んでいた。
「聞かなくてよかったかもしれません。私は操を立てるタイプなので、聞いていたらヘイズルに迫れなかったかもしれない」
「――そうか」
ヘイズルは肩に伸ばしかけていた手を握り、席を立った。何をしようとしていた。抱き寄せようとでもいうのか。なんのために。下らない――いや、下らなくはなくとも、元を正せば庶民の生まれの俺では相応しくない。
カツ、カツ、とこれ見よがしに小気味良い靴音が聞こえてきた。フロキだろう。ミチカが細いため息とともに立ち上がると、ほどなくして靴音は部屋の前で止まり、扉が叩かれた。
「伍長か? 入ってくれ」
「――他に誰がいるのさ。準備ができたから呼びに来たんだよ」
部屋に入るなり憎まれ口を叩き、フロキは蔑むような目をミチカに向けた。
「随分と仲が良いみたいだね。さすがだよ。次から次へと手が早い」
「卑屈は不治の病だな、フロキ。だが、安心しろ。〈おしゃぶり〉なしに貴様を見てくれる人も世界のどこかにいるはずだ」
ピンと張り詰めた空気に頭痛の種を見取り、ヘイズルは鼻で息をついた。
「伍長、後学のために覚えておくといい」右の人差し指と中指を曲げ、続く言葉を強調しながら言った。「『受け流す余裕がないなら口喧嘩をするな』」
「ボクがいなきゃマダム・バートリに会えないくせに」
「誤認だ、伍長。お前が生きていようが死んでいようが関係ない。俺は会いに行く。必要を認めれば殺す。それが俺の任務であり、この地で俺に従う者の使命だ。他に質問はあるか?」
まるで新兵を扱うような言い様にフロキの顔が歪んだ。お世辞にも可憐とは言えない表情ではあるが、作り物の少女の顔に比べれば人間らしかった。
フロキはわざとらしく大げさに踵を鳴らし、背を向けた。
「こちらへどうぞ、曹長閣下殿! ――まったく、こんな嫌な奴だと思わなかった!」
「すべて聞こえているぞ伍長。それと、ただの曹長に閣下はいらん。閣下に殿など皮肉にもならない。言葉を増やすほど無学が露呈するだけだ」
「~~~~~~ッッッ!!」
フロキは廊下に駆け出ると素早くソウドオフを抜き、引き金を引いた。廊下の向こうで鋭い悲鳴が上がった。投げ捨てられた空薬莢が床で弾み、中身の詰まっていない音を立てた。
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