サニティチェック

 フロキがカチカチと歯を鳴らし、苛立たしげに空気を噛みはじめた。『彼』の視線から逃れてミチカが、タブーだと言いましたよ、と唇を動かし、左手で頭を指差した。正気かと尋ねていた。当然、正気だ――俺は。


「男のくせに后になるだと?」


 目に力を込め、腹を据えて訊いた。


「その格好はなんだ?」


 二つ目のタブーを踏んだ。フロキは机から降り、眉根に皺を寄せながら歯を剥いた。


「今、ボクに、何て言った?」

「――男のくせに、その格好は、なんだ、と」

「――ッッ~~~~~!!」


 フロキは血を流さんばかりに右の拳を握り固め、左手の親指の付け根に噛みついた。歯と筋肉が擦れあいミシミシと軋むのが聞こえてくるようだ。

 数十秒もそうしている間、ミチカはずっと拳銃のグリップを握っていた。いつでも抜けるように。抜いて、秒もかけずに頭を吹き飛ばせるように。

 やがて、フロキが指を噛むのをやめると、肌と唇を唾液の橋が渡した。後には真紫の歪な歯型がついている。


「……知ってるかな、ヘイズル」


 重苦しい声。けれど、フロキは急に明るい顔を作った。


「このフロキ・キャッスルでは同性婚が認められているんだ! 異性装も! いずれは我らが連邦もそのように法を変えるよ! いや、ボクが、ボクたちが変えようよ!」


 額に汗が吹いていた。

 ――我らが連邦、か。とヘイズルは言葉端に正気を読み取りつつ、負荷をかけにいく。


「異性装に同性婚か……お前のような奴がいるんだ、いずれは認められる時代もくる。そう願おう。だが、今じゃない。仮に今きたとしても、貴様のような自作自演で姫を気取る狂人には許されない権利だ」

「~~~~何だ! お前!」


 叫ぶなり、フロキがソウドオウフを取った。ヘイズルとミチカは同時に拳銃を抜き、それぞれが狂気に落ちかけた軍人の頭部に照準を合わせる。

 しかし、撃鉄ハンマーは一つも落とされなかった。


 じっとりと湿った時間が流れた。指先一つ――いや、その更に数ミリ先に死の影がちらついている。我先にと撃てば生き残るのはミチカだ。けれど、彼女もヘイズルの意を汲んでか最後の数ミリで踏みとどまっている。負荷テストは、ひとまず合格とみなせそうだ。

 ヘイズルは自らを捉え続ける上下に並んだ銃口を無視し、フロキに問う。


「三年以内にその無様な異性装をやめ、同胞に銃を向けた罪を悔いることができるか」

「……どういう意味さ」

「この状況、見て分からないか? 俺は最後通牒を持ってきた。死ぬか、英雄としての凱旋を望むか。断るのなら仕方ない。ここで獣どもとともに果ててもらう」

「……ボクが引き金を引いたら? ヘイズルさま、あなたは死ぬ。何が最後通牒だ」

「俺を殺しても同じだ。別の奴が来るか――そうでなくても、お前は死ぬ。そう日もかからないだろう」


 ミチカにも秘しているが、戦争はとうの昔に終わった。それを知る日がきても戦争行為を続けるのなら獣以下だ。いずれ時間にすり潰される。

 ヘイズルは声を低めて言う。


「――神様だの何だの、あまり俺を舐めるなよ。そんな『短小』、眠っていても躱せる」


 この距離でバードショットを? バカな。自身の発言に胸裏で苦笑しつつ、重ねて問う。


「ここで悪辣な姫として死ぬか、姫ならずとも英雄になるか」


 長い、長い沈黙があった。フロキはトリガーから指を外し、ソウドオフを下ろした。


「成れるのなら、英雄に」


 ほう、とため息に似た息をつき、ミチカがハンマーを指で押さえて下ろした。まだだ。ヘイズルは銃口を向けたまま訊く。


「同じことを、ディーロウ、バートリ、アーミテイジにも聞かなくてはならない。協力しろ」

「あいつらに? 聞く耳なんて残っちゃいないと思うけど」


 フロキは憑き物が落ちたように青年らしい顔つきになって答えた。


「でも、銃を向けられてたら仕方ない。従いますよ」


 合格だ。ヘイズルはいつでも抜けるように気を張りつつ銃を下ろした。二年と十一ヶ月といったところか。狂人だが、まだ戻れるところにいると彼は見た。


「まずはディーロウとバートリに会いたい。いますぐに行けるか?」

「いますぐ? さっき戦ったばかりなのに?」


 フロキが再び歪んだ笑みをみせた。納めたばかりの拳銃に手が伸びかけた。しかし、


「やってはみるけどね。あいつらの気が立ってたら知らないよ。――ああ、さっきの民兵のなかに子供が居たかな? だったら交渉に使えるかもしれない」


 独り言を交えた口調が妙に思えた。嫌な予感がする。だが、『ギリギリに立っている』故かもしれない。勘を信じるか、状況を優先するか――


「できるのか、できないのか、はっきりしてくれ」


 ヘイズルは状況を優先した。


「はいはい。やるよ。やればいいんでしょ?」

「フロキ、曹長にその態度は頂けない」


 ファインプレーだ。ミチカが違和感を問いただした。

 気怠げに振り返ると、フロキは面倒くさそうにヘイズルに一礼した。


「拝命いたしました、ヘイズル・パートリッジヴィル曹長殿。――閣下の方がいい?」

「フロキ!」


 語気を強めるミチカを手で制し、ヘイズルは言った。


「ありがとう軍曹。だが今は不問としよう」


 ニヤリ、とフロキは勝ち誇った笑みを浮かべながらミチカに振り返った。彼女の歯ぎしりが聞こえてきそうだった。


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