フロキ・キャッスル
フロキ・キャッスル――そう称されていた邸宅は、周囲の要塞めいた家並みとは一線を画していた。堅牢で合理的な石造りには違いないが、元の持ち主の趣味なのか高い尖塔を備え、彫刻や装飾をふんだんにあしらった姿や、バルコニーから垂れる真っ赤な二一一連隊旗が、小領主の居城を思わせた。
――もっとも、今そこに暮らす人々も含めて、見様見真似のできそこないだったが。
「ボクたちの城へようこそ! ここはボクとあなたの城ですよ! ヘイズルさま!」
そう嬉しそうに宣言し、フロキは両手を広げ踊るように回ってみせた。ボクとあなた――ボク『たち』のなかに俺が含まれていないといいのだが、と思いつつヘイズルは内部を見回す。
あちこちに掲げられた手作りの連隊旗と分隊章。落ち着いた家の作りに対して外から持ち込まれたであろう家具、調度品のちぐはぐさは悪夢だ。おそらく、通りに打ち捨てられていた家具の残骸は、フロキ主導の元で選別、略取した跡だったのだろう。
――正気を試すなら今か、いや吸血姫と会う算段を取りつけてからか。
ヘイズルは胸の内で決断し、フロキに訊いた。
「どこか落ち着いて話せる場所はあるか?」
正気を試す。できれば、身の安全を確保した上で。周囲にいるタキシードはヘイズルを敵かそれに準ずる存在と認識しているらしく目つきが鋭い。危険すら覚える。現に、傍に控えているミチカは油断なくヘイズルの視界外を警戒し、手をリボルバーのグリップに乗せていた。
パン! と軽やかに手を叩き、フロキが言った。
「もちろん!」
寄せ集めの調度品に似合いの安づくりな声に、ヘイズルは嫌な予感がした。
知ってか知らずか、フロキは子どものように踊り、飛び跳ね、回りながら歌い上げた。
「ここ! ボクたちのお城! ここならどこで落ち着いて話せますよ! ヘイズルさま! ちょうど、さっき、ボクたちの城を狙う悪漢たちを、やっつけたんだから!」
舞台ならあるいは大仰なファンファーレが鳴ったかもしれない。だが、徴発された城で聞く舌たらずな子どもに似せた口調は、可愛らしさよりも薄気味悪さが勝った。
二言目に否定してやるのは簡単だった。正気も試せる。しかし、まずは身の安全を確保するのが先だろう。
ヘイズルは記憶にある先の激戦のさなかに交わした会話を手繰り、声を低くした。
「フロキ。『神様の言うことが聞けないか?』」
化粧を駆使して少女に似せたまん丸の目を細くし、フロキは紅くした唇を舌先で舐めた。
「……ありますよ。あります、けど」
目が半ば殺意を伴いミチカに向いた。彼女は別だというのだろう。
ヘイズルは首を左右にゆるゆると振った。
「フロキ。もう一度だけ尋ねる。『神様の言うことが聞けないか?』」
ギリ、と歯の軋む音が聞こえた。タキシードたちが殺気立ち、ミチカのグリップに乗せた手の人差し指がゆっくりと伸びる。
フロキは親指の爪を噛むような仕草をしながら言った。
「どうぞ、こちらに」
背を向けた。緊迫が解ける。瞬間、
「もう! 我儘なんだから!」
フロキは垂らし持っていたソウドオフを横にいたタキシードのつま先に向けて引き金を引いた。炸裂音とともに兵士の口から悲鳴が迸り、埃にまみれたシャンデリアを揺らした。
「膝の後ろで縛っておくように! あとでボクが直してあげるからね!」
その声に、撃たれた兵士が「ありがとうございます」と叫んだ。
冗談じゃない。仲間との雑談でそういう言い回しをすることもあったが、冗談であってほしいと思ったのは初めてだった。
フロキが案内したのは、意外にも尖塔の頂上ではなかった。夜話に聞く上流階級の暮らしを想像だけで再現したような暮らしをするフロキが、元の家主が使っていたであろう書斎に通したのは、僅かばかりに正気が残っていたからだろうか。
フロキは薄汚れた水差しを傾け、白く曇ったグラスに濁った水を注ぎ、ヘイズルに差し出した。もちろん、『雑に』断った。上官に対する反抗心を見たかった。結果は――、
ゴクン、と挑戦的な目つきをして自らの口に運んだ。良くない兆候だ。崖っぷちにいる。
「――それで? 神様がわざわざ数的優位を確保してまでボクとしたいお話とは?」
理性にはBをくれてやってもよさそうだ。
ヘイズルはフロキの左前方に位置どるよう動いた。息を合わせたかのようにミチカが逆手側に回りこむ。拠点制圧の知恵だ。左右の両極を取り火力を一方に向けさせる。フロキもそれと気づいたようだが、大胆にもソウドオフを背後の机に投げ出し、天板に腰掛けてみせた。
聞く耳はあるようだと認識し、しかし、警戒は緩めず、ヘイズルは口を開いた。
「撤退命令が出ているのは知っているか?」
「なんでしたっけ、それ」
煽ってくるような口調に嫌気が差す。ミチカと異なり軍人としての最低限が消えかかっているようだ。
「俺は、お前たちを撤退させに来た。お前だけじゃなく、お前の仲間も、全員な」
断るようなら、英雄の候補になりえないなら、殺す。その事実はひとまず伏せた。すでに知っているミチカは何も言わなかった。
「ボクたち全員? バートリたちや、あの、アーミテイジも!?」
グニャリ、と嘲笑うかのように口元が歪んだ。
「そんなの無理だ! 無理ムリのむりだよ!!」
腹を抱えるようにして、声高らかに笑い声をあげた。薄っぺらい声だ。本気で笑っているのではない。挑発するためだけに笑っている。
「ボクらはここに、それぞれの王国を築いたんだ! 敵の喉元はもう目の前! 手を伸ばし、爪を立て、引き裂いてやる! そして、そして――」
瞳孔の開いた瞳でヘイズルを見つめ、うっとりと言った。
「ヘイズルさま! あなたを王に迎えます! ボクは后になる! そうして、そうして――」
なお続きそうな熱弁に舌打ちし、そこまでだとばかりにヘイズルは喉を切る仕草をした。ミチカがグリップに手をかけた。そうじゃないと首を振りつつ、フロキの目を見据えて言った。
「――お前は男だろう」
シン、と部屋の――というよりもフロキの熱気が失せた。
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