自作自演の天使

 フロキが一歩、前進する。タキシードの一人が山の頂に達し、奥に銃撃を加えた。フロキが前進する。一人また一人と山を越え戦闘を開始する――と。


「うぐがぁぁっ!」


 苦悶の声をあげ兵士が転がり落ちてきた。肩口を押さえる手指の隙間から血が溢れていた。

 フロキは心配げに眉を寄せ、とってつけたような可憐さで言った。


「ああ! 大丈夫!? すぐに直してあげるからね!?」


 前進する。その足がヘイズルを越えようかというとき、急ぎミチカが彼を起こした。


「お怪我はありませんか、ヘイズル。どんな小さな傷でも洗っておかないと――」

「大丈夫だ。分かっている。それより――」


 ヘイズルはあと一歩の距離まで迫ってきていたフロキを見やった。

 綺麗な顔立ちをしていた。小柄な躰も、細い骨格も、少し大柄な少女に見えなくもない。しかし、姫を自称するとは大した度胸だとも思う。パートリッジヴィルという家に入れたからこそ分かる。


 ――しつけがなっていない。


 顔に貼りつけた作り物の笑顔の下品さときたら、顔と躰で金を稼ぐ商売女のようだ。それに着ている衣服は、盲目的に従う部下たちは、

 いったいこいつは、なんだ?

 言葉を見つけられないでいるヘイズルに、ミチカが耳打ちする。


「ヘイズル、今は黙って私に合わせてください」


 同意を目配せで伝えると、ミチカはすぐにフロキに言った。


「フロキ伍長、こちらはヘイズル・パートリッジヴィル曹長。忘れたか? 私たちの神だ」


 飛び出た文句に目眩がしそうだった。だが黙って成り行きを見守る。


「ヘイズル・パート……リッジ……ヴィル?」


 フロキの、瞳孔の開ききった瞳が揺れだし、やがて涙を溜め、両膝を叩き落とすようにして頭を下げた。


「申し訳ありませんヘイズルさま! どうか、どうかご無礼をお許しください!」


 急変する態度に頭痛が増した。

 先ほど肩を撃たれた兵士がフロキの足元まで這いより、


「ああ、痛い……痛いぃぃぃい……フロキさま! どうか、どうか御慈悲を!」


 と、叫んだ。フロキはすぐさまにソウドオフを兵士の足に向け、躊躇なく引き金を切った。重苦しい炸裂音を立て、鳥撃ち弾バード・ショットが足をズタズタに引き裂いた。耳を劈く痛苦の喘ぎに、フロキが獣の顔で吼えかける。


「うるさい! 黙って待ってろ! ボクが許すまで一言も口を聞くな!」


 兵士は涙を流しながら躰を丸め、血まみれの手で自らの口を覆った。見るに堪えない。喋ってもいいかとミチカに視線をくれ、小さく頷き返すのを見て、ヘイズルは口を開いた。


「フロキ伍長、この状況で、顔を会わせるのも初めてだ。分からなくても無理はない。許す。貴官には人を癒やす力があると聞いている。そいつを治してやれ」

「は、はい! 寛大なご判断に感謝します!」


 大げさにすぎる礼を言い、フロキはルージュを引いた唇をチロリと舐めて兵士の傷に手を当てた。痛むのか、兵士が躰を跳ねた。傷を強く圧迫し、撫で擦る。苦悶の声がやがて奇妙な色を帯び、兵士の目の色がトンでいく。手の平が離れたとき、すでに傷は無くなっていた。


「さあ足も診せて。すぐに治してあげるからね」


 言いつつ、自ら穴だらけにした足を同じように撫で擦る。今度は更に痛むのか、兵士がひときわ強く身を震わせた。


「おお、よしよし。怖くないよ。痛くないよ。気持ちよくなってくるよ」


 フロキは猫なで声を出しながら兵士の頭を膝に乗せ、空いた手の親指を口に含ませた。ちゅぱちゅぱと、兵士が赤子のように指を吸った。

 その薄気味悪い光景に虫唾が走り、ヘイズルは顔を背けた。山の上では未だタキシードどもが戦闘を続けている。また新たな犠牲者が出、転がり落ちてきた。


「さあ、もう大丈夫!」


 フロキが兵士の口から指を抜き、真っ赤な舌で舐めた。兵士が立たつとすぐに尻を叩き、


「さあ行って! ボクのナイト達! ボクより後ろに下がったらおしおきだよ!?」


 応と吼え、兵士は何かに取りつかれたように前線へと突進する。おしおき――つまり、さっきのように足を撃つ。痛いのが嫌なら前に出ろ。地獄だ。となれば。


 ――あれは完全に身内を撃つための銃か。


 ヘイズルはフロキの握るソウドオフを見やり、粘つく唾に顔を歪めた。英雄候補として連れ帰るべきか、いなかった者として葬るべきか。現時点では後者に傾く。銃声と怒号のさなか脳裏では、三年以内に矯正できるかどうか、始末したとしてこいつの部下はどうする、などと容易に答えの出ない思考が巡った。


「何やってるのさ! 行け! 行け! 進め! ボクは進むぞ!」


 フロキが前進する。耳障りな声に怒りすら覚える。

 こいつの利用価値はどこにある? 今殺すべきではない理由はあるか?

 ミチカを見やると、ヘイズルの思考を読み取っていたかのようにフロキを指差し、二本の指を立てた。そうだった。ウォーキング・バイポッドと吸血姫に会うには、こいつがいる。


 理由はそれだけで十分だった。


「伍長。状況を速やかに完了しろ。俺と軍曹も協力する」


 フロキは異様なまでに喜色ばんだ顔で振り向いた。褒美に生肉を与えられた駄犬の顔だ。


「ああ、なんて光栄でしょう! ヘイズルさまの御力を借りれるなんて! さあミチカ! 行こう! ボクとヘイズルさまの、栄光への道を作って!」


 ミチカは露骨に嫌そうな顔をし、ヘイズルを恨めしげに見ながらリボルバーを折るようにして排莢、次弾を装填した。


「フロキ。階級を忘れたか? 私はお前より上だぞ」

「階級!? 何を言ってるのさミチカ! 君はたかがボイラー王国の外交官! ボクは栄光ある二一一連隊の王女だよ!? さあ行け! 行くんだ! ボクのために奮戦しろ!」


 イカれてる。これより下がないことを祈るばかりだ。

 ヘイズルは木製ホルスターをベルトから外し、ストックとして拳銃のグリップに取り付けた。


「行くぞ軍曹。掃討戦だ」

「――行きつ戻りつ、死線を彷徨うとはこのことですね」


 ミチカは素早く山を駆け上り、タキシードどもの間に割入った。

 フロキが、熱狂的な声で叫んだ。


「行け! 焼いてやれ! ミチカ!」


 山の向こう、壁の内側に、緊張が走るのを感じた。


「ンヌッファ!」


 と、ミチカが見えない火球を投げ込んだ。永遠に続きそうな断末魔の声。フロキはソウドオフをブレイク・オープン、女物のショルダーバッグから散弾を出し上の銃筒に装填した。


「さあ突撃だ! ナイト諸君! ボクのために身を焼き焦がせ」


 継父の書斎にあった画集の、地獄絵図によく似ていた。

 空に放たれた号砲を受け、燃え盛る建物にタキシードたちが殺到する。苦痛に喘ぎながら銃を撃ち、銃剣を抜いて内部に侵入する。身を焼かれながら戦い、倒れればフロキの〈おしゃぶり〉で叩き起こされ、また走る。


「――お分かりになられましたか?」


 銃声が鳴り止んだ頃、タキシードたちの後方、フロキの少し前方に控え、ミチカが言った。

 そこら中に転がりうめき声をあげている兵士たち。紛い物の聖母となり傷を癒やして回るフロキ。姫の自作自演に国民が歓喜していた。

 ヘイズルは拳銃をホルスターに納めながら答えた。


「――ああ。やはり衛生兵に突撃の指揮を任せてはいけない」

「そちらですか」


 ミチカが苦笑した。

 引き立てられてきた生き残りの民兵を見つめ、ヘイズルは尋ねた。


「捕虜にしてどうする気なんだ? 尋問しても答えないと言っていただろう」

「フロキのことです。矯正ののち兵士として使うか、吸血姫との交渉に使うんでしょう」


 地獄も、狂気も、まだまだ底は深いらしい。

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