二一一連隊の姫
二人は制圧射撃を繰り返しながら、炎を煙幕に後ろへ前進する。やがて壁に見えていた建物の扉に張り付くと、息を合わせて内部へと突入、ほとんど真っ暗闇のなかで左右を警戒した。
通路は一直線に伸び、ところどころに開いた壁の裂け目から光の帯が垂れている。漂ってくる煙と通路を駆け抜ける悲鳴。上階に聞こえる複数の足音。一人や二人ではない。
「――どうする」
迎撃か、退却か。
「通路を左に駆け抜けます。建物を抜ければ、フロキ・キャッスルはもう目と鼻の先ですよ」
「敵を連れ込んで怒られやしないだろうな」
フクク、とミチカが噛み殺しきれない笑みに肩を震わせながら言った。
「むしろ嬉々として飛び出してきますよ。どいつもこいつも戦争に飢えているんですから」
「この短時間で応援に出てこられるのか」
「当然ですよ、ヘイズル。さっきの銃声。悲鳴。それに『狼煙』も上がりました。一分もかからずに出てきます」
「――たいしたものだ」
掛け値なしにそう思う。いったい何人の兵士を管理しているのか知らないが、銃声が聞こえてから窓の外を観測し、装備を完了させ、編成し、出撃する。一分以内に完了し、即、戦闘に移れるのだとしたら、敵にとっては悪夢だ。
「急いで!」
ミチカが駆け出し、後に続く。通路の奥に人影。しゃがみながらの発砲、影が転んだ。立ち上がる間に前後を入れ替え、ヘイズルが先行する。背筋に電流に似た刺激が走った。時間が急激に間延びする。二メートル先、右方に殺意が向かっていく。
ヘイズルは足から飛び込むようにして床を滑った。目に飛び込んでくる階段室の陰。炸裂音が鳴った。そのまま走っていれば躰があっただろう空間を敵の弾が引き裂いた。一方、ヘイズルの放った弾丸は武装市民の腹に、胸に、顔にとめり込む。血飛沫を上げ、ヘイズルが前を横切る間に躰が倒れ始めた。追いついたミチカが力任せに引き倒しつつクルリと旋回、足を止めずに叫んだ。
「前進! 前進!」
目に見えぬ火球を横手で放った。立ち上がりつつあるヘイズルを助け起こして走る。背後が炎に包まれ、街中に響き渡ろうかという悲鳴があがった。怒号と足音が何重にも重なる。通路の先が明るくなった。壁が崩れかけている。
「急いで! 急いで! 急いで!」
三度言い、新たな階段の前を抜けると、ミチカが振り向きざまにリボルバーを撃った。六連発を聞きとげ、今度はヘイズルが脇の下から背後を撃つ。顔を出そうとしていた男が慌てて奥に引っ込んだ。前を向き、歯を食いしばり、息を絞るようにして、ミチカの背中を追うようにして外へと逃れ、
「――何だ、これは」
思わず息を呑んだ。建物一つを丸ごと崩したような瓦礫の山。その上に捨て置かれた夥しい数の死体。焼かれ、砕かれ、腐り、肉をこそぎ落とされた人だったモノ。無人地帯となったガルディアが、どのようにして無人地帯になったか示していた。
「ヘイズル! 急いで下さい!」
ミチカに手を引かれ、ヘイズルは瓦礫と腐乱死体の山を登った。汗が吹き出た。必死に走ってきたせいか。背中に聞く銃声のせいか。目に映る悍ましさのせいか。頬を掠めた弾丸が死体の一つに穴を空けた。血は一滴も溢れない。鼻をつく腐臭。
「フロキ!! そこにいるか!?」
山の頂に届こうかというとき、ミチカが軍人の声色で叫んだ。すぐに山の向こうから、
「ああ! ミチカ! やっぱりミチカだ!」
およそ男の声とは思えない、甲高く甘ったるい声が返ってきた。
「いるよ! ボクは! ここに! いるよ!」
音節をはっきり区切る演劇じみた口調。胸焼けしそうな狂気の色。
ヘイズルは照準もつけず弾倉に残る弾すべてを背後に撃ち、肉塊の山を乗り越えた。
「久しぶり! 久しぶりだね! ミチカ!」
なだらかに下がる山の裾野で、声の主――フロキ伍長が両手を広げて待っていた。周囲には燕尾服に似た黒服を着込む部下二十人ばかりを従え、当人は野戦服風に仕立て直した目に痛いほど赤いワンピースを纏い、明らかに箍の外れた笑みを浮かべている。
「さあ! さあさあさあ! 反転! 攻勢! だよ!?」
わざとらしいくらい嬉しそうに言い、フロキは、その手に握る装飾の入った上下二連の
ヘイズルは咄嗟に両手を上げつつ止まろうとした。だが、靴底の下で腐った死体の皮膚がずるりと剥け、足を滑らせてしまった。尻餅をつくと余計に勢いがつき、躰は為す術もなく瓦礫と死体の上を転がり落ちた。必死になって膝をつき速度を殺すと、
「おっと。気をつけて。ボクより後ろに行ったら撃っちゃうよ?」
たっぷりと笑みを浮かべるフロキの足元だった。
「ヘイズル! 大丈夫ですか!?」
降ってくる声に片手をあげると、フロキがコックリ小首を傾げた。
「ヘイズル? ミチカ、この人はだあれ?」
言って、ロングブーツの踵で肩を蹴り、ヘイズルを転がす。ふざけるなとばかりにミチカの眦が吊り上がった。躊躇なく瓦礫の山を滑り降り、リボルバーを向けつつフロキに迫った。
「フロキ! 貴様! 曹長に対してその態度は何だ!」
「はあ? 曹長? だから何?」
自らを狙う銃口は意に介さず、フロキはヘイズルの顔面にソウドオフを差し向けた。指は引き金に乗っていた。
「フロキ!」
ミチカの指もだ。
ザッ、とタキシードの男たちが一斉に、手にするライフルでミチカとヘイズルを狙う。
パン! と乾いた銃声が響いた。
フロキや部下ではなく、またミチカでもなく、山の向こうの壁からだった。
「――まずは片付けないとみたいだね!」
ソウドオフの照準を外して肩に乗せると、フロキは左手をまっすぐ前に伸ばした。
「さあ、みんな! ボクは進む! ボクは前に前に進む! みんなでボクを守って!」
タキシードの兵士たちが、一斉に、恭しく一礼して山の奥へと向いた。
すぅ、と胸を反るように息を吸い込み、
「フォワード!」
フロキが吼えた。
「ううぅぅうぉぉぉおおおおおおおおるぁぁぁぁああぁぁぁああぁぁ!」
タキシード共が雄叫びながら山に殺到、誰かが叫んだ。
「グレネード!」
ほとんど同時に放り込まれる三つの手榴弾。一秒、二秒、炸裂。爆音が大気を震わせ、山の向こうで飛び散ったであろう黒々とした肉片の雨が降った。
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