刻み込まれた戦術

 いざ出歩いてみると、要塞都市という評判とは裏腹に、ガルディアの街並みは古めかしくも美しかった。数多の戦争を乗り越えてなお形を留める石造りの家々は堅牢で、侵入者の足を止めようとする入り組んだ路地は異界の迷宮を思わせる。しかし、弾痕の残る看板や、大きく開いた間口から覗く焼け崩れた商品棚や、割れ窓の奥で揺れるカーテンが、ここにたしかにあった慎ましくも心豊かな生活は、すでに失われたのだと、伝えていた。


 思えば、戦争が始まるまで、敵となったこの国を、何も知らなかった。

 皇帝不在のまま帝国を自称しはじめるなど異次元の発想だ。どんな土地で、どんな人々が、どんな暮らしをすれば、そうなるのか。


 知らなかったし、知ろうともしなかったし、知りたくもなかった。

 なのに、今、知りたくなかった答えが眼前に広がっている。

 厳しくも美しい土地で、善良な人々が、幸せに暮らしていた。


「――戦争は人々の頭の上で始まる、か」


 無人地帯と化した街の姿が、ヘイズルの脳から言葉を引き出す。口走ってから押さえても遅い。先導するミチカが足を緩め、曲がり角の奥の様子を窺いながら訊いた。


「どなたの言葉ですか? 私は聞いたことがありません」

「……父――いや、継父の言葉だ。弟が――こちらは俺の継父と血のつながった正統な家族だが――継父になぜ戦争なんてするのかと尋ねた。そのときの、継父の答えだ」

「戦争は人々の頭の上で始まる……どういう意味でしょうか」

「パートリッジヴィル家の果樹園では多くの人間を雇っていた。なかには待遇に不満をもつ奴もいた。だが、武器を手にして土地を奪うような真似はしなかった」

「でも、ヘイズルのお父様が命じれば武器を手にする?」


 肩越しに鋭い視線だけを飛ばし、ミチカはヘイズルを手招きながら角を曲がった。


「飲み込みが早いな」

「ヘイズルの家とは比べ物になりませんが、私の家も小金持ちですからね」


 自嘲気味に言い、するすると前進していく。

 多少の不満は呑みこんで暮らす人々の頭の上に、知りもしない人々の暮らしを憂う者たちがいる。彼らが戦争をする。血を流すのは彼らではないが、彼らは血の涙を流しているという。


 あの中佐のように。士官たちのように。政治家たちのように。

 瓦礫の狭間から朝方の青い光が差し込み、ミチカの赤い髪色と混ざりあう。瞬間、

 ヘイズルは胸の内で殺意が膨らむの気づいた。敵だ。狙われている。手が勝手に伸びた。指先がミチカの野戦服の後ろ襟を掴んだ。力任せに引いた。ヒュン、と空気の線が走り、壁に当たって散った。銃声。よく響く。角度は確定。


「援護を!」


 叫び、ミチカが低く駆け出す。言われるまでもなくヘイズルは弾丸が飛び込んできた隙間からライフルを出し、中指で引き金を切っていた。ライフル内部で撥条が弾け、撃針が弾丸の尻を叩いた。炸裂。銃身内で圧縮された爆発力が発砲炎とともに鉛の頭を飛ばす。


 銃口の先たった十五メートルばかりのところに、無数の弾痕が刻まれた壁があった。規則的に並ぶ暗く四角い穴は古い時代の銃眼――いや弓矢のためのアロースリットか。


 素早くボルトを操作し次弾を装填、ヘイズルは先ほど一瞬、垣間みえた気がした空気の線を参考に、適当なスリットを狙い直して撃った。速射。弾が切れた。しゃがむ。間際に別の穴が光るのを見た。頭上十センチを敵の弾丸が抜け、背後で壁を打った。


「ヘイズル!」


 ミチカの声が瓦礫に囲まれた通りに響く。銃声。ヘイズルは給弾を終えたクリップを投げ捨てつつ、姿勢を低くして駆けた。完璧な待ち伏せだ。通り道がバレていた。


 ――だが、なぜだ?


 新たな銃声がヘイズルの疑問を断ち切る。通りに飛び出すと、ミチカが道の真ん中に積み上げられた家具の残骸に身を隠し、アロースリットを次々と狙い撃った。制圧射撃だ。


再装填リロード!」


 ミチカが叫んだ。家具の残骸に背を向けサイドポーチからクリップを出す。ヘイズルは埃で薄汚れた石畳を滑りながら代わりに射撃。残骸に肩をぶつけるようにして止まると即座にホルスターから拳銃を引き抜いた。


「――シッ!」


 鋭く息を吐き、引き金を引いた。予想よりも遥かに強い反動に、手を跳ね上げられた。


 ホルスターをストックにしろ、か!


 忠告の意味を理解し、肩を入れて両手で拳銃を構える。発砲。まるで暴れ馬だ。力と体重で押さえ込み連射する。ボルトが止まった。撃ち尽くしたと気づく前に指が一度、引き金を空引きする。胸ポケットのクリップに指をかけつつ叫んだ。


「リロード!」


 銃声と、前進なり後退なりの指示を期待していた。しかし、ヘイズルが拳銃にクリップを挿し弾を押し込む間に聞こえてきたのは、


「〈火葬〉します!」


 という奇妙な宣言だった。

 クリップを引き抜き、行きの飛行機内で読んだ説明書通りにボルトを引き、離す。

 バキン! と鋭い音を立てて次弾が叩き込まれた。

 ミチカは何をしていると首を振る。

 ちょうど、目には見えない火球を振りかぶったところだった。弓を引くように大きく腕を絞り、左肩の先を照準器の如く敵に向け、


「ィヨイショッ!!」


 変わった気合一閃、投擲した。間もなく、ヘイズルは新たな塹壕戦の形を見た。

 超常の力が生む目に見えぬほど圧縮された火球が、アロースリットの縁にぶつかったまさにその時、地獄の業火となって花を咲かせた。音無き爆炎。青白い炎が空に壁に大地に散り、瞬く間に燃え広がった。火炎は色を赤くしながら地をなめて、火柱を吹き上げ、視界を奪った。


「うぉあぁぁぁあがああああ!!」


 絶叫。悲鳴。落下音。誰かが窓から落ちた。銃弾が火炎の壁を破り飛来した。だが、いずれの弾も射界が確保できずに明後日の方向の壁を穿つ。


 拠点で待ち伏せている敵に正面から支援射撃を敢行、その隙にアロースリットという極めて狭い射界の外から痛打を見舞う――それはまさしく形を変えた塹壕戦であり、幾度となく運用してきた『A戦術』だった。


 なるほど、とヘイズルは心中でミチカに黙礼を送る。敬意を込めて。

 打ち合わせずとも躰がそのように動きだす。二一一は極限まで訓練された特殊部隊にほかならず、超常の力を扱うミチカは、誰よりも早く前線に殺到する突撃分隊の長だった。


「援護を! 後退します!」


 ミチカが吼えながら発砲、我に返ったヘイズルはライフルを肩にかけ立ち位置を代わった。

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