内野の両翼

「……いま俺の知らないスポーツに例える必要があるか?」

「部下とのコミュニケーションも重要だと思いませんか?」


 さも当然の如くレクチャーするミチカに、ヘイズルはいささか鼻白む。だが、現状で唯一といってもいい会話の通じる相手で、この狂気渦巻く広大な無人地帯の案内人でもある。拒否して関係を悪化させるよりはと諦めて頷く。


「まず野球のルールが分からん。必要最小限に要約して説明してくれ」


 ヘイズルの回答に、ミチカは驚いたように瞬き、


「ええ、ぜひ、よろこんで!」と、すぐに前のめりになって説明を始めた「いいですか? まずホームとセカンドの間にボールを投げるピッチャーがいて――」


 ウキウキと語られる説明に狂気の一端と日常を垣間見つつ、ヘイズルは大枠を了解する。


「――ようするにバットをサイコロ代わりにした双六か」

「……そういう理解をなさる方は初めてですが、まあ、だいたい、そんな感じですね」


 普通の双六と違うのは一マスも進めないファンブルがあるのと、場合によっては進んでいるコマも振り出しに戻されること。そして三死スリー・アウトで攻守が逆転すること。ミチカはクリケットに似ていると評したが、別物に思えた。

 さて、とヘイズルは首を回し、改めて地図上の西――サードに打たれたピンを指差す。


「それではやりなおそう。サードは誰が守ってる?」

「……付き合っていただき、ありがとうございます」


 薄笑いを浮かべたまま礼を言い、ミチカは新しい煙草を唇に挟んだ。


「サードはフロキ伍長が守っています。二一一連隊の姫を自称しています」

「フロキ伍長、フロキ……」


 ヘイズルは資料の束から一枚の薄っぺらい紙を探り当てた。同時に、耳に飛び込み脳裏にへばりついていた単語を聞き返す。


「……姫?」


 入隊時に撮ったらしい一枚の写真がついている。短髪に、出身地と色味からして、おそらく浅黒い肌。綺麗な顔立ちだが――。


「……俺の目には、性別欄に男と書いてあるように見える」

「ええ。ですが、姫を自称しています。彼女――失礼、牡羊座の彼は街中で見つけた赤いワンピースを野戦服にしています。最も精強といえる兵を侍らせて人生を謳歌していますよ」

「……正気か? 異性装は国に戻れば病院送りで矯正教育が待っているぞ」

「三年以内にやめてくれることを祈るばかりです。まあ、殺すほうが早いでしょうが」

「――頭痛で頭が割れそうだ」

「こちらに特効薬がございますよ」


 ゴン、とミチカがテーブルに拳銃を置いた。紫色の瞳は笑っているのか泣いているのか判然としない。一度も吸われることなく燃え伸びた煙草の灰が折れるようにして落ちた。


「薬なら自前がある。強力なのがな」 


 同じように新式の拳銃をテーブルに置き、ヘイズルは尋ねた。


「こっちの、東――ファーストにいるのはどうだ。マトモか?」

「マトモかと言われましても――危険です。まだ会話は可能な範囲にありますが」

「会話が可能……?」


 異性装を楽しむフロキ伍長だけでも頭が痛いと言うのに、それ以上かと思う。

 ミチカは煙草を灰皿で押し消した。


「資料にありませんか? フロキ伍長は元が衛生兵です。お世辞にも理性的と言える状態ではありませんが、本人の戦闘能力が知れていますから御しようもあります」

「つまり、ここにいるのは違うと」

「まるで違います」即答した。「ファーストを統率するのは歩く二脚銃座ウォーキング・バイポッド吸血姫きゅうけつきマダム・バートリです。対話ができるかどうかすら怪しいですよ」


 目眩をおこしそうな二つ名だった。


「訊きたいことが一気に増えた」

「――ああ、たしかにファーストに二人いるのは変ですね」

「そっちじゃない。ウォーキング・バイポッドとはなんだ? それに吸血姫だと?」

「なんだ、そっち……どちらもあだ名です。ウォーキング・バイポッドと呼ばれてるのはディーロウ・バートリ。階級は軍曹。ガリガリのヒョロヒョロですが素手で人間を引き裂ける膂力があります。支援部隊として重機関銃を運び、自らを銃座として撃たせていたので――」

「歩く銃座か」


 頷くミチカ。資料を捲ると該当人物の名があった。

 ギョロギョロとした瞳に痩せこけた頬。身長は二メートルを超えているのに体重は八十キロを割っている。戦地にいて更に痩せたと仮定すると、ほとんど骨と皮だけになる。


「……その腕力が超常の力?」

「そうです。牡牛座ですね。乙女座マダム・バートリの方は……私が前線基地に戻っている間にディーロウとくっついたようです。あの女は確実にイカれてますよ。なにしろ元からして『虫の息の人間がくたばるまで見つめる』のが趣味ですから」


 ミチカは憎悪を思わせる視線を虚空に投げた。


「壁越しでも人の命が見えるそうですよ。それが消えていくのを見るとゾクゾクするのだと言っていました。消える瞬間が美しいのだとか、痛みを感じているとき強く輝くからどうとか――拷問のスペシャリストでもありました」

「マトモとは言えない?」

「ええ。どちらも。以前ならディーロウはマトモと言えましたが、マダム・バートリは最初からマトモじゃありませんでした」


 今にも唾棄しそうな気配に神経を尖らせながら資料を捲り、ヘイズルは息を呑んだ。

 なるほど、マトモには見えない。

 整った顔だが、目が駄目だ。大きく見開かれ瞳孔の飛んだ瞳。きつく結ばれた口にも歪みを感じる。人殺しを好み苦痛にあえぐ者を嘲笑うタイプ。写真の印象だけでそう思える人間はそうはいない――が。


「味方に対しても同じか?」

「何がです?」


 ミチカが不思議そうに眉を寄せる。


「態度だ。イカれているのは分かったが、敵に対してだけなのか、敵味方を問わずに同じ態度を取るのかが重要だ」

「……いえ、味方には聖母のように……」


 ミチカは唇を湿らせ、言い直した。


「旦那のディーロウ以外には、と言っておきます。ディーロウの扱いは酷い。ディーロウは嬉しそうにしていますが、もはや会話はできませんので実際どうなのか……」

「会話できない?」

「会ってみれば分かります。口では説明しにくいのです」


 言葉に困るというより、口にしたくないといった表情だった。言葉にするのも憚れる狂気とは、如何なるものか。

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