群雄割拠

 ヘイズルは口に含んだ液体をどうすればいいのか分からなくなった。ミチカが当然そうだろうとばかりに頷きながらカップに口をつけた。


「分かります――いえ、分かりませんが、分かるようになるまで私も時間がかかりました」


 ごくん、と喉が鳴った。


「伝聞から推測しているだけなので事態の推移は正確に把握できていません。ですが、伍長たちの話を統合するに、他の分隊長はボイラー国からの独立を宣言し、領土を求めて旅立ったのだとか。そうして、いま確認できるかぎり、この地には三つの〈国〉が確認されています」

「……独立だのなんだの、正気とは思えんな」

「彼らが正気なら私たちは自分を疑わなくてはいけませんね、ヘイズル」

「……笑えん」


 鼻で息をつき、ヘイズルはコーヒーの苦味から意識を離すべく、情報を整理した。

 拠点を防衛していた部隊が内部崩壊を起こし、いくつかに分かれて動いた。翻訳すればそういう意味になる。奇妙なのは、別れた連中が隊の戦闘教則に従っていることだ。


 ボイラー国ことホテルを最重要拠点に定め、他の分隊長は三点を確保した。手腕も恐るべきだが奪った場所も良い。ホテルを一つの頂点にダイヤモンド型になるよう拠点を得た。そうすることで、各点から双方を見張り、接近してくる敵に面で応じられるのだ。もし一点を襲撃されたら任意の点から出撃し、挟撃に移行すればいい。また、二点は山と川で外角を防ぎ、残る一点は集中監視による見張り塔の役割を果たしている。巧みだ。


「正気かどうか判断に迷わされるな……」


 地図に打たれた赤いピンと、それぞれをつなぐ糸、ピンを中心に引かれた丸い効力範囲を見て、ヘイズルは嘆息した。まったく見事な展開の仕方だった。

 ミチカがコーヒーをすすり、心の内を見透かすように紫の瞳を光らせた。


「私は話すべきことを話しました。次はヘイズルの番です」

「……それが上官に対する態度か?」

「ここに限っては、そうだと言わざるを得ません。ここの総指揮を取るのはバリモア伍長。ですが、彼を操縦できるのは私だけです」

「兵士に命令は出せないが、王には命令を出せると……わけが分からん」

「私も同じです。慣れてきましたが、慣れていいのかどうか……ああ、訂正を。王はあくまで大尉です。伍長は執政官で、誑かす私はファム・ファタルですよ」

「……ファム・ファタルに隠し事は危険だな。俺が受けた命令を教えよう」


 口ではそう言いながら、ヘイズルは戦争の行方に関しては伏せ、中佐から受けた命令だけ伝えた。すなわち、基本線は戦後の英雄を求めての撤退であり、正気が疑われるようなら秘密裏に処理してしまえという乱暴な命令だ。

 話を聞き終えたミチカは、指先をカップに突っ込み、気だるげにくるくる回していた。カップの中身は冷めきり黒く濁った水でしかなくなっていた。


「……正気の基準はどうなっていますか」


 地図を見つめていたヘイズルは想定外の質問に顔を上げた。もっともな指摘だ。正気がどういう状態を示すのか。狂気は。具体的な凡例は与えられていない。


「どうだろうな……回復の見込みがあるなら殺すことはないと思うが」


 軍規に則れば身体的な損傷の他に心神耗弱も立派な戦傷として扱われている。――だが、耳目を集める奇行に走るようなら、英雄の座には相応しくない。英雄として祭り上げるからには、ゆくゆくの復隊も条件になるだろう。


 道理でいえば、戦争を終え、平穏を勝ち取ったのち、民衆が執政に不満を持ち始めた頃に無事な姿を見せられたら最高だろう。その場合、身体外傷なら損傷の程度が治療期間を決定するからいいとして、心神の問題はどう考えるべきか――。


「……三年、か」


 記録から読み取れる、復帰への境目となる期間だ。入院後三年以内に治療が終われば、たとえ一瞬であっても原隊に復帰できる。しかし、三年を過ぎてしまうと兵士の存在は膨大な記録に圧殺されて消えてしまう。


「……イェール連邦の療養施設に入って三年以内に出てこられそうなら正気とする」


 もちろん、撤退命令に従うのが最低条件である。

 ほっ、とミチカが息をつき、カップを呷るようにして黒い水を飲み干した。


「良かった。私はギリギリ処分を免れそうです」

「……ギリギリ?」

「ええ。長くても二年と十ヶ月以内に退院してみせますよ」


 崖の際でつま先立ちをしているようなものだ。冗談なのか本気なのかは分からない。

 ミチカはすぃと身を乗り出し、淑やかな声音で言った。


「私以外の全員を処分すれば、それで仕事は終わりますよ、ヘイズル」


 まるで悪魔の誘いだ。


「逃げたいのならそう言え。他の連中は無理だとでも言うのか?」


 ミチカがつまらなそうに腕を組み、背もたれに躰を預けた。


「ボイラー国だとか、独立しただとか、マトモだとお思いですか? 合わせている私が言うのもおかしな話だとは思います。思いますが、私自身、少し長過ぎるくらいの休みが欲しいと願ってしまうんです。彼らが三年で戻れるとは思えない。それが正直な感想ですよ」

「仲間に対して辛辣だな」


 正直もう一杯コーヒーが欲しかったが、ヘイズルは下ろしたばかりの肩掛け鞄から連隊の資料を出し、机に広げた。


「正常かどうか自分の目で見て判断したい。可能か?」

「可能です、ヘイズル。各拠点を掌握しているのはゾディアックですよ」

「ゾディアック?」

「黄道十二宮。詳しくは知りませんが十二の星座がどうとか――全部で十二の分隊になぞらえたロマンチックな分隊章ですよ」

「俺は星座にロマンを感じたことはない」


 戦場では非現実的な想像に浸ることがよくある。ヘイズル自身は弟の幻影を見る。多くの兵士は空いた時間ができると空を眺めていた。


「……軍曹は何座だったんだ?」

「蟹座です。命令に殉じて踏み潰されました」


 そうか、と苦笑しつつ、ヘイズルは一つの資料の束を除外した。


「軍曹の同僚――ナールは死んだ。そうだな?」

「ええ。蠍座でした。誰よりも素早く塹壕に駆け込んで、誰よりも多く殺しました」

「……軍曹の言っていた最初の能力者というのがナールか」

「はい。その頃はまだゾディアックなんていうロマンチックな分隊章はありませんでしたが」

「今ピンが立っている地点には何人いる?」

「四人です。三人は支援部隊の人間で、一人は右翼で第二分隊を率いていました」

「……四人? 残りの六人はどこに消えたんだ?」

「ご存知でしたら教えてほしいくらいですよ。私が把握しているのは拠点を確保した四人だけです。残りは――」


 ミチカは拳を握り、弾くような仕草で開いた。


「ボン! 消えました。いつの日か探し出して拷問にかけてやりたい」

「やめておけ。報われるどころか眠りが浅くなる」

「経験者は語る、ですか? ご忠告は受け取っておきますが――煙草を吸っても?」

「吸わないんじゃなかったのか?」

「外では。室内でも出る気がないときに咥えるだけですが」


 言いつつ、ミチカは煙草を咥え、手のひらを開いた。ポッと先端が青く色づき小さな煙の塊を吹いた。仰ぐように手のひらを振り、握った。


「分かりやすくファム・ファタルを名乗りましたが、私はボイラーの外交官でもあります。連中ともそれなりに取引がありますよ」

「……ではまず、この拠点にいる分隊長の名前を教えてくれ」


 ヘイズルはボイラー王国――いまいる拠点から西に位置するピンを指差した。


三塁サードですね。そこにいるのは――」

「何? サード?」


 聞き慣れない表現だった。ミチカは普通のことのように言う。


「野球に例えただけです。我らがボイラー王国が本塁ホームベース、東が一塁ファースト、北がセカンド、西はサードになります」

「観戦したことはないと言ったろう。例えられても分からん」

「では覚えてください」


 視線を外さずしれっと言った。紫色の瞳は笑っているが、ふざけているにしては冷たかった。

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