ボイラー王国建国史

 ホテルを接収し基地に転用したというのは本当のようで、前線基地よりも豪奢な内装を備えた厨房では、兵士が食事の準備をしていた。みな一様に穴を穿ったような目で、ヘイズルたちに気づくと機械じかけの人形のように正確に敬礼した。


 ロビーと正面の入り口は机や棚を利用して封鎖されており、窓には目張りがされていた。すぐそばに土嚢を積み上げ、内側に兵士たち数人が寝転んでいる。ゲリラが正面から仕掛けてくることはないが、念を押してのことらしい。


 街で回収――あるい略奪してきた物資は各階の中央部に集積され、疲れた様子の兵士たちが各部屋を行き来している。武装・体調ともに満足といえる人員はないものの、最近はゲリラの攻勢も収まりつつあり、周辺の監視に限れば、かろうじて回っている。


 ヘイズルはミチカに促されるまま五階に上がり、階段室の扉を守る兵士に略式の敬礼を見せてフロアに入った。すぐ正面の部屋と、その両隣の扉に目張りをしてある部屋が、ミチカの私室兼、執務室兼、事実上の基地司令室になっていた。


「どうぞ、こちらへ」


 ミチカはヘイズルを部屋に入れるとすぐに扉を閉め、肩を落とすようにして息をついた。

 さすがに最上級のスイートには及ばないが、下士官が寝起きするには豪華すぎる部屋だ。部屋の左右の壁はぶち抜かれ、両隣の部屋と取って附けの扉で接続されている。


「ここが私の執務室兼、会議室です。左は私の私室というか……寝室というか……」

「……右は?」

「同じです。たまに気分をかえようと思ったときに使っていました。どうぞ、ヘイズルの、お好きな方の部屋を使ってください」

「別の部屋を割り当てないのには何か理由がありそうだな」

「……仰るとおりです」


 ミチカは身を捩るようなため息をついた。部屋の中央にある大きなテーブルに銃を置き、手袋を外して指を反らせるように解し、天井を指差す。見れば、入り口扉の上部から細い紐が天井を這い、中央で分かれて各部屋に通じていた。


「この階の扉が開くと紐がたわんで、音が鳴るようになっています。この基地にいる人間は誰一人として信用できないんです。何の用意もなく寝る気にはなりません」

「だろうな。――だが、なぜこうなった? どうなっている? 分からないことばかりだ」

「長くなりますが――」

「構わん。どんな仕事も準備が最も重要だ」

「……では……珈琲でも飲みながらでどうでしょうか」


 ミチカは苦笑しながら手のひらで椅子を指し示し、ヘイズルが頷くと、部屋の奥からサイフォンとコーヒーミルを持って戻ってきた。豆を挽くところから始まるのかと思うと少しばかり滑稽だった。ゴリゴリと鳴り響く黒い豆粒の砕ける音が、傷んた布を張り詰めるような緊迫感を生んだ。


「どこからお伝えするべきなのか……直接のきっかけになりそうなのは、ここを占拠し、残存兵との防衛戦に移行したあたりでしょうか」


 二一一突撃連隊は二分隊から成る一小隊を基本の単位とし、突撃を敢行する二小隊、敵に混乱を与え突撃を支援する四小隊から構成されている。拠点を奪った後は支援部隊がその防御にあたり、残りは進軍に備える手筈だ。


 当時は、ようやく奪った最重要拠点の防衛に必死だった。

 フィアーキラーも利用しながら休むことなく戦闘を繰り返し、本隊の到着を待っていた。


 しかし、一日経ち、二日経ち、三日目を乗り切ってもまだ本隊が来ない。

 二一一連隊は遠からず戦闘を持続できなくなると予期された。

 部隊は選択を迫られのだ。


「撤退か徹底抗戦か……連隊の指揮を取っていたヒュートロゥ大尉は徹底抗戦を選びました」


 ミチカはろ過器に茶色く濁ったフィルターを巻き、フラスコに濁った水を注いだ。


「防衛戦に入ったとき最も力を持つのは支援部隊です。二一一連隊では私のような超常の力をもつ兵士を分隊長に据えていたので、兵科――というか、役割で区切ったとき、支援部隊が最も強大な兵力を抱えることにもなります」


 マッチを擦ってアルコールランプに火をつけ、ロートに挽いたばかりの粉を落とす。フラスコの上にセットし、二人で青い炎を見つめる。


 武器弾薬の残量、兵士の疲労度など、様々な要因を各分隊長と連隊司令部で話し合い、支援部隊の分隊長はみな一時撤退を主張した。残る四人のうち二人が徹底抗戦を主張し、二人は事態を静観していた。ミチカも沈黙していた一人だ。


「あともうひと押しで撤退に流れると思われました。そこで、それまで私と同じく静観していたナール――失礼。第一小隊第一分隊長が撤退に転じます」


 ぼこり、ぼこり、と濁った水が沸き立ち、ロートに昇り始めた。

 ナールの発言により、分隊長間のバランスはくずれた。もはやミチカが徹底抗戦に転じても多数票は変わらない。分隊長たちの戦闘力は連隊司令部を遥かに上回る。命令不服従に該当するかもしれないが、反抗されれば勝ち目はない。

 会議室は重苦しい空気に支配され、ヒュートロゥ大尉が額に浮かんだ汗を拭った。もう何時間まともに寝ていない。フィアーキラーの常用で神経も高ぶっていた。


「……大尉は拳銃を抜くと、ナールの頭を吹っ飛ばしました」


 硝子の蓋を取り、ミチカはアルコールランプを消した。ロートに溜まっていた漆黒の液体がマグマのように泡を吹きながらフラスコに落ちていく。

 分隊長たちは制圧にかかった。大尉の抵抗に副官も追従し場は混乱を極めた。銃声が轟き、撃鉄が空の弾倉を叩いたとき、部屋はガンスモークで霞がかっていた。


「大尉は、一見、落ち着きを取り戻していました。変わらず徹底抗戦を主張してはいましたが本隊への連絡も同時に行うと言いました。私たちは大尉の指揮権を剥奪すべきと判断しましたが、最も軍歴が長かったナールはすでに死んでいる。次に来るのは私です。ですが、私には指揮をとるような気力は残っていませんでした」


 ミチカはロートを外し、フラスコに溜まった香り高い暗黒をホテルから接収したらしい上品なカップに注いだ。


「大尉はそれと察していたのか、拠点の指揮官に――さっき下に居たバリモア伍長を指名したんです。狂った判断です。ですが、私たちもすでにおかしくなっていたのでしょう。私たちは二一一連隊の隊規に従って伍長を司令官代行とし、旧司令部の人員をボイラー室に軟禁しました。その後、私は伍長の命令を受けて本隊への連絡を試みました」


 最初の脱出は地獄だった。ほんの数百メートル進むのに一日も二日も要し、連れていた分隊員は死んだ。なんとか前線基地に戻るも、援軍を出してくれそうにない。

 ミチカは必死に前線司令官を説得し、中佐に現況を報告、様々な抵抗を受けながら小規模な援軍を編成して、地獄に舞い戻った。道中で部隊は半壊してしまったが、なんとか兵士と補給物資を運んでみせた――が。


「戻ってみると、分隊長は一人も残っていませんでした。みな散り散りに、それぞれ自分たちの思う行動を取っていたんです。それに従った兵士も多く、前哨基地は事実上、崩壊していました。たった一人で指揮を取り続けていたバリモアは――あのザマです。なんと言えばいいのか……記憶が混濁し、子供の頃に戻ってしまっているようで……」

「聞いてるだけで嫌になるな。どうやって拠点を維持してきたのか見当もつかない」


 出された以上しかたなく、ヘイズルはコーヒーに息を吹きかけ、一口すすった。ホテルにあった豆なのか、豊かな香りだった。水さえ良ければ、それでなくともミルクか砂糖のどちらかがあれば、と思わずにいられなかった。


「……経緯は分かった。だが途中までだ。大尉はどうされている? 他の分隊長は?」

「大尉は……ずっとボイラー室にいたからか、すでにおかしくなられています。まとな会話は期待できません。ずっと王国の行く末を案じておられます」

「王国?」

「この国です」


 ミチカは皮肉そうな笑みを浮かべた。


「私たちの国ではなく、ここ。ガルディアにあるホテルを首都としたボイラー王国ですよ」

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