狂気の片鱗

 最初、ゲリラの多くは大人たちだったという。次第に女性がまじりだし、あるとき気づくと子どもが加わっていた。彼らは二人一組を基準にし、多くは大人と子供のペアだった。概して軽装で、酷いときは小銃はおろか拳銃すらもっていない。しかし、長い時間をかけて要塞化した土地に慣れ、戦意も高く、地図を得ようと尋問を試みても無駄だったという。

 暗く静かな地下道を、歩数を数えながら延々と歩き、やがてミチカが足を止めた。


「――先ほどはみっともないところを――」

「いや、いい。誰でも緩むことはある」

「……もう着きますが、先ほどの姿は――」

「話す意味がない。大丈夫だ」


 上官の緩みは下へ下へと伝播する。上で堰き止められるならそれに越したことはない。

 ミチカは、ほう、と小さく息をつき、聞き取るのがやっとの小声で言った。


「角の奥が前哨基地です。きっと驚かれるでしょうが態度に出さないようにしてください。舐められます。それから、私に口裏を合わせて、変に指揮権の話を持ち出したりしないように」

「……分かった」とりあえず応じたが、疑問が湧いた。「そんなに――奇妙な状況なのか」

「奇妙――ええ。そうですね」ミチカが薄笑いを浮かべる気配があった。「酷く奇妙です」


 コン、と乾いた音を立てて弾薬箱を下ろすと、淀んだ空気を大きく吸い込み、


「二一一連隊、ミチカ・ボーレットだ! 補給物資と監査官を連れて戻った!」


 声を地下道に響かせた。監査官なる聞き慣れない役職にヘイズルは口元を苦く歪める。深い意味もなくでっちあげた役職だろうが、前哨基地の現在は監査という仕事が受け入れられる状況なのだ。控えめに言って、すでに崩壊の中にある。

 ミチカが再び大きく息を吸い、暗闇に声を投げ込んだ。


「明くる日は夜もなく! 夜くる日は明日になく!」


 符丁なのだろう。声が暗闇に吸い込まれると、どこからともなく返答があった。


「常夜は常に明るく!」


 若い男の声だった。ミチカが弾薬箱を持ち上げ「行きましょう」と小声で言った。後ろに続いていったが、やはり暗闇の只中だった。人の気配はあっても姿は見えない。


「戻るまで、何も問題はなかったか?」

「もちろんです、ボーレット。よくぞご無事で。――そちらが監査官ですか?」


 声だけなら正常のように思える。近づいてきた気配にバックパックと弾薬箱を渡すと、ようやく重い音を立てて上から光が差し込んだ。


 ヘイズルは全身の肌が粟立つような感触を得た。

 年重もそう変わらない兵士たちは、健康的な肌色をしていたが、目がぞっとするほど昏かった。白目の中心に色つきの穴を穿ったような、人の形をしているだけの存在だった。


「ヘイズル・パートリッジヴィル曹長だ。失礼のないように」


 ミチカの声は軍人らしい冷たさを伴っていた。


「ヘイズル・パートリッジヴィル! あなたが、あのヘイズルですか!?」


 兵士の顔が喜色ばんだ。しかし、瞳の昏さは変わらない。それが一層不気味に思えた。

 ヘイズルは表情に出さないよう注意しながら頷き返す。


「『どの』かは知らんが、ヘイズルだ。よろしく頼む」

「もちろんです! あなたのような英雄にお会いできて光栄です!」


 薄気味悪い喜びようだった。ミチカが二度、指を鳴らし、光の差し込む天井の穴を、そこにかかる鉄錆臭い梯子を指差した。


「こちらです。ヘイズル」


 今にも崩れ落ちそうな梯子を昇ると、饐えたような匂いのする部屋に出た。所狭しと置かれた木箱の数々に、衣服や腐りかけの野菜やらが詰め込まれていた。


「ホテルの食材倉庫です。門を越えたすぐのところにあって、周辺で最も大きく堅牢な建物と見受けられたので、我々はここを拠点に設定しました」


 バックパックと弾薬箱を引き上げ、ミチカが人を呼んだ。すぐにバタバタと大げさな足音が聞こえ、倉庫の戸を破らんばかりに大男が突っ込んできた。指が埋まりそうなほど髭を蓄え、戦地には似つかわしくない出っ張った腹をもつ、壮年の男だった。

 男は涙をためた目を大きく見開き、ミチカの前に滑り込むようにしてひざまずいた。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 良かった! 無事だったんだね!?」


 怖気が迸りそうな絶叫。お姉ちゃん? とヘイズルは息を飲む。

 ミチカが、分かっているよとばかりに壮年の男の頭を撫でた。


「怖かったね。頑張ったね。戻ってきたよ。お姉ちゃんがいない間、大丈夫だった?」

「うん! 大丈夫だよ! 僕、頑張ったんだ! ゲリラのクソったれもいっぱい殺したんだ!」


 今にも抱きつきそうなくらいに両手をブルブルと震わせる姿や、発言の内容と、舌っ足らずな口調だけをとれば、長く留守番していた少年のようだった。

 だが、その見た目は壮年の兵士に相違ない。

 見せつけられた狂態に言葉を失くしていると、ミチカが聖母のような薄ら笑いを顔に貼り付け首だけで振り向いた。


「『これ』が今の前哨基地の指揮官、バリモア伍長です」


 まるで物のような扱い。蔑むような口振り。ミチカはバリモア伍長を快く思っていないようだった。

 ――もっとも、ヘイズルも同様の感想を抱いていたが。


「……バリモア伍長。ヘイズル・パートリッジヴィル曹長だ。監査に来た」


 そう告げた瞬間だった。

 姉の帰宅に咽び泣く少年のようだったバリモア伍長が、急に背筋を真っすぐ伸ばして立ち上がり、見事な敬礼を見せた。


「ゴルドー・バリモア伍長であります! ヘイズル・パートリッジヴィル曹長! このガルディア・ボイラー前哨基地の防衛指揮を担っております!」


 まるで歯車の壊れた機械のような態度の変化に薄ら寒い恐怖しか感じない。

 ヘイズルは手が襟に伸びそうになるのをこらえ、ミチカに視線を投げた。


「バリモア。ヘイズル曹長はこの前哨基地の査察に来られた。ここの現況を報告し、今後の方針を検討なさるのだ。決して失礼のないように」

「分かってるよ、お姉ちゃん!」


 ぐるりと変わるバリモアの声と顔色。ミチカの方は軍人然としたままだった。


「私はこれからヘイズル曹長に施設内を案内し、検討会議に入る。私の居ない間の防衛状況はどうだった?」

「怖い奴らがいっぱいきた! いっぱい来たんだ! でも大丈夫! 僕がみんなと一緒に殺してやった! 十二人だよ! 十二人も殺したんだ! 褒めてくれる!?」


 ミチカはふっと表情を和らげ、背伸びをしてバリモアの頭を撫でた。


「うんうん。頑張ったね、バリモア。お姉ちゃんはこれからヘイズルとお話するから、いつもの配置に戻ってくれるかな?」

「うん! 任せて、お姉ちゃん!」


 言うが早いか、バリモア伍長は急に歴戦の兵士の顔つきになり、バックパックと弾薬箱を手に、上がってきた歩哨たちへ唾を飛ばした。


「これより通常警戒態勢に移行する! 受け取った補給物資を速やかに配給し、各員、持ち場に戻れ! 交代凡例は二号だ! いいな!?」

「了解しましたボイラー国王代理バリモア伍長近衛騎士兵団長!」


 訓練された敬礼を返し、歩哨たちが手早くバックパックを背負って駆け出していった。その有り様にも軽い衝撃を受けたが、それよりも――


「……軍曹……」

「わかります。説明は後ほど。こちらにどうぞ」


 ミチカは言葉を濁して扉を抜けた。

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